本稿は、王西彦(1914-1999)という作家を取り上げ、彼と「近代」との関わりを幾つかの角度から分析しようとする試みである。1914年生まれの彼は、教育制度と出版メディアが発展する中で成長した、近代の申し子であると言える。第一章では、まず、彼の受けた教育と読書体験について検討し、さらに彼の初期小説における近代の問題を考察した。
第二章では、民衆への視座に注目しながら、王西彦の三十年代から四十年代のテクストを概観した。彼は民間を強く意識し、農民たちの姿を小説に描くことにより、彼らの代弁/表象を行っている。四十年代になると、彼は「民族形式論争」に参加し、旧い民間の芸術形式の採用に対し反対する立場を採っている。当時の彼の小説には、しばしば都会人と農村というテーマが現れるが、これらの小説の主人公たちの農村幻想が、画一的イメージとしか表れず、現実の前に敗れ去らざるを得なかったことは、「民族形式論争」における彼の主張と共通の認識に基づいているのではないだろうか。
第三章では1941年の彼の小説「家鴿」とそれが引き起こした論争を取り上げる。「家鴿」は、抗戦への情熱にとりつかれ、慰労隊に参加しようとするものの恐れをなして逃げ帰る女性を風刺的に描いたものである。孔羅蓀は批判し、王西彦が女性をかごの中の鳥に喩えていると決めつける。これに対し、王が孔羅蓀と違って見出すのが「母性」と「国家への貢献」の対立である。彼はこの対立中の様々な女性のバリエーションを多くの小説中に繰り返し描いていて興味深い。だが「母性」対「国家への貢献」という問題は国民国家を疑わない限り解決できなかった問題なのかも知れない。
第四章ではツルゲーネフの講演「ハムレットとドン・キホーテ」の王西彦による受容について整理し考察を加えた。四十年代において王西彦はこの講演に対し独特の理解をしており、まず長篇小説『古屋』ではツルゲーネフの提示したハムレット型とドン・キホーテ型の対立は無化される。またツルゲーネフの描いたルージンと王の小説『神的失落』の主人公・馬立剛との類似も見出すことができる。抗戦期における知識人の苦境は、王西彦をしてルージンを想起させ。そしてその形象の理解を、ハムレットからドン・キホーテへと変えていったのだ。すなわち、苦しみの原因は行動力の欠如にあるのではなく、行動しても如何ともしがたい「時代の悲劇」にあったとされるのである。
終章では、「小結」として「解放」後の王西彦について概観した。王西彦の死後も解決されずに残っている近代という問題に対し、今後も研究を重ねたい。