赤川 学(社会学)

末は博士か大臣か、ではないけれど…

「私の選択」と書くとおおげさだが、私の場合、あまり自慢できるような進路や研究課題選択の経験はない。何回か重要な選択の機会はあったはずだが、当時の希望が100%実現したわけではないし、かといってまったく主体性・自発性を欠いた選択だったとも思わない。迷いと希望のはざまで、多くの失敗と、わずかな成功を重ねてきたにすぎない。

私が文Ⅲに入学したのは1986(昭和61)年の4月。石川県能登半島の寒村に生まれ育った私は、日本海に沈む夕陽をみながら、のんびり暮らしていた。同級生の中でも大学に進学したのは半数程度。東京に進学するのは、ほんの一握りにすぎなかった。

ただ東京に進学するとはいっても、将来の進路を深く考えていたわけではない。文Ⅰに進学するなら政治家か官僚、文Ⅲに進学するなら研究者か教師になろうかと、漠然と考えていたにすぎない。恥ずかしながら、「末は博士か大臣か」の世界を地でいっていた。

たまたま文Ⅲに合格し、東京で生活をはじめたのだが、それからの数年間は驚きの連続だった。日本でもっとも過疎化の進んだ地域(今なら限界集落)から、花の都・大東京(今ならグローバル世界都市)へ突然移動したわけで、ちょっとしたタイムスリップを経験したようなものだった。私の故郷ではすでに産業空洞化が始まっていたが、東京の雰囲気はまったく違っていた。ときあたかもプラザ合意が成立し、バブル経済が沸騰する前夜のこと。消費社会論や分衆論がまことしやかに語られ、駒場のキャンパスでは「ニューアカデミズム」が一世を風靡していた。

教養学部の友人の間では、どこの学部・学科に進むか、進振りにどう臨むか、そのためにはどの授業をとればよいかなどの情報交換がさかんだった(これは現在とさして変わらない)。しかしやっと大学に入学して自由な時間を得たのに、点数稼ぎに汲々とするのはどうも性にあわなかった。そこで漠然と「文Ⅲに来た以上、博士を目指してみるか。とりあえず高校のとき得意だった歴史か現代社会に関係ありそうなゼミに探してみるか」と、中世史や社会学のゼミに出たのだが、それもまた驚愕の体験だった。そこで出会った人たちが、とても同学年の若者とは思えないほど「濃い」人たちだったからだ。聞いたこともない外国人学者の本について熱く語ったり、世間の動向や国際関係にやたら詳しかったり、古文書を楽々と読めたり…。「これはとんでもないところに来てしまった…」と圧倒された。

ただそんな中、「そもそもなぜ自分は、文学や語学や哲学よりも、歴史学や社会学を面白いと思ったのか」と自問する時間をもてたのは、幸運だった。文系にいる以上、どんな事象を扱うにしても、それが過去のどういう経緯に基づいて現在の姿に至ったのか、どういう構造的な産物なのかを考える作業は必須だ。そのためには、今私たちが生きている社会に関する見取り図、すなわち社会理論を学ぶ必要がある。当時の私はそのように考えた。単純だが、それが社会学を選んだ理由だった。

というわけで社会学専修課程に進学してみたものの、そこから自分の研究課題をみつけるまでには、時間がかかった。そもそも社会学の分野は広い。やり方もさまざまだ。抽象的に社会の成り立ちを考える理論社会学から、家族・地域・産業・メディアなど社会の個別領域を扱う連字付社会学、統計やコンピュータを駆使して人びとの生活実態や意識を記述する社会調査、人々の経験や思いに肉迫するフィールドワークにいたるまで。数年は社会学の多様さに幻惑されるばかりで、なかなか自分に納得がいくテーマや方法をみつけられなかった。

自分のライフワークと思えるようなテーマに出会ったのは、実は博士課程に進学して数年が過ぎてからことだ。それは結局、課程博士論文として結実するのだが、簡単にいえば「近代日本におけるセクシュアリティ(オナニー)言説100年史」といった内容のものだ。社会学の中ではマイナーな上にもマイナーなテーマで、このテーマで将来の食い扶持にありつけるかも疑問だった。しかし当時の私には、それはどうでもよいことだった。この仕事に取り組み始めてから、他の身辺雑事、たとえば他人からの評価や一身上の不幸があまり気にならなくなったからだ。マイナーで、ディテールにこだわりすぎる研究だが、そこから社会や歴史の普遍的な構造の一端に触れえるような気がしたし、その作業に取り組んでいるかぎり、人生に退屈しないと思えたからだ。これは幸運なことだった。

自分が幸運だからといって、他人も幸運とは限らない。だから、ここまで書いたことは、研究職として録を食むことを望む人にとっては、あまり参考にならないかもしれない。私自身、大学で定職を得るにはそれなりの時間を要した。ただ就職活動や研究活動は、結婚とよく似ていて、何百敗しようと、ただ1勝しさえすればよい。だめならまたやり直せばよいのだ。こと研究に関していえば、「わが生涯に一片の悔いなし」(『北斗の拳』のラオウ)と思えるテーマをみつけるまではじっくり取り組んで、その後は、そこで得られた経験や方法をもとに、いろんなことにチャレンジすればよいのではないか。

女優の故・杉村春子は、若き日の渡辺徹に、「何でもおやりなさい。そのかわり中途半端にやるならおやめなさい」とアドバイスしたそうだ。同感である。私自身、先のライフワークを発見して以降、研究の看板も社会情報論、日本社会論、文化社会学、少子化論、人口減少社会論、社会問題の社会学と推移してきた。我ながら、その雑食ぶりに苦笑する。しかし逆にいえば、最初にどの学部や学科に所属し、最初にどういうテーマを選ぶはあまり重要ではない。いつでもやり直しは効くからだ。中途半端にならずに取り組みさえすれば、そのnarrow pathは必ず希望の道につながる。今の私は、そう楽観している。

ただ、そう信じられるようになるためにも、数年の修行と迷いの日々は必要なのだろう。進路にしても研究課題の選択にしても、漠たる願望や期待や仮説を、どうにか具体的な進路先や目標やタスクに落としこむことの重要性は、やはり強調しておきたい。そのために大学という制度や教員の存在、研究上のよきライバルが必要になるのだろう。この研究科・学部がそうした環境に恵まれていることは間違いないし、私もその一翼を担うことができれば、これに勝る喜びはない。