本研究は、戦後期の谷崎潤一郎を自らの芸術世界に耽溺した〈老大家〉とみなす従来の理解を相対化し、個々のテキストが有する同時代的な意義を再検討することを目的とする。そのため、戦後に発表された谷崎潤一郎の小説・随筆・日記を対象に、同時代における評価軸の形成過程を跡付け、語りの構造を分析し、社会制度や言説空間との往還関係を検討した。この作業を通して、戦後民主主義を志向する言説が支配的となるなかで、その欺瞞に抗い続けた「戦後文学」の最前線に位置する作家としての谷崎の姿を明らかにした。
序章では、昭和戦前期の谷崎のテキストを検討し、谷崎が〈日本文化〉を語り直しながら、「日本文学」の自律を構想する過程を分析した。そのうえで、同時代の文化政策との緊張関係を明らかにした。谷崎のテキストは文学の自律を志向しつつも、結果として国家による文化の「宣伝」の材料となったという二義性を内包していた。ゆえに、本研究では、戦後の「文化国家」という大義名分に対する、谷崎の批評的な距離に着目することとした。
第一部では、『細雪』の同時代評の検討と作品分析を通して、昭和二十年代前半における谷崎評価のバイアスを整理し、本作を旧民法に基づく「家制度」の廃止に伴う〈家〉の秩序の再編という視座から再評価した。第一章では『細雪』の同時代評を分析した。『細雪』は占領期において、歌舞伎の〈古典化〉と足並みを揃えるように、日本の〈様式美〉を体現した〈古典〉として理解され、「批評性」を欠く作品として位置付けられた。
だが、雪子と妙子の縁談を軸とする本作のプロットからは、「家制度」によって形成された〈家〉概念を問い直す視座を指摘できる。ゆえに第二章では、雪子の〈結婚〉に着目し、『細雪』と〈家〉の秩序の再編という問題との関係を明らかにした。〈結婚〉を通して旧家を守ることができなかったにもかかわらず、〈船場〉の娘に相応しい振る舞いを続けて、理想の〈蒔岡家〉の秩序を再編しようとする雪子の姿は、封建的な〈家〉を別の形に作り直さねばならない当時の国民の姿とも重なっていた。『細雪』は伝統と革新のどちらにも定住できなかった雪子の姿と、「結婚=女の幸せ」という価値観に基づく幸子の語りの対比を通して、不完全な戦後民主主義のもとで、新たな〈家〉の秩序を構築せねばならない社会が直面するはずの困難をいち早く描いていた。
第二部では、単行本『月と狂言師』所収の随筆と日記を分析し、戦後民主主義言説の中核をなした「文化国家」論に対する谷崎のスタンスを検討した。
第三章では、『細雪』と同時並行的に発表された「疎開日記」を分析し、日記の公表を通して谷崎が〈自己責任〉の倫理を提出したことを明らかにした。昭和二十一年前半の文壇においては、「戦災者」「疎開者」という作家の自己像が流通し、戦時・疎開体験の語りにも一定の型が形成されていった。だが谷崎は、その型をなぞらない「疎開日記」を発表することで、したたかな生活者としての自己像を提出した。「疎開日記」は、「話」の奔流という戦時下の言説空間を生々しく保存するとともに、国家権力との紐帯を解かれた「個人の家庭」にのみ責任を負うべく振る舞った谷崎の姿を記録している。このような生活の記録を『細雪』に随伴させることで、谷崎は「卑俗」な言葉の奔流を利用して作品を守るという〈自己責任〉の倫理を打ち出し、作家の〈再出発〉を単一の型に回収しようとする戦後の言説空間に抵抗していた。
谷崎が戦後民主主義言説に批判的な態度を取った契機は、京都移住にともない、〈非戦災都市〉というスローガンと、建物疎開の爪痕の落差を目の当たりにしたことであった。第四章では、「磯田多佳女のこと」を中心に、谷崎が戦後京都を題材にした随筆を分析することで、公権力主導の「文化都市」論から距離を置き、京都に愛着を持つ一人の生活者という立場をあえて貫いていたことを明らかにした。昭和二十年代の谷崎は、京都における風情ある住まいのイデアの継承者というスタンスを取り、流行語としての「文化」に背を向けることで、自分の言葉が京都の伝統を「宣伝」しないよう振る舞い、商品価値のある文化だけを称揚する「文化都市」論の空疎さに反発し続けた。のみならず、空疎なスローガンを撃つために、都市のカオスと封建的なモラルの崩壊という題材を、プレス・コードに妨げられないよう温存していた。
戦前から戦後まで一貫して、谷崎は自らの言葉が、公権力による文化の「宣伝」に利用されることを強く警戒していた。第五章では「所謂痴呆の芸術について」のレトリックに着目し、占領期における古典芸術の政治利用に対する、谷崎の戦略的な批判を読み解いた。谷崎は「私」の義太夫に郷愁を覚える感性と、近代的な理性との対立を描き、それを「われ〳〵」知識人一般の問題へと拡大する。そして谷崎は「われ〳〵」知識人たちが芸人の修行譚を好んで消費し、名人の「技巧」を通して文楽に魅入られていくという形で、文楽における「不合理」の連鎖に加担していることを描き出す。谷崎はあえて「痴呆の芸術」として文楽を名指すことで、文楽の政治利用を批判した。同時に、言葉にならない愛情をもって、国策に寄与する〈有用性〉のない芸術としての文楽を肯定した。本随筆を通して、谷崎は「不合理」を内包する芸術によって、知識人たちの〈常識〉を問い直し、戦後社会を批判するという手法を獲得した。
『月と狂言師』所収の随筆・日記は、同時代の民主主義的な言説に対する批判であると同時に、昭和三十年代における谷崎の作家活動を準備するものであった。
第三部では、昭和三十年代に発表された『鍵』、『残虐記』、『夢の浮橋』の三作品を分析することで、谷崎が〈復興〉という大きな物語を懐疑し、戦後社会におけるモラルを強く揺さぶっていたことを明らかにした。
既存のモラルへの挑発という視座から谷崎の戦後作品を再検討したとき、同時代に最も大きな反響を呼んだのは、第六章で分析した『鍵』であった。本作は夫婦による日記の応酬という形式を通して、郁子が性欲を満たすために、自己表象を融通無碍に変容させる様を描いていた。〈不貞〉に対する因果応報のプロットに郁子の自己表象を回収することを拒み、女性の無軌道な性欲のありかたを提示した本作は、同時代の「よろめき」小説群とその批評に現れた、既婚女性の〈不貞〉だけを〈悪〉とする構図を無効化した。『鍵』は読者の内面にある性規範を問い直す構造を内包しており、女性の性欲に対する懲罰感情を挑発する批評性を獲得していた。
一方で、谷崎は〈復興〉という前向きな物語に参与できない人間の姿が、生存者の視点によって抑圧されていく構造も暴き出していた。第七章では『残虐記』を分析し、本作が三宮の闇市という無軌道なエネルギーを蓄えたカオスを舞台装置として取り込んだことで、敗戦から約十年が経過した〈戦後〉の社会に生存者バイアスの問題を突き付けていたことを明らかにした。本作における夫婦の暮らしと神戸の〈復興〉は相似形をなしており、結果として被爆の後遺症による増吉の不能という設定も、被爆者の実存の危機を象徴する出来事として機能していた。『残虐記』はマゾヒズムによる増吉の救済を放棄したことによって、国の〈敗戦〉と自らを切り離し、〈戦後〉の社会に適応できる逞しさを持つ者と、身体で〈敗戦〉を引き受けたがために、「無気力」でしかいられない者の間に存在する分断を浮き彫りにしていた。
このような、戦後社会のモラルを揺さぶる谷崎の歩みは、『夢の浮橋』を通して、空疎な〈伝統〉に執着する滑稽さへの批判に到達する。第八章では『夢の浮橋』を分析し、本作が「谷崎文学」自体の〈伝統〉化への批判的視点を提示するさまを論じた。糺の手記は亡き実母・茅渟と継母・経子を同一視して理想化する、循環論法のような母恋いに支配されていた。乙訓家の構成員たちの思惑は、「茅渟」という存在を経由して共犯的に絡み合っていた。だが、父の病を契機として、自分が〈母〉を慕うために、懐古趣味的な五位庵の〈伝統〉を継ごうとする糺の語りは、経子自身の「仕合せ」を抑圧していく。行動でもって糺の理想から逸脱する経子の存在を通して、本作は〈伝統〉の継承への執着が孕む暴力性と空虚さを浮き彫りにしていた。『夢の浮橋』はこのような抑圧と逸脱のプロセスを示すことで、自作自演の〈伝統〉に執着することの滑稽さを暴くのみならず、懐古趣味を繰り返すだけの〈古典〉を意味してきた「谷崎文学」というレッテルを批判的に乗り越えた。
以上の検討を通して、本研究は、戦後の谷崎潤一郎の作家活動が、民主主義を志向する言説の内部に潜む、個々の構成員の抑圧という構図を暴き続けていたことを論証した。谷崎にとっての戦後とは、民主主義という題目のもとで、〈有用性〉という尺度によって文化を評価し、個人のありかたを抑圧するような言説が次々と生成されていく時代であった。だからこそ谷崎は、自らの言葉が特定の型に回収され、文化の「宣伝」に利用されることを拒み続けた。谷崎は、近代の知識人からすれば、現代に対する「批評性」を持たない〈様式美〉や、登場人物たちによる「不合理」な演技としか見えない要素を内包する作品を通して、戦後民主主義の〈正しさ〉が後景化してきた問題を浮上させていた。その結果、谷崎の小説は、「もはや「戦後」ではない」と謳われた時代にあって、忘却されつつあった弱者の声や、お仕着せのモラルから逸脱する欲望を突き付けることで、戦後社会が目を背けてきたものを露わにする批評性を獲得した。谷崎潤一郎は、「戦後文学」の最前線に位置しながら、その制度を揺さぶり続けた作家であった。
序章では、昭和戦前期の谷崎のテキストを検討し、谷崎が〈日本文化〉を語り直しながら、「日本文学」の自律を構想する過程を分析した。そのうえで、同時代の文化政策との緊張関係を明らかにした。谷崎のテキストは文学の自律を志向しつつも、結果として国家による文化の「宣伝」の材料となったという二義性を内包していた。ゆえに、本研究では、戦後の「文化国家」という大義名分に対する、谷崎の批評的な距離に着目することとした。
第一部では、『細雪』の同時代評の検討と作品分析を通して、昭和二十年代前半における谷崎評価のバイアスを整理し、本作を旧民法に基づく「家制度」の廃止に伴う〈家〉の秩序の再編という視座から再評価した。第一章では『細雪』の同時代評を分析した。『細雪』は占領期において、歌舞伎の〈古典化〉と足並みを揃えるように、日本の〈様式美〉を体現した〈古典〉として理解され、「批評性」を欠く作品として位置付けられた。
だが、雪子と妙子の縁談を軸とする本作のプロットからは、「家制度」によって形成された〈家〉概念を問い直す視座を指摘できる。ゆえに第二章では、雪子の〈結婚〉に着目し、『細雪』と〈家〉の秩序の再編という問題との関係を明らかにした。〈結婚〉を通して旧家を守ることができなかったにもかかわらず、〈船場〉の娘に相応しい振る舞いを続けて、理想の〈蒔岡家〉の秩序を再編しようとする雪子の姿は、封建的な〈家〉を別の形に作り直さねばならない当時の国民の姿とも重なっていた。『細雪』は伝統と革新のどちらにも定住できなかった雪子の姿と、「結婚=女の幸せ」という価値観に基づく幸子の語りの対比を通して、不完全な戦後民主主義のもとで、新たな〈家〉の秩序を構築せねばならない社会が直面するはずの困難をいち早く描いていた。
第二部では、単行本『月と狂言師』所収の随筆と日記を分析し、戦後民主主義言説の中核をなした「文化国家」論に対する谷崎のスタンスを検討した。
第三章では、『細雪』と同時並行的に発表された「疎開日記」を分析し、日記の公表を通して谷崎が〈自己責任〉の倫理を提出したことを明らかにした。昭和二十一年前半の文壇においては、「戦災者」「疎開者」という作家の自己像が流通し、戦時・疎開体験の語りにも一定の型が形成されていった。だが谷崎は、その型をなぞらない「疎開日記」を発表することで、したたかな生活者としての自己像を提出した。「疎開日記」は、「話」の奔流という戦時下の言説空間を生々しく保存するとともに、国家権力との紐帯を解かれた「個人の家庭」にのみ責任を負うべく振る舞った谷崎の姿を記録している。このような生活の記録を『細雪』に随伴させることで、谷崎は「卑俗」な言葉の奔流を利用して作品を守るという〈自己責任〉の倫理を打ち出し、作家の〈再出発〉を単一の型に回収しようとする戦後の言説空間に抵抗していた。
谷崎が戦後民主主義言説に批判的な態度を取った契機は、京都移住にともない、〈非戦災都市〉というスローガンと、建物疎開の爪痕の落差を目の当たりにしたことであった。第四章では、「磯田多佳女のこと」を中心に、谷崎が戦後京都を題材にした随筆を分析することで、公権力主導の「文化都市」論から距離を置き、京都に愛着を持つ一人の生活者という立場をあえて貫いていたことを明らかにした。昭和二十年代の谷崎は、京都における風情ある住まいのイデアの継承者というスタンスを取り、流行語としての「文化」に背を向けることで、自分の言葉が京都の伝統を「宣伝」しないよう振る舞い、商品価値のある文化だけを称揚する「文化都市」論の空疎さに反発し続けた。のみならず、空疎なスローガンを撃つために、都市のカオスと封建的なモラルの崩壊という題材を、プレス・コードに妨げられないよう温存していた。
戦前から戦後まで一貫して、谷崎は自らの言葉が、公権力による文化の「宣伝」に利用されることを強く警戒していた。第五章では「所謂痴呆の芸術について」のレトリックに着目し、占領期における古典芸術の政治利用に対する、谷崎の戦略的な批判を読み解いた。谷崎は「私」の義太夫に郷愁を覚える感性と、近代的な理性との対立を描き、それを「われ〳〵」知識人一般の問題へと拡大する。そして谷崎は「われ〳〵」知識人たちが芸人の修行譚を好んで消費し、名人の「技巧」を通して文楽に魅入られていくという形で、文楽における「不合理」の連鎖に加担していることを描き出す。谷崎はあえて「痴呆の芸術」として文楽を名指すことで、文楽の政治利用を批判した。同時に、言葉にならない愛情をもって、国策に寄与する〈有用性〉のない芸術としての文楽を肯定した。本随筆を通して、谷崎は「不合理」を内包する芸術によって、知識人たちの〈常識〉を問い直し、戦後社会を批判するという手法を獲得した。
『月と狂言師』所収の随筆・日記は、同時代の民主主義的な言説に対する批判であると同時に、昭和三十年代における谷崎の作家活動を準備するものであった。
第三部では、昭和三十年代に発表された『鍵』、『残虐記』、『夢の浮橋』の三作品を分析することで、谷崎が〈復興〉という大きな物語を懐疑し、戦後社会におけるモラルを強く揺さぶっていたことを明らかにした。
既存のモラルへの挑発という視座から谷崎の戦後作品を再検討したとき、同時代に最も大きな反響を呼んだのは、第六章で分析した『鍵』であった。本作は夫婦による日記の応酬という形式を通して、郁子が性欲を満たすために、自己表象を融通無碍に変容させる様を描いていた。〈不貞〉に対する因果応報のプロットに郁子の自己表象を回収することを拒み、女性の無軌道な性欲のありかたを提示した本作は、同時代の「よろめき」小説群とその批評に現れた、既婚女性の〈不貞〉だけを〈悪〉とする構図を無効化した。『鍵』は読者の内面にある性規範を問い直す構造を内包しており、女性の性欲に対する懲罰感情を挑発する批評性を獲得していた。
一方で、谷崎は〈復興〉という前向きな物語に参与できない人間の姿が、生存者の視点によって抑圧されていく構造も暴き出していた。第七章では『残虐記』を分析し、本作が三宮の闇市という無軌道なエネルギーを蓄えたカオスを舞台装置として取り込んだことで、敗戦から約十年が経過した〈戦後〉の社会に生存者バイアスの問題を突き付けていたことを明らかにした。本作における夫婦の暮らしと神戸の〈復興〉は相似形をなしており、結果として被爆の後遺症による増吉の不能という設定も、被爆者の実存の危機を象徴する出来事として機能していた。『残虐記』はマゾヒズムによる増吉の救済を放棄したことによって、国の〈敗戦〉と自らを切り離し、〈戦後〉の社会に適応できる逞しさを持つ者と、身体で〈敗戦〉を引き受けたがために、「無気力」でしかいられない者の間に存在する分断を浮き彫りにしていた。
このような、戦後社会のモラルを揺さぶる谷崎の歩みは、『夢の浮橋』を通して、空疎な〈伝統〉に執着する滑稽さへの批判に到達する。第八章では『夢の浮橋』を分析し、本作が「谷崎文学」自体の〈伝統〉化への批判的視点を提示するさまを論じた。糺の手記は亡き実母・茅渟と継母・経子を同一視して理想化する、循環論法のような母恋いに支配されていた。乙訓家の構成員たちの思惑は、「茅渟」という存在を経由して共犯的に絡み合っていた。だが、父の病を契機として、自分が〈母〉を慕うために、懐古趣味的な五位庵の〈伝統〉を継ごうとする糺の語りは、経子自身の「仕合せ」を抑圧していく。行動でもって糺の理想から逸脱する経子の存在を通して、本作は〈伝統〉の継承への執着が孕む暴力性と空虚さを浮き彫りにしていた。『夢の浮橋』はこのような抑圧と逸脱のプロセスを示すことで、自作自演の〈伝統〉に執着することの滑稽さを暴くのみならず、懐古趣味を繰り返すだけの〈古典〉を意味してきた「谷崎文学」というレッテルを批判的に乗り越えた。
以上の検討を通して、本研究は、戦後の谷崎潤一郎の作家活動が、民主主義を志向する言説の内部に潜む、個々の構成員の抑圧という構図を暴き続けていたことを論証した。谷崎にとっての戦後とは、民主主義という題目のもとで、〈有用性〉という尺度によって文化を評価し、個人のありかたを抑圧するような言説が次々と生成されていく時代であった。だからこそ谷崎は、自らの言葉が特定の型に回収され、文化の「宣伝」に利用されることを拒み続けた。谷崎は、近代の知識人からすれば、現代に対する「批評性」を持たない〈様式美〉や、登場人物たちによる「不合理」な演技としか見えない要素を内包する作品を通して、戦後民主主義の〈正しさ〉が後景化してきた問題を浮上させていた。その結果、谷崎の小説は、「もはや「戦後」ではない」と謳われた時代にあって、忘却されつつあった弱者の声や、お仕着せのモラルから逸脱する欲望を突き付けることで、戦後社会が目を背けてきたものを露わにする批評性を獲得した。谷崎潤一郎は、「戦後文学」の最前線に位置しながら、その制度を揺さぶり続けた作家であった。