前史
年代 | 出来事 |
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1856.02 | 【安政3】幕府、洋学所を蕃書調所として九段坂下竹本図書頭屋敷に設立(現千代田区九段南一丁目付近) |
1862.05 | 【文久2】蕃書調所を神田一ツ橋門外護持院原(一橋通町一番地)に新築移転し(これ以前、九段坂上表六番地和学講談所、安政6年7月には小川町に移転)、洋書調所と改称 |
1863.08 | 【文久3】洋書調所を開成所と改称 |
1868.06 | 【明治元】新政府、旧幕府時代の医学校を復興、昌平坂学問所を復興して、医学校、昌平学校設置 |
1868.09 | 新政府、開成所を復興して開成学校(その後、大学南校、第一大学区第一番中学、開成学校、東京開成学校と改称)を設置 |
1869.06 | 昌平学校を大学校(本校)とし、開成、医学両校を大学分局(分校)とする |
1870.02 | 大学規則の制定 |
1870.07 | 大学内部における国漢学派と洋学派の対立により大学本校閉鎖 |
1873.06 | 開成学校、神田錦町に新校舎(現神田神保町三丁目、学士会館近傍)落成 |
東京大学文学部時代
年代 | 出来事 |
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1877.04 | 東京大学創設(東京開成学校と東京医学校を合併。旧東京開成学校を改組して法・理・文3学部、旧東京医学校を改組して医学部を設置)。東京大学法理文学部綜理に加藤弘之が就任 文学部には以下の2学科が置かれた 第一史学、哲学及政治学科 第二和漢文学科 |
1878.09 | 法理文三学部に選科生規則制定 |
1878.12 | 文部省、東京大学に学位授与の権限を付与する旨を達す |
1879.04 | 東京大学の授与する学士称号を法学士・理学士・文学士・医学士・製薬士とする |
1879.07 | 法理文三学部初めての学位授与式を挙行 |
1879.09 | 文学部2学科のうち「第一史学、哲学及政治学科」のうち史学を削り「第一哲学、政治学、理財学科(経済学)」とする。漢文の作文を重視し、また卒業論文を課するようになる |
1880.08 | 法理文三学部に学士研究科を設置 |
1881.06 | 東京大学職制制定(東京大学総理を置き法・理・文・医4学部と予備門を統轄。各学部と予備門に長を置く) |
1881.09 | 文学部に以下の3学科が置かれた 第一哲学科 第二政治学及理財学科 第三和漢文学科 新設課目として、印度及支那哲学、世態学(社会学)、審美学(美学)、生理学、日本財政論、行政学、日本古今法制等の講義がなされる |
1882.09 | 文学部附属として古典講習科を設置(本科と別の修業年限三年) |
1884.08 | 本部事務室および法学部・文学部を神田一ツ橋から本郷富士町に移転 |
1884.09 | 法文校舎竣工 |
1885.04 | 古典講習科の生徒の新規募集を中止 |
1885.12 | 法学部を法政学部と改称(文学部の政治学及理財学科を法政学部に移す) それとともに、文学部は以下の3学科となった 第一哲学科 第二和文学科 第三漢文学科 大学創立年月日を1877年4月12日と制定する(しかし翌年帝国大学令が公布されたことにより、この公布日である3月1日が創立日となった。4月12日が採用されるのは1937年から) |
帝国大学文科大学時代
年代 | 出来事 |
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1886.03 | 帝国大学令を公布。工部大学校を統合して帝国大学に改組(法・医・工・文・理の5分科大学および大学院を設置。総長・各分科大学長・評議会を置く)、初代総長渡辺洪基 文学部に新学科を置く 第四博言学科 |
1887.03 | 最初の入学宣誓式が行われる(1919年に廃止) |
1887.09 | 文科大学に、史学科、英文学科、独逸文学科を増設し、以下の7学科を置いた 第一哲学 第二和文学科 第三漢文学科 第四史学科 第五博言学科 第六英文学科 第七独逸文学科 |
1888.10 | 内閣修史局で行われていた修史事業が文科大学に移管される |
1889.04 | 文科大学に特約生教育学科開講(ドイツ人ハウスクネヒト、教育学を担当) |
1889.06 | 文科大学に国史科を増設し8学科とするとともに、和文学科を国文学科とし、漢文学科を漢学科とする |
1890.10 | 帝国大学に地誌編纂掛設置(この年9月内務省地理局の地誌編纂事業を帝国大学に移管。史料編纂所の一源流) |
1890.12 | 文科大学に仏蘭西文学科を増設し9学科とする |
1893.09 | 講座制が実現する |
1895.04 | 文科大学に史料編纂掛を設置 |
東京帝国大学文科大学時代
年代 | 出来事 |
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1897.06 | 東京帝国大学官制公布。京都帝国大学創設に伴い帝国大学を東京帝国大学と改称 |
1897.11 | 文科大学教授外山正一、総長に就任 |
1899.07 | 明治天皇、東京帝国大学卒業式に行幸(優等卒業生に銀時計下賜のはじめ。1918年まで継続。下賜された者の合計323名、文学部は50名) |
1900.06 | 文科大学博言学科を言語学科と改称する |
1904.04 | 9学科制を統合し3学科となる。学年制の代わりに単位制を採用 哲学科、史学科、文学科 |
1910.09 | 3学科19専修学科となる 第一哲学科-哲学、支那哲学、印度哲学、心理学、倫理学、宗教学、美学、教育学、社会学 第二史学科-国史学、東洋史学、西洋史学 第三文学科-国文学、支那文学、梵文学、英吉利文学、独逸文学、仏蘭西文学、言語学 学生は2年の初めまでに専修学科を決定することになった |
1917.09 | 宗教学を宗教学宗教史とし、美学を美学美術史とする |
1918.03 | 学内に帝国大学制度調査委員会を設置、優等生制度の廃止、卒業式の廃止、試験方法の改善が決定され、評議会で承認される |
東京帝国大学文学部時代
年代 | 出来事 |
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1919.02 | 帝国大学令全文改正、東京帝大に法・医・工・文・理・農各学部のほか経済学部を新設 |
1919.09 | 3学科19専修学科制は廃止され、19学科となる 国文学、国史学、支那哲学、支那文学、東洋史学、西洋史学、哲学、印度哲学、心理学、倫理学、宗教学宗教史、社会学、教育学、美学美術史、言語学、梵文学、英吉利文学、独逸文学、仏蘭西文学 |
1920.02 | 学部通則を制定。分科大学通則全文改正。聴講生規定を新設し、女子の入学を認める(9.13文学部に32名入学許可) |
1920.12 | 『帝国大学新聞』創刊 |
1921.04 | 学年暦が4月1日始業、3月31日終業となる |
1922 | 研究生内規が制定される(女子の大学院入学の代案として) 教官銓衡内規の制定 |
1923.09 | 関東大震災による被害は全建物面積の三分の一に達し、75万冊にのぼる図書が焼失する |
1923.11 | 助教授が教授会に出席し発言も認められる(決議への参与はゆるされず) |
1924.12 | 震災で失われた附属図書館復興のため、ロックフェラー財団に400万円の寄附を申し入れる |
1925.04 | 随意科目として軍事教練始まる |
1929.07 | 史料編纂掛を史料編纂所と改称する |
1931.12 | 赤門、国宝に指定される |
1932.04 | 17学科となる 支那哲学、支那文学を、支那哲学支那文学とし、印度哲学、梵文学を、印度哲学梵文学とする |
1932.11 | 『東京帝国大学五十年史』(全2冊)を刊行 |
1934.09 | 文学部に神道講座を設置 |
1937.04 | 文学部社会学教室が中心となって、東京帝大7学部を総合する都市学会を結成 |
1937.10 | 評議会、「応召職員学生慰問ニ関スル件」可決 人文地理学講義が開かれ、地理学実習室が開設される |
1938.01 | 考古学講座の新設、神道講座の充実、日本思想史講座の新設(46年3月、日本思想史・神道講座廃止) |
1939.05 | 評議会、軍事教練中、術科実施の方針決定 |
1940.03 | 評議会、紀元二千六百年記念事業の一環として学術発達史編纂を決定(42年12月『東京帝国大学学術大観』全5巻完成) |
1941.09 | 各学部長宛に「学生生徒卒業期繰上ニ関スル件」を通知 |
1941.11 | 東洋文化研究所を附置 |
1941.12.08 | 宣戦の詔書奉読式を大講堂で挙行 |
1942.04 | 42年度9月卒業予定の学生生徒に対する臨時徴兵検査実施 |
1942.07 | 文・理・経済三学部一年及び三年の軍事教練査閲 在学年限の臨時短縮に伴い、42年度に限り夏季休業廃止 |
1942.09.25 | 在学年限の短縮・卒業期繰上の措置後2年目の卒業証書授与式を挙行(於大講堂)、首相東条英機が来学して訓示 |
1943.04 | 教練科において、41年秋の文部省・陸軍省の覚書に基づき、43年から学生全員に対して教練を正式に必修科目とし、教練に合格しなければ卒業を許可しないことを決定 |
1943.08 | 夏季、国民勤労報告協力令により、学部を出動単位とした勤労動員がなされる |
1943.09.25 | 43年度の繰上げ卒業式が挙行され、徴兵猶予停止による1980名が大学を卒業(10.1入学の文系学生の多くは12.1入営) |
1943.10 | 第一回の大学院特別研究生が選定される(法学12名、医学13名、工学31名、文学13名、理学15名、農学20名、経済学7名の計111名) |
1943.10.21 | 出陣学徒壮行会が挙行される(於明治神宮外苑)、出陣学徒代表として文学部学生の江橋慎四郎が答辞を述べる |
1944.07 | 文学部長戸田貞三、入試改革に伴う第2次募集の弊害について意見書を発表 |
1945.02 | 評議会、44年12月から勤労動員に出動しなかった文学部学生5名を懲戒、無期停学処分と決定 |
1945.03.10 | 東京大空襲に際して、全学会勤労部、学内罹災学生の救護、学外への応援活動を実施 |
1945.08.15 | 大講堂で内田総長以下、大学に残留していた教職員、学生が参集、戦争終結の詔書の放送を聞く |
1945.09 | 復員学生への措置として、仮卒業及び年限短縮により卒業したもので実質上教育不足のものを再教育する方法として大学院に在学させ、単位を補充し、研究報告を以って卒業論文とすることを可能とした。また学年途中で入営入団した学生で復員した者は戦時特別措置によらず実質的に通算3か年在学させるなどの措置をとる。 |
1946.01 | 学部長会議、軍関係学校卒業者は4月に入学させる、46年以前高卒者の入学資格を認める、他大学在学者で新入学の形式により転学を希望するものの願書を受理する、女子を含む専門学校卒業者の入学願書を受理する、以上すべての志願者に入学検定試験を課することを決定 公職追放令発令 |
1946.03 | 3学科21専修科となる 哲学科-哲学、支那哲学、印度哲学、心理学、倫理学、宗教学、社会学、教育学、美学、美術史学 史学科-国史学、東洋史学、西洋史学、考古学 文学科-言語学、国文学、支那文学、梵文学、英吉利文学、独逸文学、仏蘭西文学 航空心理部が能率研究室に、神道研究室が民間信仰調査室に改組され、さらに後者は43年暮に宗教学研究室に合併される |
1946.05 | 教職追放令発令、教員適格審査委員会が設置される |
1947.09 | 東京帝国大学を東京大学と改称(帝国大学令等を改正し、帝国大学を国立総合大学と改称) |
1948.04 | 支那哲学を中国哲学とする 支那文学を中国文学とする |
新制東京大学文学部時代
年代 | 出来事 |
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1949.04 | 19学科となる 国文学、国史学、中国哲学、中国文学、東洋史学、西洋史学、哲学、印度哲学梵文学、心理学、倫理学、宗教学、社会学、教育学、美学美術史学、言語学、英吉利文学、独逸文学、仏蘭西文学、考古学 |
1949.05 | 国立学校設置法公布。新制東京大学創設(教養学部・教育学部が新設され、法・医・工・文・理・農・経済・教養・教育の9学部を設置) |
1950.04 | 史料編纂所、文学部附属から本学附置研究所となる 宗教学を宗教学宗教史学とし、美学美術史を美学美術史学とする |
1951.04 | 教育学科を廃止(昭和24年教育学部設立にともなう措置)し、18学科となる |
1953.03 | 旧制大学最後の卒業式。新制大学最初の卒業式挙行 |
1953.04 | 新制東京大学大学院発足 人文科学研究科(24専攻) 国語国文学、中国語中国文学、西洋古典学、英語英文学、独語独文学、仏語仏文学、比較文学比較文化、言語学、国史学、東洋史学、西洋史学、考古学、哲学、中国哲学、印度哲学、倫理学、宗教学宗教史学、美学美術史学、心理学、教育学、教育心理学、学校教育学、教育行政学、体育学 社会科学研究科(10専攻) 公法、民刑事法、基礎法学、政治、国際関係論、理論経済学経済史学、応用経済学、商業学、農業経済学、社会学 |
1961.03 | 教養学部の文科一類・二類、理科一類・二類を、それぞれ一類・二類・三類に改編 |
1963.04 | 学科制を廃止して4類21専修課程とする 第一類(文化学)哲学、中国哲学、印度哲学、印度文学、倫理学、宗教学、宗教史学、美学、美術史学 第二類(史学)国史学、東洋史学、西洋史学、考古学 第三類(語学文学)言語学、国語国文学、中国語中国文学、英語英米文学、ドイツ語ドイツ文学、フランス語フランス文学、西洋近代語近代文学、西洋古典学 第四類(心理学、社会学)心理学、社会学 大学院の人文科学・社会科学の2研究科を改組し、人文科学・教育学・法学政治学・社会学・経済学の5研究科を設置 人文科学研究科(19専攻) 国語国文学、中国語中国文学、西洋古典学、英語英文学、独語独文学、仏語仏文学、比較文学比較文化、言語学、国史学、東洋史学、西洋史学、考古学、哲学、中国哲学、印度哲学、倫理学、宗教学宗教史学、美学美術史学、心理学 社会学研究科(2専攻) 国際関係論、社会学 |
1964.04 | 人文科学研究科の美学美術史学専攻を改組し、美学専攻、美術史学専攻を設置、その結果20専攻となる 語学ラボラトリー設置 |
1965.04 | 社会学研究科に文化人類学専攻を設置、その結果3専攻となる |
1966.04 | 文化交流研究施設設置 |
1967.04 | 美学を美学芸術学とする |
1967.07 | 法文一号館の工事が完了し、第三類の外国語外国文学関係を中心とする研究室の移転完了 |
1968.01 | 医学部学生、研修医問題でストライキ実施(東大紛争の発端) |
1968.03 | 紛争のため大講堂(安田講堂)での統一卒業式中止(各学部で分散卒業式) 法文二号館の改修に伴う研究室移動も完了 |
1968.04 | 第一類美術史学を第二類とする |
1968.06 | 医学部学生処分問題で学生らにより大講堂が封鎖占拠される(警察力導入により排除。7月再封鎖) |
1968.10 | 全学部、無期限ストに突入 |
1969.01 | 大学改革準備委員会を設置 秩父宮ラグビー場で七学部集会開催 警察力導入により大講堂等の封鎖解除 |
1972.04 | 第三類にロシア語ロシア文学を増設、その結果22専修課程となる |
1973.04 | 文学部教授林健太郎、総長に就任 北海文化研究常呂実習施設設置 |
1974.04 | 第四類に社会心理学を増設、23専修課程となる 人文科学研究科に露語露文学専攻を設置、その結果21専攻となる |
1975.04 | 第三類国語国文学を国語学、国文学とする、その結果24専修課程となる 外国人留学生相談室を開設 |
1976.04 | 社会学研究科に社会心理学専攻を設置、その結果4専攻となる |
1977.04 | 東京大学創立百周年記念式典を挙行 |
1978.01 | 文学部学生、大学院学生有志、創立百周年記念募金問題をめぐって文学部長室に座込みを開始 |
1978.06 | 評議会、イタリア語イタリア文学講座の設置に伴う文学部規則の一部改正を承認。また、講座設置に際しイタリア政府より図書・研究資金などが2度にわたって寄贈される |
1978.09 | 午前6時頃、文学部長室から出火、部長室など164m2を焼失 |
1979.01 | 文学部学友会・京都大学・同志社大学両学生自治会の呼びかけで「東大闘争10周年」記念の集会を本郷キャンパスで開催 |
1979.04 | 第三類にイタリア語イタリア文学を増設する、その結果25専修課程となる、第四類(心理学、社会学)を第四類(行動学)と改称 |
1979.09 | 評議会、文学部出火事件を契機に、東京大学処分検討委員会の設置を承認し、委員会の設置にあたり総長が談話を発表(10月12日発足) |
1981.09 | 史料編纂所、「史料編纂所の百年」展を開催 |
1982.04 | 第一類にイスラム学を増設する、その結果26専修課程となる |
1983.04 | 評議会、人文科学研究科比較文学比較文化課程及び社会学研究科国際関係論専門課程の総合文化研究科移行に伴う人文科学研究科規則・社会学研究科規則の一部改正を承認 人文科学研究科は20専攻となり、社会学研究科は3専攻となる |
1983.07 | 新聞研究所、社会科学研究所の新研究棟及び書庫の竣工式を挙行 |
1983.09 | 創立百周年記念建造物の建設予定地の試掘により埋蔵文化財が出土したことに伴い、調査会を設けて埋蔵文化財の本格的な調査を行うことになり、東京大学遺跡調査委員会要項が制定され、同調査会が発足(22日から実施)。11月15日には臨時遺跡調査委員会規則を制定し、同要項を廃止 |
1984.09 | 語学ラボラトリーを視聴覚教育センターと改称する |
1985.04 | 外国人留学生相談室を国際交流室に改称する 印度哲学専攻を印度哲学印度文学専攻に改称 |
1987.03 | 『東京大学百年史』刊行終了 |
1987.09 | 文学部3号館の竣工披露。12月16日、布文館の開館披露式典を挙行 |
1988.04 | 評議会、社会学研究科文化人類学専攻の総合文化研究科への移行(4月1日)に伴う大学院学則の一部改正を承認、社会学研究科は2専攻となる 第一類、印度哲学・印度文学を、第一類印度哲学、第三類印度語印度文学とする、その結果27専修課程となる |
1989.10 | 文学部、フランス革命200周年記念シンポジウム「フランス革命と世界の近代化」を開催(~11日) この年、文学部に布施郁三氏から寄附金が贈られ、布施学術基金として運用(総額1億4300万円) |
1991.03 | 昭和43年以来中断されていた全学レベルでの卒業式を24年ぶりに挙行 |
1991.10 | 文学部、自己評価の一環として『東京大学文学部研究・教育年報』を発刊(以後2年ごとに刊行) |
1992.04 | 人文科学研究科で多分野交流演習始まる |
1993.04 | 文化交流研究施設の拡充、基礎理論部門、朝鮮文化部門を置く |
1993.05 | 文学部、第1回布施学術基金講演会として公開講演会を開催。前田専学東大名誉教授「小泉八雲とインド思想ヘルン文庫からみて」 |
1993.10 | 文学部で外部評価がおこなわれる。第1回は日本学関係(国史学、国語学、国文学) |
1994.04 | 第一類、中国哲学、印度哲学を、それぞれ、中国思想文化学、インド哲学仏教学に、第二類、国史学を日本史学に、第三類、印度語印度文学、ロシア語ロシア文学、イタリア語イタリア文学を、それぞれ、インド語インド文学、スラヴ語スラヴ文学、南欧語南欧文学とし、第三類、国語学、国文学を日本語日本文学とする。その結果26専修課程となる 文化交流研究施設の拡充。基礎理論部門、朝鮮文化部門のほかに、東洋諸民族言語文化部門を置く |
1995.03 | 評議会、人文科学研究科の人文社会系研究科への改組・名称変更、社会学研究科廃止に伴う人文社会系研究科規則の全部改正を承認(4月1日施行) |
1995.04 | 文学部の類名を改称する 第一類(文化学)を思想文化学科に、第二類(史学)を歴史文化学科に、第三類(語学文学)を言語文化学科に、第四類(行動学)を行動文化学科に改称 人文社会系研究科は5専攻となる 基礎文化研究専攻 日本文化研究専攻 アジア文化研究専攻 欧米系文化研究専攻 社会文化研究専攻 |
2000.04 | 人文社会系研究科に、文化資源学研究専攻を設置、6専攻となる |
2002.04 | 人文社会系研究科に、韓国朝鮮文化研究専攻を設置、7専攻となる |
2004.04 | 国立大学の法人化により、国立大学法人東京大学となる 文化交流研究施設の東洋諸民族言語文化部門を基礎文化研究専攻・言語応用コース・言語動態学に改組 情報学環設置に伴い、社会文化研究専攻の社会情報学コース・社会情報学専門分野を情報学環に振替 |
2005.04 | 次世代人文学開発センターを設置 |
2006.04 | 次世代人文学開発センターに寄付講座「上廣死生学講座」が発足 |
2007.04 | 欧米系文化研究専攻に現代文芸論コース・現代文芸論専門分野を設置 宗教学・宗教史学を宗教学宗教史学に、西洋近代語近代文学を現代文芸論とする |
2008.04 | 韓国朝鮮文化研究専攻の韓国朝鮮歴史社会コース・韓国朝鮮歴史社会専門分野、韓国朝鮮言語思想コース・韓国朝鮮言語思想専門分野、及び北東アジア文化交流コース・北東アジア文化交流専門分野を韓国朝鮮歴史文化コース・韓国朝鮮歴史文化専門分野、及び韓国朝鮮言語社会コース・韓国朝鮮言語社会専門分野に改組 |
2009.04 | 基礎文化研究専攻の言語基礎コースと言語応用コースを統合し、言語基礎応用コースに改組し、専門分野として言語学を置く アジア文化研究専攻の東アジアコース、南アジア・東南アジア・仏教コース、及び西アジア・イスラム学コースをアジア文化コースに改組し、専門分野として中国語中国文化、東アジア思想文化、インド文学・インド哲学・仏教学、イスラム学、アジア史を置く |
2010.01 | 法文2号館の3番大教室を改装、学生の勉学・談論スペースとして三友館を開館 |
2011.04 | 死生学・応用倫理センターを設置 |
2015.04 | 集英社高度教養寄付講座が発足 |
2016.04 | 文学部を1学科(人文学科)に改組 |
参照
- 東京大学史史料室編『年譜1877-1977-1997:東京大学創立120周年記念』(東京大学、1997年)
- 『東京大学百年史部局史一文学部』
- 東京大学史史料室編『東京大学の学徒動員学徒出陣』(東京大学出版会、1997年)