本論文の目的は、アリストテレスの実体論が展開される『形而上学』中核諸巻、その中でもとくにまとまりをなすZH巻を主な典拠として、そこで問われる「ousiaとは何か」という問いの答えをなすと考えられる「本質」と「形相」に焦点をあて、それらが感覚的な事物の根拠とされることの意味を解明することにある。本質ないし形相としてのousiaは『カテゴリー論』以来のousia(実体)と区別されるが、本質ないし形相は実体のousiaとして見出される限りにおいて実体と或る種の連関を保っている。本論文では実体のousiaを「〈実体〉」と訳すことによって、実体とそのousiaとの区別および連関を明示することにしたい。
第I章では、「実体」概念がアリストテレスの形而上学的思考のうちにいかなる仕方で生じたのかを『カテゴリー論』第1-5章に依拠して明らかにする。まず三つの名(同名異義語、同名同義語、派生名)による事物の三分類、そして述語づけと内属性による〈あるもの〉の四分類(実体の個物と普遍、属性の個物と普遍)を見ることによって、実体と属性との区別がいかにして立てられたのかを理解する。その上で個体属性(属性の個物)の身分をめぐる問題に取り組み、さらに個体実体の優位性の主張を通じて「第一実体」と呼ばれるものの身分について考察する。その結果、「属性が度外視され、かつ或る特定の種(類)に帰属する限りの個物」という独特な規定が見出されることになる。
第II章では、前章での個体実体についての理解が『形而上学』ZH巻においても形を変えて残っていること、しかし『カテゴリー論』とは異なり、アリストテレスの関心が実体の〈実体〉に移っていることを明らかにする。まずΔ巻第7章における付帯性と基体との区別、および基体の存在論的優位性を見た上で、Z巻第1章における実体の優位性について考察する。そして「実体」と「〈実体〉」との区別をZ巻第3章のうちに見て取り、さらにZ巻第4-6章における「本質」概念の規定、および実体とその本質との同一性の主張を取り上げる。この主張を経て、「属性が度外視され、かつそれ自身がその本質である限りの個物」という「実体」理解が得られることとなる。
第III章では、Z巻の中盤で実体論に生成論が組み込まれる事実に対して、『自然学』における生成論、および運動の定義を取り上げることによって、生成論導入後の実体論を理解するための準備を行う。まず『自然学』A巻第7章における「生成」についての一般的説明を理解し、実体的生成を説明するのに不可欠である「質料」概念がいかなる仕方で導入されているかを見る。実体的生成において「基体」は二義的であり、生成が起こる前にあってその生成を耐えて存続しないものを指す場合と、その生成を耐えて存続するものを指す場合がある。生成を耐えて存続する基体が質料であり、それはその存続のゆえに生成物(生成したもの)の質料として残っている。さらに「質料」の理解を深めるために、『自然学』Γ巻第1章における運動の定義を見る。運動の定義における「可能的に〈あるもの〉」について考察することによって、可能的に〈あるもの〉としての質料が生成のプロセスを支える限りのものであることが明らかとなる。
第IV章では、実体論への生成論の導入によって質料形相論の観点が入ってきた本質論を取り上げる。この本質論はZ巻第10-11章において、実体を定義するにあたって質料への言及が必要かどうかという問題を通じて定義論として展開される。アリストテレスはこの二つの章において事実上二種類の定義、すなわち形相を定義対象とする定義と結合体(質料と形相からなるもの)を定義対象とする定義を認めている。質料への言及は前者の定義においては必要なく、後者の定義において必要であるとされる。このことは実体とその本質との同一性の主張にも影響してくる。ここでは質料形相論の観点が入っているため、Z巻第6章において主張された同一性は形相とその本質との同一性に取って代わられることになる。また結合体にも本質があるが、この本質は当の結合体の形相にほかならず、それゆえ結合体とその本質との同一性は成り立たないことになる。さらにまた結合体という個体把握が質料を〈実体〉と仮定した上に成り立っていることが明らかとなるが、ここに形相が「第一の〈実体〉」と呼ばれるゆえんを見出すことができる。
第V章では、『形而上学』ZH巻において問い求められる〈実体〉(形相)がいかなるものであるかを明らかにする。Z巻第8章を手がかりに結合体の内部構造がどのように捉えられているかを見た上で、実体論に原因探究の視点が取り入れられるZ巻第17章に向かい、形相の原因性について考察する。さらにH巻第2章における結合体の定義についての説明を取り上げ、アリストテレスが事物の差異を手がかりにして真の実体(生物)の〈実体〉である現実態(形相)を捉えようとしている場面を見る。そこにおいて事物の差異は目的因として語り出されており、生物の現実態もそのように語り出されるであろうことが読み取れる。
最終章となる第VI章では、優劣はあるにせよどちらも〈実体〉とみなされる質料と形相について、それらが一つの結合体をなしているという説明のうちに潜む問題、すなわち結合体の一性の問題を取り上げ、アリストテレスがこの問題をいかなる仕方で解決しているかを見る。その解決はH巻第6章において「可能態-現実態」の対概念を用いて行われているが、この対概念を持ち出すことでなぜ問題が解決するかについては解釈が必要とされる。生成論を取り上げた際に明らかにした「可能的に〈あるもの〉」の理解がその解釈にとって効果的に働くことになる。またこの問題のそのような解決が形相の原因性の否定とは異なるということについても言及する。
以上から、『形而上学』ZH巻が三つの展開からなる構造をもつことが明らかとなる。すなわち、(1)『カテゴリー論』第1-5章における個体実体優位の存在論の修正版とも言える実体優位の存在論に基づいて実体の〈実体〉を探究していくという展開、(2)質料形相論の観点の導入によって結合体という個体把握を成立させ、本質を結合体の形相と同定した上で、定義論から実体と本質の同一性の再考へと向かうという展開、(3)ZH巻における実体論を原因探究として再出発させ、形相の原因性を明らかにしていくという展開である。これが本論文におけるZH巻解釈の至った一つの結論である。