本稿は、ヘーゲル「哲学」思想の発展史的分析を主軸として、ヘーゲル『精神現象学』独自の「真理論」-「意識は如何にして学知=絶対知(真理)へ至るか」という問題-の解明を主題に、その形成とその帰趨とを考察する。

ヘーゲル「哲学」思想形成-殊にその「意識の経験」の論理とされる「弁証法的運動」(『精神現象学』「緒論」)、並びにそれに依拠する「学」的「体系(Wissen-Shaft)」構制-の本質的理解には、何より先ずヘーゲルの思想とそれを囲繞していた周辺思想との影響関係-とりわけカント「超越論哲学」、フィヒテ「知識学」、シェリング「同一哲学」との徹底した対質から成ったヘーゲル哲学思想のそれら先行思想との類同性と差異性の特定-の充分な形成史的解明が不可欠である。然るにそこに既存の研究史上一つの落丁が存在し-レトロスペクティヴな化学万能史観に禍いされた「自然哲学」研究の立ち遅れ-、本来ヘーゲル一人の思索的営為である筈の、例えば初期宗教研と哲学研究、或いは社会哲学研究(承認論)と学的体系研究(認識論)、更には『精神現象学』と『大論理学』の連続性問題、といった重要課題がそれぞれ個別には詳細に研究され乍ら、却ってそれ故その総合を見ないまま今日に至っているという問題状況が出来している。文献学的細密化はもとより不可欠のもの乍ら、抑々そうした学問分類・個別化自体周知の通り今世紀新カント派以降のものであり、ヘーゲル当人に於てはあくまでそれらは一綜体として意識に上っていたはずのものだったことは十二分に銘記されてよい。本稿は、ヘーゲルを一個の人間綜体として思想史上に回復することを目標に、先ずは従来の研究史上の空隙を埋め得る端緒としてヘーゲルの繰り返される「因果論」批判に注目し、時代の趨勢として共有されていた因果論批判の問題構制から、ヘーゲル哲学が遂には「真理論」そのものの更新である『精神現象学』「意識」の章最終節「力と悟性」・「第二法則論」に到達する、従来指摘されることのなかった一連の法則論的・真理論的思索探究過程の伏在を-あくまでヘーゲルその人の問題関心に定位して論理内在的に-剔快し、その意義の検証を主題とする。

その仮説を基軸として本稿は以下の諸論点を検証する。初期「宗教」研究からヘーゲルを「反省形式」・「学の体系」へと駆り立てた原因の第一として、カント研究、その法則論的研究に駆動された「力学的世界観」に対するヘーゲルのインプリシットな関心が想定され得ること-顕在的には「実定化問題」研究-、それがカントとヘーゲルに共通するひとかたならない「実在」への関心に基づいており、なによりその把握の為の「論理」の問題としてそれが両者に意識され続けたこと、等を顕らかにすべく、先ずはカントに遡ってその「超越論哲学」が-「通説」に対する二重の解釈の可能性として-まさに「アンチノミー」の「論理」に於て匿している別解の可能性、即ち具体的には「力学的世界」の「実在」に対する一貫した志向が否定されないまま存続されている可能性、を顕かにする(第一章)。

カント哲学の法則観を通じて明らかになるその秘められた論理の可能性は然し、実のところ「近代」の「法則」論に当初より一般的であった。先ずはそれが-そのコロラリーとしての「力」概念とともに-その「起源」に、「論理」的「矛盾」としての「神」を腹蔵させてきた経緯に留目する(第一節)。次いでその事情が、「重力」・「内在力」の「実在」を意識し続けたニュートン・カントにあっても亦-控えめに言ってもその積極的否定が論理的に構想されなかった限りで-同様であり続けたことを検証する(第二節・第三節)。カント論理思想への-ドイツ観念論者中、誰よりも忠実な-肉迫がヘーゲルにその「法則」論中の匿された、然し本質的な力学世界実在への志向に気づかせる。且つ、カントの時代とは最早別様に常識化されていた因果律の否定が契機となって、その「実在」把握の「論理」の抜本的変革-力学的世界観そのものに対する批判-が企図されずにはいなかったのである。

別言すれば、問題は、一般に「弁証法」論理の形成と目されてきた宗教研究末期の「合一哲学」・「生」の立場へのヘーゲルの転回が、にも拘らず本人には未だ尚不充分と考えられ、改めてそこから「学」へと進められねばならなかった点に見出される。本稿はそこに先と同様の法則論的感心が齎す「真理実在」への問題意識を想定する(第二章)。

人間ヘーゲルの内奥により深く定位するとき、その思想展開に於て極めてナイーヴな宗教論的「実定化」批判として出発したその趨向は(第一節)、後に論文「信と知」等で「超越論的なもの」の「彼岸化」「自立化」の禁止として具象化されていく。その思想伏流の想定によりシェリング自然哲学への共鳴部分と当初からの反発が説明され、併せて「ドイツ憲法論」執筆等に見る社会哲学的関心の平行の理由と、それと自然哲学との論理的関連がどのようなものだったかが解明可能となる。

同時期-『精神現象学』前-の草稿群の公表をヘーゲルが思い止まらざるをえなかった根本的問題としては、因果律批判から帰結する「真理」・「法則」・「物」等-従来「彼岸」化され、要素主義的に「実体」視されてきた「超越論的なもの」の-批判的解明が論理的に難渋した可能性が付度される(『差異』・「信と知」等)。そのブレイク・スルーとしてカント超越論哲学の根幹である「アンチノミー」論の独自の再解釈-「此岸」的「悟性」的「対立」関係への再注目、即ち「矛盾」の再評価-が不可欠であったことが検証されねばならない(第二節)。

然るにその「此岸」的「矛盾」への転回-具体的には「懐疑主義論文」、「完遂せる懐疑主義」・「規定的否定」論-の結果として、代案としての新たな「真理」論・「法則」論、「個体性」論の再建が余儀なくされ-キンメアレのいわゆる「内的転換」の問題-、「四/五年論理学草稿」に於ける「因果論批判」-内実は「力」概念批判-の蹉跌から更に自然哲学的発想が根本的に批判され、漸くにして「五/六年精神哲学」の「承認論」的真理論が-「弁証法的運動」本来の真理論として-形成されるに至る(第三節)。

最終的には『精神現象学』「力と悟性」で「力概念批判」-即ち「因果法則」批判-についで提起された「第二法則論」で完成されるヘーゲル本来の「弁証法的」真理論の、その-研究史上未解明の-一連の形成史的内実が闡明されねばならない(第三章)。

が然し、その「真理」論・「法則」論の抜本的改定は、ヘーゲル哲学それ自体のその後の世界観の展開にとってさえ非常な難題として作用せざるを得なかった。「第二法則論」の提起、及びそれを補完する『精神現象学』「緒論」「意識の経験」論、加えて「良心」論の「相互承認」論的真理論・「人倫」論的真理論、等の帰結としての『精神現象学』の「意識の経験」の展開、即ち「弁証法的運動」過程に於て(第一節)、「理性」の章以下の難渋、並びに構想そのものの変化の事実が、その困難を物語る-スピノザの「永遠の相の下」を髣髴とさせる「自然と有限な精神の創造以前の休らえる神の知の叙述」・『大論理学』の構制でさえ、当初からそれが「絶対知(真理)」に立脚するとされることで『精神現象学』的な真理論問題を回避しており、果たしてそれが、その後のヘーゲル哲学も含めて以上の独自の「真理」論・「法則」論的提起を正規に受け止め得たかどうかは疑問の余地なしとしない。ともあれ革な「個体性論」である「相互承認」論的「行為」論の導入により、『精神現象学』は独自の承認論的真理論・存在論の次元に進み、問題はそれとともに社会哲学的な場面に持ち越される(第二節)。ヘーゲルの「近代」観に通底するそこでの見通しは否定的なものたらざるをえず、法則論上の困難ともどもその肯定的契機への期待は-相互承認論的存在論の本質の通り-執筆された『精神現象学』と併せて「時代」に委ねられたと見ることができる(第三節)。

言うまでもなく、カント批判哲学構想の発端を為したのは他ならないヒュームによる「因果律批判」の衝撃だった。超越論哲学の構想によりその哲学的難題に抗してニュートン力学的な世界観を暗々裡に死守したカントに劣らずヘーゲルも亦、-カント超越論哲学構想の哲学的評価も含めて-その課題を自身の哲学思想形成に於て最も深刻に、かつ最も充然に受けとめたと言い得る。決定的相違は「因果論」の肯非にあった。何故なら「因果論」こそ「力学的世界観」-並びにその「実在」-体現するもの、即ち「法則」だったからである。

時代の趨勢であった因果論批判のヘーゲル哲学への受容がカント哲学との、真理論上の決定的差異を生み出すに至ったのである。