本稿では、近世における宗教と社会をめぐる問題の検討にあたり、そのなかでも大きな比重を占めた仏教を主な素材として取り上げた。そして、近世の国家・社会における仏教のあり方を特徴付け、かつ諸宗教者・芸能者のなかでの総合的把握や、村・町・地域との関係を明らかにする上で重要な検討素材となる、寺檀制度・寺檀関係、ならびに本末制度・教団構造にあらためて焦点を当て、他の宗教者・芸能者や宗判寺檀関係以外の関係との関連における総合的な把握をも目指しつつ、従来あまり行われてこなかった構造分析を行った。その結果、研究対象の帯びる地域性や、宗教、宗派等による差異を超えて研究を進展させるための幾つかの論点・視角を提示した。また、無批判に援用される傾向にある旧来の通説やシェーマを批判した。
各章の要旨は以下の通りである。まず、第一部「宗教施設と教団構造」では、近世における社会と仏教との関係を考察する際に有効な視角となると考えられる、宗教施設や地方教団組織に焦点を当てて構造分析を行い、論点を抽出した。第一章「近世中後期における在地寺院の運営をめぐって─関東・新義真言宗を中心に─」では、寺院と、住職等の僧侶とを区別して分析する視点を導入し、寺院の経営や住職交代の事例分析を行った。そして、仏教教団の僧侶集団が、檀家組織や、寺院所在村を主とした村と、寺院本末組織に編成された寺院を媒介として関係する、という構造を鮮明に描き出した。そして、その構造のなかで、寺院住職と、檀家組織や寺院所在村との間で、宗教施設の堂舎・什物・寺地・金銭の維持や管理が重要な問題とされていたことが明らかになった。続く第二章・第三章では、地方教団組織の構造分析を行った。第二章「近世安房国における新義真言宗の寺院組織」においては、寺院組織に関する論点を中心に分析した。近世の安房国には複数の新義真言宗の寺院本末組織があったが、また一国の触頭と談林とをただ一ヶ寺が勤めるという新義真言宗教団において希有な状況を呈していた。また宝珠院末寺の那古寺とその衆分寺院とは、公的には寺院本末組織を形成していなかったが、他の寺院本末組織の地方教団組織と類似した性格を有していた。第三章「近世安房国における新義真言宗の僧侶集団」では、地方教団組織で起きた、僧侶の法会における座順や、住職交代をめぐる争論の分析等を行った。そして、あくまで強固に確立している本末制度の枠内において、地方教団組織独自の慣習・規定など、実態レヴェルでの動向が展開している、という状況を指摘した。また第四章「在地寺院の寺元」においては近世社会における宗教施設と、それをめぐる諸関係の分析の一環として、近世の大和・南山城の在地寺院に関してみられる「寺元」慣行について分析し、それが、特定寺院に子弟を入寺させる権利、ないしはその権利を持った家の特定個人を指すことを指摘した。
第二部「寺檀関係論」では、宗教施設に取り結ばれる、ないしは宗教施設を媒介として僧侶集団が取り結ぶ、寺檀関係や、寺院所在村との関係について検討した。まず第五章「近世後期における寺檀関係と檀家組織─下越後真宗優勢地帯を事例として─」では、宗判寺檀関係を、檀家組織に着眼し、村・地域及びそこにおける諸信仰のなかで多面的に考察すべく、まず村落内における檀家組織の実態を検討し、さらに、宗判寺檀関係を超えた、宗教施設と民衆との関係の実態について、検討を加えた。次に第六章「檀家組織の構造と代表者的存在」では、寺院と寺院所在村との関係に着眼しつつ、檀家組織の代表者的存在及び寺院運営の世話人について検討し、それらの性格を類型化した。さらに第七章「近世中後期関東における祈祷寺檀関係」においては、宗判寺檀関係に類似した側面を有する祈祷寺檀関係の存在を明らかにし、その実態を分析した。その結果、祈祷寺檀関係の実像とその特質とを提示すると共に、圭室文雄氏の「葬祭から祈祷へ」というシェーマに批判を加えた。また、広義の寺檀関係のなかでの宗判寺檀関係の相対化に繋がる視点を提示した。最後に第八章「幕藩権力と寺檀関係─一家一寺制をめぐって─」では、従来幕藩権力による寺檀制度の特徴として位置づけられてきた「一家一寺制」に関する法令の通時的な検討・再検討を行い、一家一寺制に関する法令は、幕府・藩双方のものとも、宗門改の円滑化等を目的とした現実への対処としての性格を持つものであり、先行研究が指摘するような、「家」のあり方に関する積極的な政策であるとはいえないということを指摘した。