浅野 倫子 准教授 (心理学研究室)

いまあなたはこの文を読み、意味を理解していらっしゃることと思います。考えてみれば、文字はぐにゃぐにゃとした線分の塊にすぎず、文や文章はそれが寄り集まったものなのに、どうして文字だと認識でき、その意味が理解できるのでしょうか。文字だけではありません。人間はどうやって人の顔やパソコンなどの物体を見分けたり、声や音楽を聴き分けたり、手触りから素材を当てたり、それらが好ましい、好ましくないなどの評価をしたりしているのでしょうか。大量の情報が絶え間なく目、耳、皮膚などの感覚器官に飛び込んでくる中で、どうして頭が(基本的には)パンクせずにいられるのでしょう。私が専門とする認知心理学は、これらのような、人間の内面での情報処理の仕組みを明らかにしようとする学問領域です。
 
認知心理学を含む心理学は、よく、「心の科学」と表現されます。この際の「心」とは、感情や気持ち(英語で言うならばheart)ではなく、それらを含めた、人間の内面の働き全般(心的活動、精神活動。英語で言うならばmind)を指します。大まかには「脳の働き」と言い換えてもいいかもしれません。その「心」の働きを、実験や調査によるデータ計測という科学的な手法を用いて明らかにしようとするところに心理学の特徴があります。
心理学にはさまざまな分野があり、たとえば、社会心理学は社会における人の心のふるまいの解明を、臨床心理学は悩みや病気など心のトラブルを抱えた人の理解や支援を、教育心理学は心理学の知見を教育に生かすことを主眼に置いています。それに対し、認知心理学は、人間が、感覚器官を通して外界から得たり、自分の記憶内から取り出したりした情報をどのように処理し、物事の認識や思考につなげているかを明らかにすることを目指しています。そのような処理は時に、非常に迅速かつ無意識的で、主観的には捉えがたいものだったりします。また、主観的印象と客観的事実が食い違うことも多々あります(たとえば、主観的には絶対に見落としようがなさそうなものを見落としてしまい、後で気づいて愕然とした、というような経験は誰にでもあるのではないでしょうか)。そのため、認知心理学では、協力者の方にさまざまな実験条件の下で課題に取り組んでいただき、課題の正答率や、回答までの所要時間、特定の回答選択肢の選択率などの客観データを計測するのです。fMRI(磁気共鳴機能画像法)や脳波測定などの技術を用いた脳機能計測をしたり(そのような研究は世間では「脳科学」と呼ばれたりもしています)、感覚器官や脳の細胞の特性と関連付けて議論したりすることもあります。
 

認知心理学の典型的な実験の一風景。
画面に出た画像の中に,指定されたものがあるかどうかをできるだけ早くかつ正確に判断してキー押しで回答する。
1/1000秒の精度で厳密に測定することが一般的。目元の特殊なカメラで視線計測をする場合もある

 
ここまで読んで、本当にこれは「文学部の」ひとについての記事なのかと不安に思った方もいるかもしれません。ご安心ください、これは文学部についての記事です!(認知)心理学は、手法こそは自然科学的ですが、明らかにしたい問い、すなわち「人間はどのようなものか、人間はどのようにして世界を認識しているのか」という問題意識は人文社系のものです。そのため、私が所属する心理学研究室は文学部の一員なのです。
私が認知心理学に魅力を感じる理由の1つは、そのような「人文社会系の問いに、自然科学的手法を用いて挑む」というユニークさと、そこから生じる学際性の高さにあります。「人間はどのようにして世界を認識しているのか」という問いは、哲学的であると同時に、私たちの日常生活に密接に関わっています。どのように世界を認識しているかが分かるということは、どのようなときに認識に失敗しやすいか、例えばどのようなときに見間違えたり、見落としたりしやすいかも分かるということです。そのため、認知心理学の研究成果は、交通や産業などの日常生活場面に生かされていますし、安全工学などの工学分野ともつながりがあります。また、脳の働きを研究対象としていることから、医療分野ともつながりがあります。人工知能ともつながりの深い分野です。科学的手法を用いているため、自然科学系の研究分野とも交流がしやすいのです。様々な分野との垣根を超えた交流はいつだって刺激的です。

心理学研究室にて

認知心理学が面白いと思うほかの、そして最大の理由は、とにかく人間は面白い存在だということです。人間は、非常に高度な知性や創造性を発揮する一方で、合理的でなかったり、ひどく大雑把だったり、不可解な振る舞いをしたりすることもあります。そして、そのような行動の奥にあるものを探究していくと、限られた能力や処理資源の中でも素早く(完璧ではなくても)概ねよい判断や行動ができるような「心」の働きの仕組みが垣間見えてきて、感嘆することもしばしばです(そうやって人ごとのように感嘆しているのも私の「心」なのが、いつもシュールだなと思いますが)。また、世界の認識の仕方には大きな個人差があるということにも気づかされます。思想や信条、何らかの点での指向・志向が多様であるのはもちろんのこと、例えば文字を見たときに色の印象を感じるか(世の中の1~2%程度の人は感じると報告されています)など、単に「物を見る」ということにおいてすら、大きな個人差が存在します。このように、人間の多様性についても深く向き合うことができる研究分野です。認知心理学を研究すると、日常の一瞬一瞬で、人間の面白さのとりこになります。

東京大学・教員紹介ページ
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/k0001_04414.html
 
文学部・教員紹介ページ
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/teacher/database/14218.html