長島 弘明(国文学)

本郷への進学に際し、確信をもって専攻の学科を選択できた人は、ごく少ないのではなかろうか。四十年ほど前の私も、多分、曖昧な選択で進路を決めた一人であったに違いない。何しろ、一年後には転科を願い出て、フランス文学から国文学に鞍替えしたくらいなのだから。

駒場の学生の頃、特によく勉強する学生でもなく、特に不勉強な学生でもなかった。我々は例の安田講堂の攻防の三年後の入学であるから、その影響がまだ残っていて入学式こそなかったものの、学生運動自体は急激に下火になっていた。アルバイト先の塾には攻防戦の当事者だった院生やOBの猛者がたくさんおり、時には収監の話なども聞いたかと思うが、体験の有無は決定的で、十歳も開いていない年齢差ながら我々とは別世界の話に聞こえたことを覚えている。

前の世代とは違って、我々は、講義に出ることや読書することに対して、特に罪悪感を覚える必要も、特別な論理を用意する必要もなかった。その頃は多くの学生がそうしていたように、講義三分の一、アルバイト三分の一、麻雀三分の一という具合の生活だった。習い始めたばかりの第二外国語はフランス語で、おぼつかない学力ではまるで暗号を解読するようなものであったが、それでも辞書を引き引きバタイユやカミュ、ヴァレリー・ラルボーなどを読むのは楽しかった。やがて日仏学院にも通うようになり、自然の成り行きなのかどうか仏文に進学した。仏文は当時進学者がきわめて多く、進学者の数が三十人などということもザラだったと思う。さして明確な志望動機があったわけではない私は、大勢の中にうまく紛れ込んだのである。

本郷の授業、ジュール・ヴェルヌやバルザック、ラシーヌの講義はとても新鮮だった。英文の講義などにもよく出た。授業に出るのは億劫ではなく、むしろ楽しかったはずなのだが、漠然と、このまま行くのは何だかなあ、という気持ちがしていた。今考えると、フランス語の能力に欠け、自信を失っていたというのも大きかったのかと思うが、興味はあるが、打ち込めるほどのものが見つからないというもどかしさが、日に日に強くなっていった。

秋だったか、仏文の先生に許可を頂いて国文学に転科願いを出し、幸い受け入れていただいた。日本の古典文学に興味はあったものの、国文で何がしたいという明確な対象が決まっていたわけではない。やりたいことが決まらないという理由で仏文から転科しながら、実はかわった先の国文で勉強したいことは、仏文以上に朦朧としていたのである。どうも、まずもって環境を一挙に変えたかったのだろうと思う。そうすれば何か、新しいものが見つかると誤解していたのかもしれない。

もちろん、にわかに明確な目標ができるはずはない。しかも、ある程度国文の単位も取っていたから翌春四年生に編入され、一年で残りの単位を取って卒業論文を書かなくてはいけないはめになった。演習などはさんざんで、昨年からトレーニングを積んでいる同級生の中で、私一人だけが注釈の基本資料も知らず、私の担当発表の時の先生の不機嫌そうな顔の理由を、ずっと後になって理解するという有様だった。

そうこうするうちに、卒業論文の題目を決めなくてはならなくなった。国文に移る前には古典文学を、可能ならば近世文学(江戸時代文学)あたりをやってみようかと漠然と思っていたが、もう、何となくなどといってはいられない。多分、数日しか余裕のない状況で、卒業論文のテーマを江戸時代の文人である上田秋成にしようと決めたのである。そもそもなぜ近世文学かというと、西鶴や秋成の作品は、中学生のころは文庫本で、高校生になると古典文学大系などというのを買い込んで、たまたま読んでいたからである。またしても、覚悟を決めてなどということはなく、その場しのぎで少しばかり心覚えのあるものを選んだに過ぎないわけだが、しかし、単なる偶然からだけかというと、そうでない気もするのである。秋成の作品を読んでいて、それが無上に面白いと感じた経験が一度だけでもあったからこそ、秋成が論文の題目になったことだけは確かなのである。たまたま読んだ本、というかつての偶然の出会いが、大事な局面での選択を、向こうから用意してくれたといっていいのかもしれない。

学科の選択のし直しも、卒業論文のテーマの選択も、どうも偶然の要素が多くて、決断の意図をうまく説明することはできない。卒業論文のテーマを決めたときには進路は決めておらず、まさか一生秋成と付き合うとは思ってもみなかった。ただ、偶然に見えて、そうではない場合がある。秋成が晩年好んだ語に「命禄」がある。晩年の傑作の『春雨物語』のテーマといってよい言葉で、それと同時に、秋成自身の歴史認識の原理であり、身の処し方の指針でもあった。すなわち、晩年の秋成が抱いた思想がこの「命禄」である。元々は、後漢の王充の『論衡』の篇名であり、偶然として顕現する現象を支配し統御するもの、しかもそれは外在する理法ではなく、人や事物に内在する理法であって、人為ではいかんともしがたいものがこの「命禄」である。なるほど「命禄」とはうまいことをいう。偶然に見えても、必然であることもあるのだ。学科の選択のし直しも、卒業論文の題目も、まあ「命禄」というふうに言ってもらえれば、多少なりともうしろめたさは減じる。要は、その後の歩みを少しばかりでも意志的なものにし、偶然めいた選択を、少なくとも自分にとっては必然だったのだと、これも不十分ながらも自身に説得できるようになればそれでいい。そううまくいくかね、というもう一人の私の言葉を心内に聞きながら、今の私はそう思っている。