本博士論文では、礼楽および喪葬儀礼を中心に、日唐比較の視点から、古代日本が唐から受容した礼楽及び喪葬儀礼をどのように改変を加えながら、従来の儀礼・制度と融合させて機能させたのかを解明しようとしたものである。
 本論文は二部に分けて、四テーマに対して論を展開した。以下、本論文の内容の要旨を部、そして章ごとに紹介しながらまとめていく。
 第一部では、まず養老学令における奏楽禁止の規定を手がかりとして日本における礼楽思想の受容について論じ、そして礼楽制度の一部となる鼓吹楽の日本における受容について検討した。第二部では、まず律令的葬送儀礼において鼓吹楽とともに登場する方相を中心として考察し、そして律令的喪葬儀礼を担当する喪儀司をめぐってその職掌について検討し、あわせて土師氏との関係性についても論じた。
 第一章では、まず養老学令不得作楽条に基づいて、大宝令と唐令の復原を試み、唐令の従来の復原案にある問題点を指摘したうえで、独自の復原案を提示した。そして日唐条文の「不得作楽」と「弾琴不禁」の二点をめぐって、令集解諸説を読み解きながらそれぞれその背景にある礼楽思想に検討を加え、条文の立条の原理と目的を探ってみた。さらに以上を踏まえて、史料上の具体例を検討することを通じて、日本古代における礼楽思想の受容の実態を解明した。古代日本は、国家儀礼においても、個人の教養においても、日本独自の形で礼楽思想の受容および礼楽制度の実践を行っていたことが明らかになった。
 第二章では、まず日中古来の葬礼音楽の異同および鼓吹楽の日本への伝来過程について検討し、そして律令成立以前における鼓吹楽の使用状況について外交儀礼・軍事・喪葬儀礼の三つの角度から考察を加え、最後に律令条文に基づいて、日唐それぞれの鼓吹楽の担当官司である鼓吹署と鼓吹司について、その人員配置や職掌・役割などの異同に対して比較分析を行った。古代日本には唐のような鹵簿儀礼用・軍事用の体系的で大規模な鼓吹楽が伝来せず、古代日本は伝わってきた軍楽としての鼓吹楽を小規模でありながら、国家儀礼や喪葬儀礼などにも流用し、当時の実態に合わせて礼楽制度を実施しようとしたことを明らかにした。
 第三章では、まず方相の使用を規定する養老喪葬令条文およびその集解が引用する『周礼』の方相に関する記載を確認し、方相の源流およびその古代中国の喪葬儀礼での使用状況について概観した。そして唐代の方相について、儺儀と喪葬儀礼のそれぞれの場合における方相の使用形態について検討を行ったうえで、喪葬儀礼の場合の葬送行列・埋葬後のそれぞれの段階における方相の所在と役割について考察した。最後に、古代日本の方相について、儺儀と喪葬儀礼のそれぞれの場合の使用形態について唐のそれと比較しながら考察を行い、また遊部・仏教的葬礼の導入との関係性を言及しつつ、方相の古代日本の喪葬儀礼における役割の変容について論じた。古代日本は律令成立期および成立後において、律令的喪葬儀礼・仏教的喪葬儀礼・日本従来の喪葬儀礼の三つの要素を融合させ、日本独自の喪葬儀礼の形を創出したことを解明した。
 第四章では、まず従来の研究で十分に検討されてこなかった養老職員令喪儀司条について大宝令・唐令の復原における問題点について再検討を行い、そして喪葬道具、特に鹵簿鼓吹道具の管理・収納をめぐって、日唐それぞれの担当官司の異同について考察し、最後に日唐それぞれの喪葬担当官司である司儀署と喪儀司の位置づけと役割の異同について、土師氏の役割との関係性を言及しつつ論じた。古代日本は、律令喪葬制度と日本従来の葬送儀礼を融合させ、唐司儀署に相当する官司である喪儀司には、律令的送葬行列法式の指導を担当させ、そして土師氏には日本古来の呪術的な殯宮儀礼を担当させるという形で、日本独自の律令喪葬官司を作り上げたことを明らかにした。
 以上の二部四章にわたる検討を通じて、古代日本が中国大陸から礼楽および喪葬制度を受容した際に、どのようにその背後にある儀礼と思想をもともに受容したのか、またどのようにしてそれらを日本従来の儀礼と制度と融合させつつ、巧みに改変を加えたのかを解明した。