文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
土肥 秀行 准教授(南欧語南欧文学研究室)
えらそうなことは言えませんが、日本におけるイタリア文学を学ぶ人の流れを絶やさぬよう、イタリア語イタリア文学研究室(注)としては、志を同じくする人たちを束ねています。京都大学に続いて生まれた、現在までのところ日本で最新のイタリア語イタリア文学に特化した研究室にとって、2029年が創設から半世紀にあたります。ようやく歴史を意識できるようになってきた日本におけるイタリア文学研究ですが、在籍する学生としては、力むことなくイタリア文学への関心を広く深く展開してもらえばよいでしょう。
かくゆう私は、須賀敦子氏や和田忠彦氏の翻訳で親しんでいたイタリア文学への接近を本格化させたのは大学院進学からで、「読める」感覚を得られたのはそれから数年後、ボローニャ大学に留学して現地の博士課程に入ってからです(留学後3年は経過)。副次効果として、イタリア語の会話力がついたのもそのころでした。外国人としてイタリア文学を学ぶ者として自身をどこまで意識していたかわかりませんが、イタリア文学界では正統ではないテーマを選んでいました。20世紀後半に活躍したパゾリーニが大学での研究対象としてようやく認められつつあった時代に、その彼の無名期の方言作品にフォーカスしようとする私の研究テーマは、「なぜ外国人が(イタリア語も満足にできないのに)方言に手を出すのか」との反論にも遭いました。それでも反骨とチャレンジ精神からでしょうか、どんな研究にも必要な新機軸を生み出すのに躍起になっていました。
かくゆう私は、須賀敦子氏や和田忠彦氏の翻訳で親しんでいたイタリア文学への接近を本格化させたのは大学院進学からで、「読める」感覚を得られたのはそれから数年後、ボローニャ大学に留学して現地の博士課程に入ってからです(留学後3年は経過)。副次効果として、イタリア語の会話力がついたのもそのころでした。外国人としてイタリア文学を学ぶ者として自身をどこまで意識していたかわかりませんが、イタリア文学界では正統ではないテーマを選んでいました。20世紀後半に活躍したパゾリーニが大学での研究対象としてようやく認められつつあった時代に、その彼の無名期の方言作品にフォーカスしようとする私の研究テーマは、「なぜ外国人が(イタリア語も満足にできないのに)方言に手を出すのか」との反論にも遭いました。それでも反骨とチャレンジ精神からでしょうか、どんな研究にも必要な新機軸を生み出すのに躍起になっていました。

映画監督としても有名なパゾリーニ、しかし彼の方言詩へとむかった博士論文と単著から、今度はテーマをずらしていきます。近年では、20世紀はじめの前衛運動「未来派」に着目し、日本の短詩形への異国趣味(エキゾシズム)を発見し、さらにはアーティストによる宣言文(「疾走する自動車はサモトラケのニケより美しい」といった主張が詰まっている)の文学的価値を見出す、といったことをしています。
研究へとむかうとき、われわれは新しいことへの誘惑とプレッシャー、先の見えぬ不安とワクワク、躍動感やダイナミズムのないまぜになったものにおしつぶされそうになります。自分らしい研究をせねばならない一方で、多くのマナーに従わねばならず、論文を書くにも、面倒なプロセスを経ることになります。いずれにせよ、千里の道も一歩から、「ああ、このイタリア語のフレーズの意味がわからない」というところからはじまります。「わからない」→「わかった」がたまりません。あしたはどんな小さな発見があるだろう、そう思えれば、研究は続けていけます。
イタリア文学について、少しでも興味をもっていただけたら扉をたたいてみてください。どんなことでもきいてください。→土肥秀行 hidedoi☆l.u-tokyo.ac.jp(☆を@に変えてご使用ください)
研究へとむかうとき、われわれは新しいことへの誘惑とプレッシャー、先の見えぬ不安とワクワク、躍動感やダイナミズムのないまぜになったものにおしつぶされそうになります。自分らしい研究をせねばならない一方で、多くのマナーに従わねばならず、論文を書くにも、面倒なプロセスを経ることになります。いずれにせよ、千里の道も一歩から、「ああ、このイタリア語のフレーズの意味がわからない」というところからはじまります。「わからない」→「わかった」がたまりません。あしたはどんな小さな発見があるだろう、そう思えれば、研究は続けていけます。
イタリア文学について、少しでも興味をもっていただけたら扉をたたいてみてください。どんなことでもきいてください。→土肥秀行 hidedoi☆l.u-tokyo.ac.jp(☆を@に変えてご使用ください)
(注)令和7年4月1日より「南欧語南欧文学研究室」から「イタリア語イタリア文学研究室」へ名称変更いたします。