文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。

鈴木 泉 教授(哲学研究室)

 40年ほど前、総合図書館の開架の棚から岩波文庫の青帯シリーズの一冊を取り出して読み始めた大学三年生は、そこに何が書いてあるかすら分からなかったので、すぐに棚に戻しました。青インクによる無数の書き込みのあったその書物の題名はスピノザの『デカルトの哲学原理 附 形而上学的思想』(畠中尚志訳、1959年)、斜め読みしたのは後半の『形而上学的思想』でした。40年後、その学生に他ならない私は『形而上学的思想』の翻訳を刊行することになります。私の研究はこの振幅の中にあります。ちんぷんかんぷんであった一冊の本を翻訳するまでに至る。このこと自体はとても小さなことですが、その間に切り拓かれて来た研究について記します。

 私は、スピノザを中心とした17世紀の大陸系の哲学とドゥルーズやミシェル・アンリといった20世紀後半以降のフランス哲学を主たる研究のフィールドとしています。
「研究の対象」ではなく「研究のフィールド」と少し気取った言い方をしたのは、哲学の場合、ある対象を研究することそれ自体が目的ではなく、その研究を通して哲学そのものを実践すること、研究対象に最終的に委ねるのではなく、特定の哲学者たちの思索をあくまでも研究のフィールドとし、その先に哲学そのものを実践することが重要だと考えるからです。
 それでも、私が、上にあげたような哲学者たちの思索を主たる研究のフィールドとした理由はどこにあったのでしょう。最初の経緯はとても単純なものでした。ピアニスト(の卵)がバッハやショパンを学び、ロック・ミュージシャンがビートルズや頭脳警察をカヴァーすることから、その音楽を始めるように、哲学の門前の小僧にも訓練が必要です。哲学においてバッハにあたるのは18世紀ドイツの哲学者カントですが、私は専門的な訓練の対象としてはデカルトを選びました。ドゥルーズのような自由かつ柔軟、そしてアナーキーな(現代)フランス哲学への憧れがあり、また、哲学が制度化される以前の野生の思考が展開される束の間の奇蹟のような17世紀の哲学に強く惹かれたからでしょう。
 30代のパリ留学を経て、「研究のフィールド」は定まります。かつて、私の師の一人は「カントは100年に一人の天才、ライプニッツが1000年に一人の天才」という人口に膾炙する言葉を残しましたが、微積分法の発見者(の一人)にして独創的な形而上学を形成したライプニッツは確かに相対的には天才だとして、スピノザの思索の絶対的な異例性は際立っているように思われました。スピノザは人間的な尺度としての暦を超えている。この現実としての神=自然しか存在しない、全ては必然である、人間はその自然のごくごく一部であり、環境との触発関係の中で自らの姿を変容していく、ちょうどサーファーのように。このような哲学は、少なくともヨーロッパ世界においてはなかなか受け入れられませんでしたし、18世紀後半のドイツにおいて肯定的に評価されるにしても、それはヨーロッパ世界において理解されうるような姿にその棘を抜かれた上でのことでした。


手許に抱えているのは、1677年刊行のスピノザ『遺稿集』ラテン語版

 スピノザの思索の有する棘の異例性を哲学的に洗練させること、私の研究の多くはこのことに捧げられてきました。棘が本当の棘であることを解明するためには、スピノザの思索を(近世スコラ学やデカルト哲学といった)同時代のコンテクストに位置づけたりーー冒頭にあげた『形而上学的思想』はこのような解明がないと理解できないのですーー、マルブランシュ・ライプニッツらの思索との対比においてその固有性を浮かび上がらせること、さらにはヨーロッパにおける形而上学形成史を探究することが必要でしたし、また、その棘の鋭さを解明することに寄与した20世紀後半のドゥルーズやジャン=リュック・マリオンを始めとする哲学者・哲学史家たちの助けも必要でした。それらの研究の一端は、2022年12月に刊行が開始され、2026年には完結する予定の『スピノザ全集』(上野修さんとの共同編集、岩波書店、全6巻+別巻)において披露しています。

 他方、現代フランス哲学に関しては、スピノザ研究と緩やかに連関しつつ、ヨ―ロッパ世界の哲学が強固に作り上げてきた一なるものによる結集の論理に抗するように、多様にして可塑的なものへと開けられた論理を創出する(=ドゥルーズ)、その結集の論理にまつろわずにその外を示す(=アンリ、レヴィナス、マリオン)、といった思索の冒険に心惹かれ学んできました。

 哲学に関する冒頭の(関西風の表現で言えば)イキった仕方で記した内容を実現することは確かに難しい。スピノザ研究というごく限られたフィールドだけに関して言っても、未だに分からないことだらけです。たとえば、恐らくはスピノザの最初の著作である『知性改善論』には、古代ローマ帝政期の哲学者・劇作家セネカからの強い影響関係が見られますが、そのような人文学的探究はとても興味深いものです。そもそもこの著作は未完に終わるのですが、どのような意味で未完に終わったのか(根本的な問題を抱えているために未完に終わったのか、完成するための時間が足りなかったのか等々)すら、研究者の間で統一的な結論が得られているわけではありません。こういった研究には人文学特有の喜びがあります。たった二つの単語の解釈から、スピノザの残した初期著作の執筆年代が逆転する大きな可能性が提起されたこともありました。和辻哲郎が好んで引いた晩年のケーベルの「Philologie(文献学)は何も約束しないが、今となってみれば、自分は実に多くのものをそこから学ぶことができた」という言葉を私は尊敬をもって胸に抱きます。 
 しかしながら、「特定の哲学者たちの思索をあくまでも研究のフィールドとし、その先に哲学そのものを実践すること」の重要性を最終的には私は信じています。ただし、そこには若干の説明が必要でしょう。この文言の前半にも重要な意味があります。それなら、哲学そのものの実践にじかに飛び込めばいいではないか、基礎訓練は終えているんだろうから、という問いに対しては、身の丈数メートルの経験から離脱して思索するためには、スピノザのような棘をもった思索や哲学史のバネが必要だと答えたい。そして、事柄だけ約めて言えば、一と多をめぐる形而上学的関係を結集する一なるものから解放する多様体の哲学、人間を中心とせずに人間が他の何かに変容する経験の新たな次元を示すような非人間主義の哲学、こういった哲学の実践をスピノザやドゥルーズの思索を引き延ばすような仕方で展開することがその先に控えていて、私はそのような思索の実践にこの上ない魅力を今なお感得し続けています。
東京大学・教員紹介ページ
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文学部・教員紹介ページ
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