文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
福田 正宏 准教授 (考古学研究室)
考古学では、遺跡の発掘調査で得られた資料をもとに、人類の歴史を紐解きます。人類が活動した地球上のすべての時代、すべての地域が研究対象となるので、世界中にありとあらゆるテーマを持った考古学者がいます。考古学の研究は、遺跡や遺物を悉皆的に観察、分析することから始まるので、とにかく根気が求められます。しかも、長丁場の発掘調査は体力を削ります。それをやり続けられるのは、単純に楽しいから、そしてやりがいがあるからという理由にほかなりません。
私が主たる研究対象地域として毎年遺跡発掘調査を行っているのが、北海道やロシア極東を中心とした環日本海北部です。およそ北緯40~55度、温帯から亜寒帯への移行帯における、新石器時代の始まりから紀元後に国家的な統一体が出現するまでの間の歴史動態全般を扱っています。とくに、文字を使わなかった社会の歴史に注目しています。この地域の歴史は、教科書でよく語られる東アジア諸国の歴史の外縁とされています。文学部のなかでも特殊な学問とされる考古学ですが、私の研究はそのなかでも変わっていると言われます。この地域にこだわる理由はいくつもありますが、特に大きいのは、北海道出身の私にとって、教科書で学んだ日本史ではなく「北方」の世界がもともと身近にあったということかと思います。

この地域は広大で、開発がまばらであり、遺跡調査の網の目は私たちが本州で普段見るようなものほど細かくありません。遺跡の新規発見とその徹底調査・分析が研究の重要なプロセスとなっています。今あるデータだけでは語りようもない時期や地域がまだいくつも残っているのです。また、この地域は日本列島がユーラシア大陸と接する位置にあることから、かねてより大陸―列島間における関係性の有無の追究が主要な課題とされてきました。多様な地形や気候環境を包摂する領域であり、当然のことながら、そこには多様な歴史生態学的な背景をもった民族文化が数多く存在しています。ですが、そうした地域を直に訪れて一次資料を分析しようとする人は、案外少ないものです。日本の研究事例の脈絡で説明できそうな諸現象を他人の本や論文から拾い上げるだけで、その地域の実情を本当に理解することができるでしょうか。私は時々、本郷でじっとしていることに耐えられなくなります。フィールドに立ち、その地の景観を知り、微細な遺物まで丁寧に掘り出して実際に触れながら、当時そこに住んだ人たちの生活をじっくりと考えたいという衝動にかられます。
私の扱う世界では、見た目が良く現代社会で珍重されるような工芸品もごくたまに出土します。けれども、出土品のほとんどは日常生活に密着した土器や石器の破片や食料残滓です。発掘現場で得られたすべての情報を駆使して、今はもう見えなくなってしまったもの、人や社会について語らせます。そのやり方はたいへん泥臭いものであり、結果をまとめるのにも時間がかかります。ですが、私たちはそこに価値を見いだしています。
今日、多様なバックグラウンドをもつ世界各地の研究者たちが、日本やその周辺の遺跡について考えています。そのなかで研究の手法を世界水準に合わせていくことは大切ですが、研究の指向には国民性や地域性、あるいはもっと小さな個性が残されていてもいいはずです。日本の周辺の国々は、それぞれ国情も使用言語も歴史認識も異なっています。その国やその地域に合ったやり方はあると思います。考古学は、それぞれのやり方や考え方を持ち寄り、現代社会の理屈で線引きされている国や地域の枠組みを超えて議論することができます。私はそこに魅力を感じています。
この文は2024年の夏に書いています。今、隣国ロシアとの政治関係に翻弄され、私たち日本の考古学者はこれまで数十年間続けてきた学術交流を制限されています。国境線のむこうに住む仲間たちも、別の形で苦しんでいます。私の主たる研究対象は、アジアの中のロシアです。一緒に研究しているのは、同じく日本海を取りかこむ極東各地で生まれ育った人たちです。それぞれの国で歴史教育を受けてきましたが、国の「中央」の歴史には直接触れてこなかった人たちが中心です。私は今、学問の進展を止めないよう、国内外の研究者たちと協力をしながら、ロシア側で進められている研究を取り入れようと四苦八苦しています。前世紀の冷戦期を前例とすべきかもしれませんが、情報のグローバル化が進んだ現在は状況がまるで異なります。その詳細については省略しますが、この文がもし数十年後に読まれるとすれば、そのとき、私の挑戦が失敗したのか、あるいは後進のために多少は役に立ったのかがわかることでしょう。
私の研究は異端なのかもしれませんが、答えをすぐに出せない人文学の価値と役目を少しでも見いだしてくれると幸いです。
私が主たる研究対象地域として毎年遺跡発掘調査を行っているのが、北海道やロシア極東を中心とした環日本海北部です。およそ北緯40~55度、温帯から亜寒帯への移行帯における、新石器時代の始まりから紀元後に国家的な統一体が出現するまでの間の歴史動態全般を扱っています。とくに、文字を使わなかった社会の歴史に注目しています。この地域の歴史は、教科書でよく語られる東アジア諸国の歴史の外縁とされています。文学部のなかでも特殊な学問とされる考古学ですが、私の研究はそのなかでも変わっていると言われます。この地域にこだわる理由はいくつもありますが、特に大きいのは、北海道出身の私にとって、教科書で学んだ日本史ではなく「北方」の世界がもともと身近にあったということかと思います。


利尻神社下遺跡(北海道利尻島)にて発掘作業中の福田先生。
ここでは年代測定用に縄文時代の人類活動の痕跡に伴う木炭片を採取しており、脆い遺物をできるだけ破損させないよう、竹ベラや竹串といった柔らかい素材の道具を使用しています。出土遺物の原位置を保ちながら、慎重に露出作業を進め、状況に応じて金属製の道具と使い分けています。竹ベラは手作りです。
私の扱う世界では、見た目が良く現代社会で珍重されるような工芸品もごくたまに出土します。けれども、出土品のほとんどは日常生活に密着した土器や石器の破片や食料残滓です。発掘現場で得られたすべての情報を駆使して、今はもう見えなくなってしまったもの、人や社会について語らせます。そのやり方はたいへん泥臭いものであり、結果をまとめるのにも時間がかかります。ですが、私たちはそこに価値を見いだしています。
今日、多様なバックグラウンドをもつ世界各地の研究者たちが、日本やその周辺の遺跡について考えています。そのなかで研究の手法を世界水準に合わせていくことは大切ですが、研究の指向には国民性や地域性、あるいはもっと小さな個性が残されていてもいいはずです。日本の周辺の国々は、それぞれ国情も使用言語も歴史認識も異なっています。その国やその地域に合ったやり方はあると思います。考古学は、それぞれのやり方や考え方を持ち寄り、現代社会の理屈で線引きされている国や地域の枠組みを超えて議論することができます。私はそこに魅力を感じています。
この文は2024年の夏に書いています。今、隣国ロシアとの政治関係に翻弄され、私たち日本の考古学者はこれまで数十年間続けてきた学術交流を制限されています。国境線のむこうに住む仲間たちも、別の形で苦しんでいます。私の主たる研究対象は、アジアの中のロシアです。一緒に研究しているのは、同じく日本海を取りかこむ極東各地で生まれ育った人たちです。それぞれの国で歴史教育を受けてきましたが、国の「中央」の歴史には直接触れてこなかった人たちが中心です。私は今、学問の進展を止めないよう、国内外の研究者たちと協力をしながら、ロシア側で進められている研究を取り入れようと四苦八苦しています。前世紀の冷戦期を前例とすべきかもしれませんが、情報のグローバル化が進んだ現在は状況がまるで異なります。その詳細については省略しますが、この文がもし数十年後に読まれるとすれば、そのとき、私の挑戦が失敗したのか、あるいは後進のために多少は役に立ったのかがわかることでしょう。
私の研究は異端なのかもしれませんが、答えをすぐに出せない人文学の価値と役目を少しでも見いだしてくれると幸いです。