本論文は、清末民初の康有為の孔教を検討することを通じてその孔教運動の実態を把握し、康有為の孔教が中国近代思想史における位置と意義を明らかにしようとするものである。論文の構成は序章・第一章から第五章及び終章の七章からなる。最後に「註」と「参考資料」が添付されている。

序章は、康有為の孔教研究の重要性及び先行研究の問題点を指摘し、その上で筆者の研究方法及び研究内容を明らかにしている。

第一章は、主に改革派自身の孔教構想と維新政治との関係を扱うが、二節に分けて検討している。第一節は、今文経学の立場から孔子の継承人として布教する康有為の立場を明確にし、彼の改制立教構想が成立する基礎作業の整理を行っている。第二節は、孔教会の設立と戊戌新政の推進との表裏関係を論じ、地方の組織の建設で皇帝の新政を補強する点に意義があると指摘している。

第二章は、改革陣営内外の政治勢力との間の孔教問題を扱う。第一節は、帝党派・洋務派・遊学派の中西文化観の異同点を取り上げながら、政治改革を行う場合、その政治行動を指導する改制理論の必要性を強調している。第二節は、孔教会の教案対策などを取り上げ、孔教会設立の動機が、外国人から無教と言われることに対する恥意識にあることを論証し、更にキリスト教との対等を求めるために改革派の展開した「通教」活動を取り上げ、彼らの唱える孔教と広学会の宣教師の宣伝するキリスト教との間に協調・融合の側面が見られたことを明確にしている。

第三章は改革派内部の「反保教」を切っ掛けに醸成された清末の反孔風潮を扱う。第一節は、梁啓超の追求する思想的自由との意見の食い違いから、孔子祭祀の活動を行うことで海外華僑の中華意識を強める康有為の意図を明らかにしている。と同時に康・梁分岐の背後に潜む思想的共通点を析出することを通じて、梁啓超の「反保教」を改革派内部の一つの急進的動きとして捉え直している。第二節は、章炳麟の漢民族史学との比較を通じて、康有為の歴史哲学は、伝統の経学が清末の経世学に変遷する過程に文化的断層を回避させた点に意義があると指摘している。第三節はアナーキストの儒教革命との対立を取り上げ、康有為の宗教改革は、中国の伝統及び西洋の近代を超克した点に意義があると指摘している。

第四章は民初に孔教会を基盤に展開した孔教理念の実践活動を扱う。第一節においては蔡元培の「廃孔」主張に対する革命派内部の反応に着目して、革命派人士の内部意見の不統一は民主・共和理念が民初社会に機能しなかった一因であることを立証している。第二節は、尊孔救国主張に対する社会的評価を背景に、孔教会の展開した尊孔読経及び祭祀実践などの活動は、民初社会の再編を推し進める牽引力として機能した側面があったことを明らかにしている。第三節は、宗教界の団体・個人が孔教の国教化に対する反応を取り上げ、仏教・道教・宣教師のキリスト教などの組織が、孔教を国教とする孔教会の主張に賛同したことを明らかにしている。第四節は、民初の社会には国教と信教の自由とが互いに排斥しあう構造体と、互いに依存する別の構造体とが同時に存在したことを明らかにしている。

第五章は帝制問題に絡む孔教を扱う。第一節は、康有為と袁世凱との間に尊孔と孔子祭祀の内容と目的の相違を取り上げ、康有為の孔教が洪憲帝制を牽制した側面を有したことを解明している。第二節は、宗社党と康有為との政治的、文化的思考の相違を分析することを通じて、張勳復辟に参加した康有為の狙いが社会の物質生産の発展による富国養民の達成にあることを論証し、更に康有為の提示した、倫理道徳によって軍閥の独走を制しようとする文人政治が、中国が貧困から脱出する出口を示した点に意義があると指摘している。第三節は、共和政治体制を基準として西洋の民主文化を求める新青年派の政教観と異り、康有為は、現有の文化発展のレベルを基準として民国の政治形態を選定する政教観を持つことを明らかにしている。その意義は文化発展レベルに符合しない政治革命が必ず畸形に走ることを示すことにあると論証している。

終章は全文を纏める意味で康有為の孔教思想発展の一貫性を強調し、そして中国文化の国際化の理論的建設に貴重な経験を提供した思想史的意義を評価している。