英国のネオ・リベラリズム的政策によって、デュアリズム的経済体制の構築はなされ、現在でも続いているのであろうか。本研究は、移民に関わるデュアリズム的経済体制の有無を、戦後英国という時期・地域を対象とし、エスニック階層という研究視角の下で明らかにする。

戦後英国に入国した移民で重要なものには、カリブ系、インド系、東アフリカ・アジア系、パキスタン系、バングラデシュ系が存在する。彼らの階層的位置づけが本研究での焦点となる。

続いて検討を行ったのが、市民権と移民との関連である。出自社会からホスト社会へと国際移動する移民たちにとって、ホスト社会内で様々な権利が行使できるかどうかは死活問題である。英国市民権制度の変遷からは、1962年以後は出入国の権利は制限されていく一方、英国内での移民市民権を保護するような政策が実施されるようになってきた。既に英国に居住している移民には、法制度との関係においては市民権の確保はなされていると概ね判断できる。

一般的なエスニック階層の理論には、2種類のものが区別された。

1つは、移民が「下層滞留」するというエスニック・デュアリズム理論である。その中で、第1のタイプは人的資本によって移民の階層的位置が決定されるという市場均衡的な普遍性モデルである。第2のタイプは、「エスニックな文化」の解釈を基礎として成立する文化障壁的な個別性モデルである。

もう1つの理論として、移民が階層上昇移動を果たすというエスニック・プルーラリズム理論があった。その中で、第1のモデルは、人的資本によって上昇移動が実現するという市場均衡的な普遍性モデルである。第2のモデルは、資源・機会構造・集団特性、エンクレイヴといった観点から、「エスニックな文化」のような個々の文化的特性を強調していく個別性モデルである。

これらの理論的プロフィールが、戦後英国の移民たちに当てはまるのかどうかが分析の鍵になる。

教育市場においては、80年代初頭までに行われた移民教育問題の定式化、それに続くカリブ系の「学業不振」および南アジア系の「学業高達成」が調査によって発見された。さらに90年代に入ると、カリブ系における「学業不振」の継続、および南アジア系の「学業分極化」が検出された。

労働市場においては、70年代から80年代の動きでは、カリブ系は階層上昇移動を果たしながらも、白人系よりも低い位置にいた。それに対して南アジア系は、産業セクターを加味すると白人系ともカリブ系とも異なる独自の動きをしていた。

さらに、90年代の移民の動きは職業レベル的な階層区分では、カリブ系の男性やパキスタン系の男性女性、バングラデシュ系の男性が下層停滞の傾向を見せている以外は、上昇移動の様相を見せていた。しかし産業セクターを見ると、「エスニックな場所」と言える特定の産業セクターへの集中という事態が発見された。そこで、エスニック・プルーラリズムと見えた移民たちの動きは、実は「新種」のエスニック・デュアリズムではないかという疑問が引き起こされる。

住宅市場においてもカリブ系とバングラデシュ系は労働市場におけるエスニック階層的位置を反映しており、恵まれた住宅に居住してはいない。パキスタン系は住宅アメニティ的には「下層」よりも少々よい程度だったけれども持ち家率の点では高かった。インド系や東アフリカ・アジア系については、労働市場における位置を反映した位置づけであった。

職業移動を考察するために、職業選好に注目すると、2つの上昇移動の経路が移民たちに想定されていることがわかる。1つは、自営業であり、もう1つは人的資本を職業の獲得機会として追求するやり方である。両者の接点である自営の専門職が望ましい職業と位置づけられる。

労働市場におけるエスニック階層を捉え直すと、南アジア系の自営業への集中は移民たちの選好に沿っていると判断したくなる。しかし、人的資本を生かした職業であるとは言えない。むしろ、人的資本志向がありながらも、「人種差別」や家庭環境等様々な障害ゆえに追求することができず、結果として自営業経路を選択せざるをえなかったという解釈が成立するのである。

移民労働力というネオ・リベラリズム的政策は一時期までエスニック・デュアリズムを英国内に形成していた。このように、単純マニュアル労働者に代表されるような古典的なエスニック・デュアリズムは1990年代の英国においては消失しつつある。しかし、教育市場と住宅市場におけるエスニック階層を見ると、まだデュアリズム的な要素は残存していると言わざるをえない。また、労働市場においてさえも詳細に見ていくと、巧妙な形でデュアリズムが存続しているのである。