万葉和歌の「心」は、強固な様式性に支えられた表現が生み出してくる「心」として、その古代性をおさえておくことができる。そうした歌の「心」を象徴的に見ることができるのが第一章「相問歌・序歌論」に見る序歌のあり方である。万葉集の序歌は、天武期を境として、歌謡的な質の転換の様式から、人麻呂歌集の序歌を経て、心物対応構造を鮮明にしてゆく。そこには、歌が文字を獲得することによって、歌そのものが一つの「心」を指向しようとするあり方を見ることができる。そうした序歌の様式の変化は、相聞の贈答歌のあり方にも影響し、応酬的贈答のあり方を大きく変容させてゆくのである。

一方、歌謡の序歌は、歌の内部での統合意識の稀薄さ映像性の欠如の結果、歌そのもに現れる「心」も稀薄であり、そのためにかえって場におかれることでその都度生々しい抒情性を獲得するのである。

第二章「覊旅歌論」では、万葉集の覊旅歌の表現を支える様式の核となる「地名」に焦点をあて、それがどのような内実のもとに旅の「心」の表現を可能としているかを考察する。人麻呂歌集から人麻呂覊旅歌八首にかけて形成されてくる旅の歌の表現は、律令的統一国家による地方把握と王権による国魂再編の論理に重なる地名意識の変化がもたらすものと考えられ、そこに旅の歌における地名を詠み込む様式の成立を見ることができる。そう考えたとき、旅の歌に見られる地名を詠み込む型と家・妹へと向かう型とが、律令官人の自己同一性の確認として、統一的に把握できるのである。

第三章「七夕歌論」は、和歌世界に伝統を持たない七夕が、和歌世界に根付いてゆく推移を、歌ことばの成立と定着、七夕意識の変換において追いかける。未だ七夕語彙の歌ことばとしての定着を見ない人麻呂歌集七夕歌の営みは、和歌の虚構性において重要な意識を持ちつつも、和歌世界に根付いてはゆかない。七夕歌は、憶良の七夕歌に見られる宴席歌としての七夕歌の復活を経て、家持の七夕歌に象徴されるように、初秋を代表する景物となり得たときに、和歌世界の一つの伝統となり得たのである。