中国において八世紀初頭に出現し、禅の発達とともに東アジア仏教圏で影響力を増していった経典の一つに『円覚経』がある。中国仏教史上もっとも重要な人物の一人である宗密はこの『円覚経』を畢生の所依とし、これを軸として思想体系を確立する。本論文は、宗密が生涯をかけて情熱を注いだ成果として生まれた彼の『円覚経』諸注釈書に対する本格的・総合的研究を試み、そこにおける彼の思想的立場を分析し、それを彼の全思想体系の中において確認し位置づけることを意図するものである。この課題の解明のためには、宗密が所依とする『円覚経』そのものに対する解明が必然的に要求される。そのため、本論文は二部構成となっている。

第一部「『円覚経』の研究」においては、『円覚経』とは如何なるものか、『円覚経』の総合的研究を試み、その思想的特質・背景・成立年代・流布状況などの解明を目指した。第一章「『円覚経』の成立と受容」では、『円覚経』の中国撰述説と関連して、経録・伝記類における『円覚経』の記述から本経出現当時の状況や扱われ方、書誌学的問題などを検討した。第二章「『円覚経』の思想的位相」では、内容的側面から『円覚経』の思想的特質とその背景を考察した。第三章「『円覚経』とその周辺」では、東アジア仏教圏において本経がどのように受容され、展開されて行くのかの問題を検討した。

第二部「宗密円覚思想の研究」では、『円覚経』研究において展開・形成され、そこに示される宗密の知的活動と宗教的信念にもとづく思想体系の総体を「円覚思想」という概念によって捉え、それの内実を明らかにすると同時に、その思想的・思想史的意義を検討した。第一章「宗密の伝記と著作」では、幅広い思想遍歴の経歴をもつ宗密の人物像を確認すると同時に、宗密の諸著作における『円覚経』注釈書の思想的位置とを明らかにし、また『起信論疏』と『普賢行願品別行疏鈔』の撰述年代の推定を行った。

第二章「宗密円覚思想の基盤」では、『円覚経』諸注釈書の書誌学的特質と『円覚経』解釈論の特徴を明らかにした。第三章「宗密円覚思想の展開」では、『円覚経』研究において展開される宗密思想のあり方について考察した。すなわち、宗密における『円覚経』把握の基本的立場、「円覚」の理解に見られる真理追究のあり方、縁起の捉え方の特徴、頓悟修の成仏論の形成・構造・内容・思想的意義などの問題を考察した。

第四章「円覚思想と諸思想の関連」では、周辺思想との関連において「円覚思想」のもつ思想的広がりの問題を検討した。すなわち、「円覚思想」の体系において中国固有思想と禅仏教とがどう捉えられているかの問題と関連して、宗密における中国固有思想に対する受容と批判のあり方、宗密における教と禅の接点の追求とその接合の仕方などに検討を加えた。