文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
桑原 俊介 准教授(美学芸術学研究室)
この原稿を書くべく美学の魅力を考えていた際、どういうわけか私の頭に唐突に浮かんできたのが、学部生時代に初めて目にした「美学藝術学」という奇妙な文字列でした。分厚い文学部便覧の中から不意に姿を現したこの5つの文字列が、私の視線を突如として奪ったのです。ほぼ同重量の漢字が左右に2つずつ翼を広げ、その重心に、あたかもプロペラの軸のように、旧字体の「藝」の字が鎮座し、さらにその文字列を読み上げてみると、「ビガク、ゲイジュツガク」という脚韻を伴った心地よいリズムが私の耳朶を打ったのです。もしかしたらこの瞬間が、私を「美学藝術学」という学問に運命づけた決定的瞬間だったのかもしれません。
「藝」を中心とする文字列は、視覚的に私を魅了し、「ビガク、ゲイジュツガク」の響きは、聴覚的に私を魅了します。そのとき手にしていた、ずっしりと両手に伸し掛かる文学部便覧の重さは、触覚的に、さらにはインクと糊と紙片の発するあの書物独特の匂いは、嗅覚的に、私を魅了していたのかもしれません。さらにいえば、無闇に画数の多い「藝」の字がみせる複雑な内部構造が、「美学藝術学」と呼ばれる学問世界の複雑怪奇な迷宮的あり方を私に想像させていたのかもしれません。
いずれにしても、そのさい私が体験していたのは、「美学藝術学」という学問に関する知性的な情報ではありません。むしろ、この5つの文字列が有する感覚的=感性的なあり方を、私は五感で体験していたのです(想像も含みます)。そもそも「美学」という学問は、「美の学」ではなく「感性の学」として創設されました。18世紀も中頃のことです。こうした出自に鑑みても、美学とは、物事を、世界を、人間を、自然を、感性的=感覚的に体験する次元を扱う学問です。しかもそれを、可能な限り論理的・哲学的に、つまり厳密かつ原理的に、根本まで問い詰める学問です。いまでも芸術が中心ですが、近年ではサブカルチャーやビデオゲーム、さらには美のみならずグロテスクなものやおぞましいもの、さらには雰囲気や自然環境、日常生活にいたるまで、美学の領域は拡大し続けています。

研究室にて
私自身の近年の研究は「感性的真理」という概念をめぐるものです。この概念は、美学の創設者であるバウムガルテンが18世紀中葉に初めて導入した概念であり、従来の知性的真理とは異なる、感性に特有の真理を表す概念です。この新しい真理概念の成立、いわば真理概念の拡張が、美学という新しい学問の成立のための重要な条件のひとつとなったことを真理概念の歴史的展開に沿って実証しています。
また、博士論文では、シュライアマハーを中心とする近代解釈学の研究にも従事しました。1960年代にバルトによって「作者の死」が喧伝されますが、それに先立ち18世紀から19世紀初頭にかけて「作者の誕生」があったことを解釈学の近代化という文脈で実証するものです。当時はまだ、テクストの時代性が考慮されず、テクストを普遍的な真理に還元して読解する方法が一般的でした。例えば、プラトンをカント的に読むことが、正しい解釈とされてきたのです。そこからどのようにして、テクストの歴史性や個別性、作者性を重視する解釈方法が確立されていったのか、その経緯を、当時の古典文献学や聖書解釈学なども参照しつつ明らかにしました。
ともあれ、翻って考えるなら、私個人としては、人間が作り出したものがおもむろに具え始める自然の佇まいのようなものに惹かれ続けてきました。それが人工物であるにもかかわらず、自然や人間と同等の存在の権利をもって存在し始める、いわば、偶然的なものが必然的な存在性を持ち始める、あの不思議な感覚です。彫刻家の手から生み出された彫刻が、いつしか彫刻家の手を離れ、ひとつの独立した現実存在として自立し始めること。一篇の詩が、ひとりの詩人の声を離れ、ひとつの自律した世界を響き出し続けること。こうした、人間の世界から独立してゆく、芸術作品や人工物の作り上げる独自の世界に魅了されて続けてきたのだと思います。
私のこれまでの論文を見ると、「現実性」や「必然性」、「可能性」といった概念が頻出します。芸術や人工物のあり方を、こうした「様相」に即して考える様相存在論が、私の現在の関心の中心です。とはいえ、例えば「可能性」という哲学の根幹にある概念すら、実は時代によって大きな変貌を遂げ、世界の見方を、事物の見方を、大きく変化させてきました。こうした現代とはまったく異なる思考や感性の枠組みで世界を追体験できることも、美学の魅力のひとつを構成しています。
人間が世界を見る視線がどれほど知性によって枠づけられ条件づけられているか、さらにそれがどれほど感性によっても枠づけられ条件づけられているか。さらに、論理学といった純粋に知性的に見えるものの背後にも実は感性の枠組みが潜んでいること。知性の枠組みを感性が条件づけること。そして知性の変化が、感性のあり方を劇的に変化させうること。こうした知性と感性との相互的な依存関係も、私の関心事のひとつです。
「美」や「芸術」、「想像力」といった美学に関する概念史研究も私の専門ですが、概念もまた人間にしたがう従順な道具ではなく、それ自体として、事物のように、個人のことなど気にかけず、独自の展開を遂げてゆきます。とくにそれが急激に変化する切断面を捉えること、それを引き起こした各種条件を思考すること、さらには切断以前の概念に寄り添って世界を知的/感性的に追体験すること。ここにも脱人間中心主義的な感性が見られるのかもしれません。
ところで、友人の建築家のひとりが、N/Λという企画を展開しています。この「N」(=Natur 自然)と「Λ」(=Art 人為、芸術)の間に挟まれた「/」を考えることが、私の課題を視覚的に表現しています。この傾斜したスラッシュが、透明なのか、半透明なのか、あるいはより複雑な多孔的包摂関係を形成しているのか。友人は「A」の文字から横線を抜き取り「Λ」と表記します。こうした「N/Λ」と「N/A」との差異を読み取ることもまた、美学的な感性の問題です。ある美学のシンポジウムでは、「自然は隠れることを好む」というヘラクレイトスの言葉が話題となりました。自然は人間から隠れてゆきます。人間が作り出したものも、自然と同じように人間から隠れてゆきます。この「隠れ」の様態を捉えること、これもまた私の関心の中心にあるといえましょう。
ところで、数年前に、「美学藝術学」研究室は、「美学芸術学」研究室に名称変更しました。私を迷宮に迷い込ませた「藝」の字はもうありません。「藝」の字は「植物の繁茂」を、「芸」の字は「雑草の除去」を意味します。その成否はどうあれ、「藝の呪縛」から抜け出せるのかどうかもまた、私の感性の次元に懸かっています。
「藝」を中心とする文字列は、視覚的に私を魅了し、「ビガク、ゲイジュツガク」の響きは、聴覚的に私を魅了します。そのとき手にしていた、ずっしりと両手に伸し掛かる文学部便覧の重さは、触覚的に、さらにはインクと糊と紙片の発するあの書物独特の匂いは、嗅覚的に、私を魅了していたのかもしれません。さらにいえば、無闇に画数の多い「藝」の字がみせる複雑な内部構造が、「美学藝術学」と呼ばれる学問世界の複雑怪奇な迷宮的あり方を私に想像させていたのかもしれません。
いずれにしても、そのさい私が体験していたのは、「美学藝術学」という学問に関する知性的な情報ではありません。むしろ、この5つの文字列が有する感覚的=感性的なあり方を、私は五感で体験していたのです(想像も含みます)。そもそも「美学」という学問は、「美の学」ではなく「感性の学」として創設されました。18世紀も中頃のことです。こうした出自に鑑みても、美学とは、物事を、世界を、人間を、自然を、感性的=感覚的に体験する次元を扱う学問です。しかもそれを、可能な限り論理的・哲学的に、つまり厳密かつ原理的に、根本まで問い詰める学問です。いまでも芸術が中心ですが、近年ではサブカルチャーやビデオゲーム、さらには美のみならずグロテスクなものやおぞましいもの、さらには雰囲気や自然環境、日常生活にいたるまで、美学の領域は拡大し続けています。

研究室にて
また、博士論文では、シュライアマハーを中心とする近代解釈学の研究にも従事しました。1960年代にバルトによって「作者の死」が喧伝されますが、それに先立ち18世紀から19世紀初頭にかけて「作者の誕生」があったことを解釈学の近代化という文脈で実証するものです。当時はまだ、テクストの時代性が考慮されず、テクストを普遍的な真理に還元して読解する方法が一般的でした。例えば、プラトンをカント的に読むことが、正しい解釈とされてきたのです。そこからどのようにして、テクストの歴史性や個別性、作者性を重視する解釈方法が確立されていったのか、その経緯を、当時の古典文献学や聖書解釈学なども参照しつつ明らかにしました。
ともあれ、翻って考えるなら、私個人としては、人間が作り出したものがおもむろに具え始める自然の佇まいのようなものに惹かれ続けてきました。それが人工物であるにもかかわらず、自然や人間と同等の存在の権利をもって存在し始める、いわば、偶然的なものが必然的な存在性を持ち始める、あの不思議な感覚です。彫刻家の手から生み出された彫刻が、いつしか彫刻家の手を離れ、ひとつの独立した現実存在として自立し始めること。一篇の詩が、ひとりの詩人の声を離れ、ひとつの自律した世界を響き出し続けること。こうした、人間の世界から独立してゆく、芸術作品や人工物の作り上げる独自の世界に魅了されて続けてきたのだと思います。
私のこれまでの論文を見ると、「現実性」や「必然性」、「可能性」といった概念が頻出します。芸術や人工物のあり方を、こうした「様相」に即して考える様相存在論が、私の現在の関心の中心です。とはいえ、例えば「可能性」という哲学の根幹にある概念すら、実は時代によって大きな変貌を遂げ、世界の見方を、事物の見方を、大きく変化させてきました。こうした現代とはまったく異なる思考や感性の枠組みで世界を追体験できることも、美学の魅力のひとつを構成しています。
人間が世界を見る視線がどれほど知性によって枠づけられ条件づけられているか、さらにそれがどれほど感性によっても枠づけられ条件づけられているか。さらに、論理学といった純粋に知性的に見えるものの背後にも実は感性の枠組みが潜んでいること。知性の枠組みを感性が条件づけること。そして知性の変化が、感性のあり方を劇的に変化させうること。こうした知性と感性との相互的な依存関係も、私の関心事のひとつです。
「美」や「芸術」、「想像力」といった美学に関する概念史研究も私の専門ですが、概念もまた人間にしたがう従順な道具ではなく、それ自体として、事物のように、個人のことなど気にかけず、独自の展開を遂げてゆきます。とくにそれが急激に変化する切断面を捉えること、それを引き起こした各種条件を思考すること、さらには切断以前の概念に寄り添って世界を知的/感性的に追体験すること。ここにも脱人間中心主義的な感性が見られるのかもしれません。
ところで、友人の建築家のひとりが、N/Λという企画を展開しています。この「N」(=Natur 自然)と「Λ」(=Art 人為、芸術)の間に挟まれた「/」を考えることが、私の課題を視覚的に表現しています。この傾斜したスラッシュが、透明なのか、半透明なのか、あるいはより複雑な多孔的包摂関係を形成しているのか。友人は「A」の文字から横線を抜き取り「Λ」と表記します。こうした「N/Λ」と「N/A」との差異を読み取ることもまた、美学的な感性の問題です。ある美学のシンポジウムでは、「自然は隠れることを好む」というヘラクレイトスの言葉が話題となりました。自然は人間から隠れてゆきます。人間が作り出したものも、自然と同じように人間から隠れてゆきます。この「隠れ」の様態を捉えること、これもまた私の関心の中心にあるといえましょう。
ところで、数年前に、「美学藝術学」研究室は、「美学芸術学」研究室に名称変更しました。私を迷宮に迷い込ませた「藝」の字はもうありません。「藝」の字は「植物の繁茂」を、「芸」の字は「雑草の除去」を意味します。その成否はどうあれ、「藝の呪縛」から抜け出せるのかどうかもまた、私の感性の次元に懸かっています。