フランス語フランス文学研究室:研究室一覧

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研究室紹介

「フランス語のテクスト」という対象

 「フランス語フランス文学」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。スタンダール、バルザック、フローベール、プルーストといった小説家たちの名前でしょうか。ボードレール、ランボー、マラルメといった19世紀の偉大な詩人たちの名前でしょうか。サロート、シモン、デュラスなど現代の作家たちの名前や、『三銃士』、『海底二万マイル』、『星の王子様』など日本の子供たちにも親しまれている作品のタイトルかもしれません。もっと時代を遡って、16世紀のラブレーとモンテーニュの時代から、思想家(デカルト、パスカル)・劇作家(コルネイユ、モリエール、ラシーヌ)を輩出した17世紀を経て、モンテスキュー、ルソー、ディドロらが続々と現れた18世紀までの西欧文化史上の有名人たちを思い浮かべる方もいるでしょう。あるいは、実存主義から構造主義・ポスト構造主義へと連なる20世紀の哲学者・思想家たちのことを考えてもかまいません。

 フランス語フランス文学研究室(以下「仏文」)では、こうしたフランス語で書かれたさまざまな作品をとりあげます。つまり、「フランス語フランス文学」が対象とするのは、詩・小説・戯曲・批評といった狭い意味の「文学」のみならず、現在では哲学・歴史・文学・社会科学といったさまざまな学問領域に分かれた「フランス語のテクスト」一般です。実際、ルネッサンス期以来、フランス語の書き手たちは、さまざまな領域で、それぞれの領域の創設や革新に携わってきました。エッセーという形式で自分自身について語ることを始めたモンテーニュや、俗語で哲学書を著した先駆者デカルト、現代的な意味での「世界史」の創始者の一人ヴォルテール、さらには言語学・人類学・精神分析・フェミニズムの領域でソシュール、レヴィ=ストロース、ラカン、ボーヴォワールたちが果たした知的変革など、その例は枚挙にいとまがありません。ひるがえって、シュルレアリスムやヌーヴォーロマンのような集団的な文学運動のかたちこそとらないものの、フランス語圏では現在もなお、詩・小説・戯曲といった諸ジャンルで、またそうした既成のジャンルの枠外で、多様な文学作品がさかんに生み出されています。

 仏文ではこれまで、なによりも学生個々人の自発的な関心を尊重し、フランス文学研究・フランス思想研究などの分野で優れた研究者を輩出してきただけでなく、「フランス語のテクスト」に触発されながら、日本の芸術・文化の諸分野で活躍する数多くの作家・芸術家・批評家を生み出してきました。この研究室の良き伝統は現在も引き継がれており、学部生のあいだはまず、特定の作家や作品の研究に視野を限定せず、翻訳を介してでも「フランス語のテクスト」の広がりについて知見を深め、自分自身の関心を発見することが推奨されています。

 

仏文研究室から開ける世界

 現在、仏文研究室の専任教員は塚本昌則、塩塚秀一郎、王寺賢太の日本人3名、マリアンヌ・シモン=及川のフランス人1名の計4名がおり、近世・近代・現代の文学・思想を専門的かつ幅広く学び、読み・書き・話すフランス語の実践的な力を身につけるための充実したカリキュラムを準備しています。専任教員だけではカバーすることのできない領域に関しては、多くの非常勤講師を招いてその欠落を補っているのも大きな特徴で、2021年度には、春学期・秋学期あわせて、中世フランス語、フランス語言語学、17世紀思想・文学、近代詩、20世紀思想・文学の計5名の非常勤講師の先生方に出講をお願いしています。

 学部生・大学院生あわせて現在の在籍者は、40名あまり。現在のコロナ感染症対策のもと、この学生たちが大学の授業の場で、あるいはフランス語の辞書・事典類が揃った研究室で、互いに顔を会わせながら刺激を与え合うといった理想的な状況は望むべくもありませんが、仏文では、大学の方針を遵守しながら、オンライン・ハイブリッドなどさまざまな形態で、学生たちが出会い、議論する場を維持することに最大限配慮しています。

 仏文において、研究室という場所は本来、学生たちが集い、勉強をする場であるだけでなく、フランスほか諸外国から研究者を招いて行われる講演会やゼミの開催の際には、そうした第一線の研究者と直接交流し、現在の世界の学問動向を知る場でもあります。また、この研究室をステップとして、さまざまな交流協定を利用して海外留学し、留学先でさらなる研究を続ける学生も少なくありません。仏文は、とりわけパリとリヨンの高等師範学校との提携を古くから主導してきたほか(大学院生向け)、これまで、大学間協定を通じて、ジュネーヴ大学、ストラスブール大学、グルノーブル大学、パリ第VII大学、パリ第VIII大学にも多くの学部生・大学院生を送り出してきました。

 

「汝の欲するところをなせ」

 いまやフランス文学の古典的作品が日本人の一般教養であった時代は遠くなったとは言え、明治以来の日本で、しばしば翻訳を通じて「フランス語のテクスト」の魅力に導かれ、それに触発されて、数多くの日本語の仕事がなされてきたこともまた事実です。その意味では、「フランス語フランス文学」はたんにヨーロッパ西端の遠い異国の文化遺産ではなく、日本語で生活する私たち自身の文化の一部であるとも言えます。

 よく知られているように、「東大仏文」からは、小説では太宰治(中退)、大江健三郎、松浦寿輝、詩では天沢退二郎や入澤康夫、文芸評論では小林秀雄、澁澤龍彦、蓮實重彦といった人々が続々と世に出ました。作曲家(三善晃)や音楽批評家(吉田秀和)、映画作家(吉田喜重)や映画批評家(蓮實、松浦)、アニメーション作家(高畑勲)も「東大仏文」の同窓生です。これだけ多種多様な書き手・芸術家が数多く巣立っていった背景には、「フランス語のテクスト」にそなわる領域横断性や方法論上の先鋭性、あるいは同時代の社会に対する批判的関係のみならず、この研究室ならではの自由闊達さがありました。東大仏文はかねてから、アカデミックにも世界水準にある日本の仏文研究の第一線であったのみならず、「フランス語のテクスト」から刺激を受けとって自分自身の領野を切り開き、新たな創造を行う学生たちを応援してきました。その精神を、渡辺一夫はラブレーの一句を借りて言い当てています ——「Fay ce que vouldras 汝の欲するところをなせ」。人文学研究の危機がかまびすしく言われる現在だからこそ、一人でも多くの学生が、この自由闊達な精神を受け継ぎ、けっして己の欲することにおいて譲ることなく、「フランス語のテクスト」の新たな魅力を発見してくれることを願っています。

 

フランス文学研究とは?

「ことば」から始める 

 仏文では、さまざまなジャンルで書かれた「フランス語のテクスト」を、既成の学問体系のなかで整理してことたれりとするのではなく、あくまでもそこに書かれた「ことば」を丁寧に読み取り、それぞれに個性をそなえたテクストに現れた思考や感性を、忠実に理解することから出発します。そのことが、すでに書かれてある過去のテクストについて、現在の読み手である私たちにとっても刺激的な新たな解釈を提案したり、あるいはそのテクストから出発して、自分自身で新たな作品や思考を創造したりするために欠かせない一つのステップだと考えているからです。テクストの解釈とは、書かれていることを単に再認することではなく、そのテクストを読む者が、過去の文脈を尊重しながら、そこに現在に生きる人間の関心を持ち込んで、新たな思考の道筋を見出す創造的な営みです。「ことば」を忠実に理解し、その新たな解釈を提案する —— この過去の書き手と現在の読み手のあいだの「地平の融合」を実現するには、フランス語と直接触れ合い、この外国語をほとんど肉体的に我が物とすることが求められます。だからこそ、一方で翻訳の重要性を認めつつ、他方で学生が自分自身で「フランス語のテクスト」から出発して思考を展開できるように、仏文では学部・大学院を問わず、フランス語でテクストを精緻に読み解き、フランス語で書き話す能力を身につけるための実にヴァラエティに富んだ授業が用意されています。それはまた、「ことば」を通じて「テクスト」の外の「コンテクスト」—— フランスの文化・歴史のみならず、さらにその外のさまざまな背景 —— に触れるきっかけにもなるでしょうし、日本語で書き、考えてきた自分自身の常識を揺るがせる手がかりにもなるでしょう。

 

「読むこと」「書くこと」に向けて

 そもそも「テクスト」を「読む」こと、そして「テクスト」から出発して新たな理解や解釈を「書く」こととは、いったいどんな行為なのでしょうか。この点についても、フランス語の書き手たちは自覚的な反省を重ねてきました。ボードレール、ランボー、マラルメといった近代詩や、バルザック、フローベール、プルーストと連なる近現代小説の流れは、この「読むこと」「書くこと」そのものについての自己反省的・批評的考察と切り離せないと言っても良いほどです。その延長線上に、20世紀のフランス語圏では、ヴァレリー、ブランショ、バルトといった批評家たちや、アルチュセール、フーコー、デリダといった哲学者たちが、それぞれ「読むこと」や「書くこと」について個性豊かな理論的考察を生み出し、同時代の書き手たちと刺激しあって仕事を続けてきました。彼らの仕事はけっして使い回しの効く批評や思想史の方法論ではありえませんが、仏文では、こうした現代の批評的・理論的考察については、積極的に邦訳文献もとりあげながら、私たち自身がどのようにテクストにアプローチできるのか、そしてどのようにテクストについて書くことができるのか、その「手つき」も学んでいくことになります。その学びは、「フランス語のテクスト」のみならず、日本語以下、さまざまな言語のテクストや現象を対象とする際にも、独自の視野を打ち出す基礎を固めてくれるはずです。

 

世界から「フランス」を見る

 とはいえ、なぜフランスなのか —— 一方で、フランス文学・思想が日本人の一般教養であった時代が過ぎ、他方で、フランスをはじめとする西欧近代の文化が往々にして「西洋中心主義」の名の下に批判にさらされるようになった現在、日本人にとって縁の薄い外国語で書かれたテクストを大学で専門的に学び、研究することに躊躇する若い人も多いかもしれません。

 しかし、「フランス語のテクスト」はけっしてフランス語を母語とする人たちだけのものではありません。実際、ルネッサンスから現代まで、フランスは西欧で中心的な位置を占めながら、政治的にはほぼつねに二番手の位置に甘んじてきました —— あるときは神聖ローマ帝国やスペインの競合相手として、あるときはイギリスやドイツの競合相手として、またあるときはアメリカ合衆国とソヴィエト連邦に対する第三極として。フランス語の書き手たちが、往々にしてそれぞれの時代の支配的潮流からは距離をとり、批判的でもあれば少々ひねくれてもいるスタンスをとることができたのも、一面では、このフランスの特殊な位置によってのことでした。

 フランスはまた、18世紀末の革命以降、19世紀を通じて、きわめて激しい政治的動揺を経験した国でもありました。この近代世界最大級の動揺のなかで、フランス語の書き手たちは、近代社会がもたらした功罪をもっとも激しく、その内側から生きてきました。19世紀以来、20世紀後半までのフランス文学・思想が、しばしば同時代の政治や社会と鋭い緊張関係を持ちながら、自分たち自身が生きている時代と場所とを問い直してきたのもそのせいです。そのなかからは、スタール夫人、サンド、コレット、ボーヴォワール、デュラスといった少なからぬ女性の作家・思想家たちも生まれています。

 フランス革命の余波のなかではハイチ共和国が創設され、また20世紀後半の脱植民地化は、フランスがアフリカ・アジア・アメリカに展開した植民地帝国をあらかた解体するか、共和国内部の海外県として位置づけ直す結果をもたらしました。近年では、こうしたフランスの外のフランス語圏の書き手たちの仕事も、フランス語フランス文学研究の関心のなかに収められるようになっています。ベルギーやスイスといったヨーロッパのフランス語圏のみならず、アフリカ・カリブ海・ケベックなど、ヨーロッパの外で書かれたフランス語のテクストを読み、フランスの外からフランスを相対化・対象化することも、現在の仏文研究にとって重要な課題です。

 伝統的に大学では、同時代に数多く生み出され続けている現代文学の作品についてはその価値を適切に評価することが容易でないため、歴史的・批評的距離が取れるようになるまでは研究対象として取り上げないといった態度が主流でした。しかし、そうした同時代作品が、私たち自身にとって重要な、喫緊の問題を思考するのになんらかの助けになるのであれば、これを排除する理由はありません。「新しいから」といって飛びつくのは愚かな振る舞いでしょうが、「新しいから」といって避けるのも文学や思考に対してけっして正当な態度ではないでしょう。同時代の創造に寄り添いながら、文学研究もまた自身を更新していかねばなりません。次世代に引き継ぐべき21世紀の文学史は、私たち自身の手によって作られてゆくのです。

 

授業について

 仏文では伝統的に、日本人専任教員の授業は、学部・大学院とも、フランス語のテクストを熟読し、テクストの解釈について議論するゼミ形式の授業を主体とし、フランス人専任教員は、フランス語の運用能力を高め、フランス語を読み、フランス語で議論する手法について教授してきました。ただしここ数年は、テクスト読解のためのさまざまなアプローチを学んだり、文学作品と隣接メディア・隣接領域との関係を議論したりするために、邦訳のテクストを用いることも、日本語・フランス語のクリエイティヴ・ライティングを取り入れることも試みています。また、非常勤講師の出講が多く、主題においてもアプローチにおいても多様なカリキュラムが準備されているのも仏文の授業の特徴です。