本論文は、古代律令国家における人民支配の装置として和歌がどのように機能していたかという問題意識に基づき、主として『万葉集』に見られる防人歌の表現内容の分析を通して検証しようとする試みである。
『万葉集』は、七世紀中葉から八世紀にかけて主に中央貴族によって詠まれた歌を集めた貴族文化を象徴する歌集でありながら、その内部に中央貴族以外の下層民(庶民)による歌をも少なからず含んでいるという特異性を持つ。このような特異性は最近まで和歌がまだ歌謡(もしくは民謡)の世界を完全に振り払う前の草創期のカオスを伝えているものと理解されていたが、『万葉集』の庶民の作がはたして彼らの生活感情を素直に伝える歌謡であったかについては早くから疑問が持たれていたのも事実であり、それらのほとんどが定型和歌であるということは庶民の作が歌謡そのものではないことを端的に示すものといえる。そこに庶民の歌の蒐集にかかわった、定型和歌の担い手である中央貴族たちの関与する状況が生じたことは否定しえないのではないか。『万葉集』に庶民の作がことさらに収められていることの意味が再考されなければならない所以である。
その意味で、庶民の作の広範な現出を『万葉集』を生み出した時代の歴史的特殊性から説明した品田悦一氏の見解は注目すべきである。氏は、中央集権的な古代律令国家は地方支配の装置として都と諸国を放射状に結ぶ交通網を実体として持ちつつ、それに支えられながら中央主導による在地との「交通」を展開したが、『万葉集』に見られる庶民の作はそのような「交通」の所産であり、中央集権的体制の解体後は再び和歌の流通が貴族社会に局限されていったと説いた。氏の見解は『万葉集』に固有な現象を歴史的特質に即して捉えようとした先駆的ものとして研究史的意義が大きい。ただし、「交通」の媒体となった和歌そのものに対する機能的な把握がやや不充分であったように思われる。というのも、和
歌に対する一定の政治・社会的機能が期待されなければ、それが「交通」の道具になることはなかったと考えられるからである。
この点にかかわって想起されるのは、その効用性を存在意義の中心において説いている『毛詩』大序に代表される古代中国の詩観―詩は内面の発露であるため、為政者は民の詩から民情を読み取ることで政治を正し、逆に為政者は詩を正すことで民の内面に作用を及ぼし道徳を正すという考えである。に関連して古くから行われた「采詩」とは儒教的政治理念と強く結び付いた観念であり、律令官人たちによる地方の歌の蒐集という実践もこうした古代中国の詩観の理念に支えられたものといえよう。の機能については、後代の勅撰集と区別される『万葉集』のもう一つの特異性として中央貴族たちの作に庶民を取り上げた歌が少なからず存在することからも具体的に確認することができる。律令官人でもあった彼らが中央の官僚や地方官としての公務の遂行中に出会った庶民やその生活から取材して作歌しており、例歌のほとんどは国家による公務にかかわった庶民や下級役人を取り上げたものである。律令官人たちは「戸令」国守巡行条に定められた「凡国守毎レ年一巡二行属郡一。観二風俗一。問二百年一。録二囚徒一。理二寃枉一。詳察二政刑得失一。知百姓所二患苦一。敦喩二五教一。勧二務農功一。・・・・・・」を義務として負っていたが、律令官人たちの庶民への関心は、「観風俗」の責務に深くかかわっているといえよう。具体的には、「知百姓所患苦」に依拠した作歌や、「敦喩五教」に基づいた、の機能の直接な応用例などが確認される。もっとも、庶民を取り上げた律令官人たちの作歌を地方官の義務条項にそれぞれ当てはめるのが本稿の趣旨ではない。むしろ重要なのは、律令官人たちが人民統御という公務を行うのみならず、その延長上にそれにかかわらせて和歌を作ったことである。それは、『万葉集』の時代に古代中国の政教主義的詩観に基づいた機能(政治・社会的な有用性、ないしは功利性)が和歌に期待される時代思潮があったことを示すものではないか。支配の装置として和歌が論じられうる理由がここにある。そして、律令官人たちの管轄下の人民への関心と見合うようにして『万葉集』における庶民の作の量的豊饒という文学史的特質が保障されたと考えられる。
ところで、『万葉集』が庶民の作と伝える例のほとんどは一般の庶民ではなく地方民の歌である。特に、東歌と防人歌は東国方言的要素を多分に含んでいる。このような蒐集範囲の偏りについて、品田氏は中国の華夷観念を継受して「小帝国」を志向した古代の統一的専制王権が風変わりな歌を『万葉集』に取り込むことで世界中の人々の心と生活を掌握しているということを、歌によって示す点にあったと説いた。ただし、庶民の作の蒐集という試みは、『万葉集』の編者による理念的な位置づけからのみならず、和歌を自らの文化価値として自覚的に捉えていた中央貴族たちの、世界の人々をすぐれた中央文化の水準に同化させようとする意識に支えられた実体を持つものであった点からも強調されなければならないのではないか。即ち、庶民の作とされる例がその異質性において意味付けられるのと同時に、中央歌との同質性が付与されている点についても、中国の詩観、特にの機能、つまり詩をもって人民を徳化するという観念を背景に持つ律令官人たちの、和歌の世界における実践をも読み取るべきである。そして、庶民の作の間に見られる同質性の偏差も、中国的詩観の二つの機能、即ち庶民の歌謡を尊重しようとする姿勢につながりやすいと庶民の歌謡に働きかけようとするの磁場を内部に抱え込んだ律令官人たちの、歌の蒐集にあたる多様な姿勢に起因するものと解されよう。そうだとすると、中央貴族たちは自らの文化価値を象徴する和歌による人民支配をめざしており、それが地方支配とも密接に関わっているところに彼らの世界観が反映されていたことになる。第一章、第二章、第四章は、こうした律令官人たちの世界観(ないしは詩観)に注目しつつ、彼らの庶民の作へのかかわりの様相を巻二〇の防人歌や他の庶民作を具体的な対象として跡付けようとするものである。第三章では、律令官人たちの歌に具体的に切り取られている彼らの世界観について論じる。
庶民の歌の蒐集にあたった律令官人のかかわり方はそれぞれ異なり、個々に対する詳細な検討が欠かせないが、それらは『万葉集』の文学史的な特質を見据えた上で方向付けられるべきことをとりあえず確認しておく。