野谷文昭(現代文芸論)

ラテンアメリカ文学では食べていけませんよ、といきなり言われてしまった。要するに、就職できなくても自分たちのせいではないということを、相手は遠回しに告げているのだ。修士課程ができて間もなかった大学院に進学するための口述試験のときのことである。だからといって、では止めておきますなんて言えるわけがない。当然のように、はい、それでも続けます、と答えたときの光景が、今もくっきりと目に浮かぶ。もっとも、現在、面接を行う側の立場に立ってみれば、そう切り出したときの教師の気持ちが分からないではない。なにしろ、1960年代の終わりには、ラテンアメリカ文学を教える場所なんてなかったし、教える人間もいなかったのだから、教授陣もきっと心許なかったのだろう。けれどそのとき、なぜか不安は感じなかった。もともと負けず嫌いで天邪鬼だし、心の片隅に、だったらパイオニアになってやろうという気概のようなものがあったからかもしれない。

大学がストライキに入り、長い空白の後に再開し、何かを学んだという気がしないうちに卒論を書く時期を迎えてしまった。当時在籍していた東京外国語大学の図書館には、スペイン文学の本こそある程度あったものの、ラテンアメリカ文学関係の本となると、皆無だった。それは埃まみれになって探したから確かだ。いや、皆無ではなく、ついに一冊見つかった。しかも小説だった。なんともみすぼらしい装丁のその本のタイトルは『ワシプンゴ』。もちろんスペイン語ではなく、ケチュア語で、「おれたちの土地」という意味である。

作者は南米エクアドルの作家ホルヘ・イカサということだったが、まったく聞いたことのない名前だった。ラテンアメリカのうちスペイン語圏の文学は、メキシコ・中米、カリブ、アンデス、ラプラタと、地域によってその特色に違いがある。エクアドルは先住民の多いアンデス地域に属し、ペルーやボリビアと同様、インディヘニスモすなわち先住民擁護主義の文学を生んできた。『ワシプンゴ』もそのひとつで、このジャンルでは名作とされている。もっともそんなことが分かるのはあとになってからで、なにしろ文学として論じるための資料がまったくない。今ならインターネットで簡単に検索できるし、日本の文学事典で調べることだってできるのだが、当時はそうはいかない。まわりにこの作家や作品を知っている人はいない。普通なら、テーマが適当ではないということで、変更するはずである。ところが天邪鬼というのは恐ろしい。それに未知と無知がエネルギーとなり、ますますやる気になったのだ。いや、それは嘘で、自分を自分で追い込み、もはや引き返せなかったというのが真実である。しかも卒論には締め切りがある。さあ、どうする。

スペイン語科には語学コースと文学コースの他に事情コースというのがあった。文学コースは古典であれ現代物であれ、スペイン文学を意味した。そこで事情という第三のコースを利用したのだ。しかし当時の担当者はブラジルの歴史が専門の先生で、インディヘニスモのことは詳しくない。そこで、エクアドルに詳しいという他大学の先生を訪ねたり、他の研究機関の図書室で雑誌を調べたりと、まさに悪戦苦闘しながら、文学というよりは作品の背景について論じた社会学的論文を書き上げたのだった。

それにしても、なぜあんな情熱が発揮できたのだろう。天邪鬼に未知と無知に加え、当時の社会の雰囲気も原因だろう。既成のものとは違うことをやってみたいという気になったからだ。「第三世界」が輝き、周縁に関心が向けられていた。僕はテニス部にいたが、政治に関心をもつ学生たちは「キューバ研究会」に属していた。彼らや『ゲバラ日記』の訳者でもある担当教師を通じて、チェ・ゲバラの死のことを知ったのもそのころである。文学志向でありながら、欧米ではなくラテンアメリカに目が向いたのは、スペイン語を学び、「中南米事情」に関心を抱いたからであることは明らかだ。そのためある時期は地域そのものが興味の対象だった。また、小説に関する情報が乏しいので、修論のテーマはチリの詩人パブロ・ネルーダにした。けれど、その後、ラテンアメリカの新小説が続々と翻訳紹介され、僕自身も紹介者となって無知から目覚め、未知の宝庫を目の当たりにすることで、状況は大きく変わった。さらに、ラテンアメリカ文学には地域に還元できない面白さがあることを、経験とともに知るようになる。その意味で、ついに辿り着いた文学部、それも現代文芸論研究室という場所は、終着点であると同時に新たな出発点でもある。ここで講義を行ったり、同僚や学生たちと話したりしていると、自分が獲得したことを提供する一方で、新たな視点や考え方を絶えず得ることができるからだ。

メキシコの詩人オクタビオ・パスの本に、「サルト・モルタル salto mortal」すなわち「決死の飛躍」あるいは「決定的飛躍」という意味の言葉が出てくる。それはキルケゴールの言う<飛躍>に由来し、パスは、それを「われわれが実際に我々自身から脱出し、<他者>の中に身を委ね、埋没する」という意味で使っている。それを行ったとき、詩的可能性が生まれるというのだ。そこまでは行かないが、僕は「サルト・モルタル」もどきを何回かやっている。卒論執筆、大学院進学は、そのうちでも自分の将来を決める上で間違いなく決定的だった。