文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。

池田 嘉郎 教授(西洋史学研究室)

私の研究の魅力は何かという問いにいま答えるのは難しい。なぜならば戦争が始まってから研究を取り巻く状況が大きく変わってしまったからである。ロシアに入国して史料を読むのが困難になったとか、ロシア史のもつ帝国性を再検証する気運が高まっているとか、私が気にしているのはそうしたことではない。私を含む一人ひとりの研究者による状況の捉え方があまりにも様々であるので、恒常的な眩暈を感じているのである。なので、研究の魅力という問いに直接に答えることはしないで、いま自分がどういう研究をやりたいのかを率直に書いてみる。それをどう読むかは読者におまかせする。
 
自分がやらねばならないことは変わっていない。ロシアとは何かを見極めることである。私はロシア史研究者であり、ロシアのことが好きである。ただこれまでは歴史の相に関心を向けてきたのであるが、果たして歴史とは何だろう。あるどこかの地点で途切れる帯であって、そこから手前は歴史とは違う現在ということになるだろうか。これまではそのように自分の頭の中で処理してきたところもあったのだが、戦争はすべての敷居をとっぱらってしまった。過去の、とくにソ連期のロシアの暴力が、目の前に生のままで突き出された感じだ。あらためて思わざるを得ない、過去は現在を貫き未来に伸びてゆくと。逆もまたそうで、絶えず生成されている現在が過去に向けて延々と積み重なっていくのだ。だから私はこれからは、現在も歴史として把握し直して、ロシア史またロシアを研究していきたい。
 
   沼野充義先生、松里公孝先生と   

具体的な見通しはある。あの巨大な衝動を生み出す仕組みの根幹にあるものは何なのか、それはどのように作動しているのか。結局これは権力の問題である。だから私はロシア史における権力について考えていくつもりだ。これまでもそうしてきたのだが、これからもそこに食い込もうと思う。権力とは社会の成員がみなでその作動に関わっている力の場のことである。だからどこから手をつけても権力の問題には切り込んでゆけるのだが、実態としての制度と機構としての制度が交差しているところには、こちらもうまく手を引っ掛けやすいのではないか。今日のことであれば大統領権力を議会がどう支えているのか、帝政期のことであれば皇帝政府の機能に議会はどう関わったのかということである。前者については考え始めたばかりで、ロシア国制に占める議会の位置についての議員集団の認識を手探り的に追っているところだ。後者については1905年から1908年くらいに焦点を絞って、「歴史的権力」と自称する皇帝権力が議会を自らの作動に組み込む過程を追っている。「権力とは何か」という問題は、別にロシアに限らず普遍的によく分からないものなのだが、20世紀初頭のロシア人たちは、法学者は国法学の言葉で、皇帝や政治家たちは伝統的言語や振舞いによって、それぞれこの問いの答えを輪郭化しようとした。ソ連期については前後の時期にはない特色がある。社会成員の機能分化を促す市場経済がなかったために、権力の作動は帝政期や現代ロシアにも比して、有機体的な形態をとったのである。ソ連期とはロシア史上もっとも反近代的な時代であった。1930年代のモスクワ改造を対象として、首都モスクワを一個の生きた身体としてとらえ、そこから国家身体としてのソ連を照らし出したい。
 
現在と過去の閾だけが戦争によって取っ払われたのではない。歴史学と文学の境界も自分にとってはなくなった。もっともこれは戦争によって起こったのではなく、以前から私は文学的な世界を歴史学に引き入れるにはどうすればいいかを考えていた。ただ、戦争が起こったことで、人間のおかれている状況を総体として考え、文字や史料の形では残らないことをとらえるということの意味を、よりいっそう検討するための後押しを得たのだと思う。私は10年ほど前からアンドレイ・プラトーノフというスターリン時代の作家の小説を翻訳してきたのだが、それがちょうどこの2023年に活字になった。『幸福なモスクワ』という題で、個人を越えた全体の幸福を求め、そんなことはうまくいくはずがないので挫折して、なおひとり生き続ける人々の物語である。1930年代前半に書かれて、ソ連崩壊の年にようやく雑誌に発表された。邦訳は私のものが初めてである。翻訳しているときは歴史学の仕事とは別に文学にも関わっているような気分があったのだが、本になってみるともう分野の区別をつける必要もないだろうと思う。歴史学も文学もともに探求して、ロシア史における人間のありようを全体として探っていきたい。

池田 嘉郎   東京大学・教員紹介ページ
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