文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。
松田 陽 准教授(文化資源学研究室)
私は古いものに興味があることに興味があります。
いかにも不格好な文ですが、校正ミスではありません。古いものに興味があるという状態や現象に、興味があるのです。
誰しも、古いものには何らかの関心を抱くものだと思っています。子どものときに遊んでいたおもちゃ、学生時代の写真、若い頃に着ていた服。こうしたものが出てきたときに抱く、何とも言えない感覚を思い返してみてください。
気になる古いものは、場所かもしれません。実家、むかし通っていた学校、以前住んでいたアパート――こういった場所が呼び起こすのは、楽しかった記憶や当時に戻りたいというノスタルジアかもしれませんし、つらくてほろ苦いけれども大切な思い出かもしれません。
しかし、古いものへの興味の何が面白いかというと、自らが直接体験していない過去の産物にも我々――人間――は関心を示すということです。自分が生まれる前、たとえば数百年前につくられたもの――歴史的建造物、遺跡、美術工芸品、土器、伝統芸能など――にも、私たちはその古さを咀嚼しながら関心を示します。関心を示すというよりも、関心を示せるというべきかもしれません。自身の存在よりも前の世界を想像した上で、先人がつくった古いものに対して興味をもつというのは、人間の好奇心と言語能力がなせる技だからです。
古いものを通して自らが経験していない過去に関心がわくのは、私たちが社会集団を介して自分たちを認識するからです。これには二つのパターンがあります。一つは、自身が所属する集団――家系、コミュニティ、民族、国家といった様々な組織――のかつての構成員がつくったものを、自分たちの先人や先祖が残したものとみなして、関心を抱くパターン。もう一つは、他集団の人たちがつくった古いものを、異文化の所産とみなしながら関心を抱くパターン。こちらには他者性や異国趣味が関わるものの、同じ人間がつくったものだという全人類的な意識も深層で働きます。
いずれのパターンにも共通するのは、私たちが個人としてだけではなく、社会集団としても古いものに関心を抱き、その背後に読み取る過去を通して、自分たちが何者であるかを確認するということです。
この確認は、誤解や曲解にもとづくこともあります。意識的であれ無意識的であれ、古いものから都合の良い過去を読み取りたいと思うのは、個人も集団も同じでしょう。その一方で、古いものが語る不都合な過去、いわば「真実の過去」にも向き合わねばならないという倫理的な観念も私たちは有しています。どちらも、古いものへの興味から生まれてくるのです。
九谷焼の二宮金次郎像とともに
人間は古いものに関心があると述べてきましたが、実際には古いものすべてではなく、その一部にしか関心を抱きません。ほとんどは忘れられるか、要らないと判断されて消えていきますので、「ほんの一部」と言うべきかもしれません。しかし、なぜそのほんの一部の古いものに私たちが興味を示すのかは、立ち止まって考えてみる価値があるでしょう。意外に、その古いものに新しさを見出しているからかもしれません。
以上、私が古いものに興味があることに興味がある様を述べてきましたが、「では、お前は具体的にはどんな古いものに興味があるのか」と、そろそろ問われそうです。ですが、私の興味はあくまでも古いもの全般――そして一般――に向いていますので、「古いものであれば何でも」というのが嘘偽りのない答えです。
とは言え、これでは煙に巻いていると思われるかもしれませんので、私が最近調べた、また現在調べている古いものを、思いつくままに挙げてみます。
ソンマ・ヴェスヴィアーナにある古代ローマ遺跡、東京大学に所在する文化資源、神田エリアの歴史資産、東京湾に50年以上前に造成された埋立地、上野公園に所在する文化資源、災害遺構、地域信仰の場となっている古墳、寺社附属の宝物館、廃墟、日本国外にある日本由来の文化遺産、日本国内にある外国由来の文化遺産、聖遺物、学校所在の文化資源、公立公園内にある祠、江の島の宝物、東京都指定旧跡、ナポリの歴史地区、日本遺産、近代化産業遺産、赤羽台の陸軍関係の施設跡、正倉院展、野毛大塚古墳、将門塚、桜井駅跡、須磨寺、京都市の岡崎公園、アレクサンドラ・パレス、葛西海岸堤防、扇島、本郷の冨士浅間神社、西教寺表門、宝塚市の宝の塚、原爆スラム、懐徳館庭園、花沼政吉の生人形…
あまりにも節操がなく、我ながら呆れます。しかも、これでも全てからは程遠いですし、私が調べる古いものはこの先も無秩序に増えていくでしょう。ただ、場所と時代を問わず、あらゆる古いものに興味があることだけは伝わるのではないかと思います。
こんなに間口を広くとるなんて専門家として失格ではないか、と少し前の私は悩んでいました。ですが、それでもこのスタンスで臨みつづけたところ、いつの間にか諦めてしまったのか、開き直ったのか、はたまた自信を得たのか、古いものを何でも対象にできることが自分の研究の魅力だと感じるようになりました。こんなに何でも古いものを考察対象とする人、そしてそこから古いものへの興味一般を俯瞰しようとする研究者はそういないでしょうから、この広くて浅い世界の専門家になってやろうと今では思っています。
広くて浅いがゆえに、誰とでも対話や議論ができそうな点に、大きな希望も感じます。「古いものに興味があるとはどういうことか?」は、文字どおり誰でも参加できる考察テーマです。各人にとっての気になる古いものを語ってもらえれば、そこから一緒に考えられる喜びがあります。このように開かれた研究は、純粋に楽しいです。
私の研究の出発点は、とにかく古いものへの興味です。あなたが興味ある古いものについて、ぜひ教えてください。
いかにも不格好な文ですが、校正ミスではありません。古いものに興味があるという状態や現象に、興味があるのです。
誰しも、古いものには何らかの関心を抱くものだと思っています。子どものときに遊んでいたおもちゃ、学生時代の写真、若い頃に着ていた服。こうしたものが出てきたときに抱く、何とも言えない感覚を思い返してみてください。
気になる古いものは、場所かもしれません。実家、むかし通っていた学校、以前住んでいたアパート――こういった場所が呼び起こすのは、楽しかった記憶や当時に戻りたいというノスタルジアかもしれませんし、つらくてほろ苦いけれども大切な思い出かもしれません。
しかし、古いものへの興味の何が面白いかというと、自らが直接体験していない過去の産物にも我々――人間――は関心を示すということです。自分が生まれる前、たとえば数百年前につくられたもの――歴史的建造物、遺跡、美術工芸品、土器、伝統芸能など――にも、私たちはその古さを咀嚼しながら関心を示します。関心を示すというよりも、関心を示せるというべきかもしれません。自身の存在よりも前の世界を想像した上で、先人がつくった古いものに対して興味をもつというのは、人間の好奇心と言語能力がなせる技だからです。
古いものを通して自らが経験していない過去に関心がわくのは、私たちが社会集団を介して自分たちを認識するからです。これには二つのパターンがあります。一つは、自身が所属する集団――家系、コミュニティ、民族、国家といった様々な組織――のかつての構成員がつくったものを、自分たちの先人や先祖が残したものとみなして、関心を抱くパターン。もう一つは、他集団の人たちがつくった古いものを、異文化の所産とみなしながら関心を抱くパターン。こちらには他者性や異国趣味が関わるものの、同じ人間がつくったものだという全人類的な意識も深層で働きます。
いずれのパターンにも共通するのは、私たちが個人としてだけではなく、社会集団としても古いものに関心を抱き、その背後に読み取る過去を通して、自分たちが何者であるかを確認するということです。
この確認は、誤解や曲解にもとづくこともあります。意識的であれ無意識的であれ、古いものから都合の良い過去を読み取りたいと思うのは、個人も集団も同じでしょう。その一方で、古いものが語る不都合な過去、いわば「真実の過去」にも向き合わねばならないという倫理的な観念も私たちは有しています。どちらも、古いものへの興味から生まれてくるのです。

九谷焼の二宮金次郎像とともに
以上、私が古いものに興味があることに興味がある様を述べてきましたが、「では、お前は具体的にはどんな古いものに興味があるのか」と、そろそろ問われそうです。ですが、私の興味はあくまでも古いもの全般――そして一般――に向いていますので、「古いものであれば何でも」というのが嘘偽りのない答えです。
とは言え、これでは煙に巻いていると思われるかもしれませんので、私が最近調べた、また現在調べている古いものを、思いつくままに挙げてみます。
ソンマ・ヴェスヴィアーナにある古代ローマ遺跡、東京大学に所在する文化資源、神田エリアの歴史資産、東京湾に50年以上前に造成された埋立地、上野公園に所在する文化資源、災害遺構、地域信仰の場となっている古墳、寺社附属の宝物館、廃墟、日本国外にある日本由来の文化遺産、日本国内にある外国由来の文化遺産、聖遺物、学校所在の文化資源、公立公園内にある祠、江の島の宝物、東京都指定旧跡、ナポリの歴史地区、日本遺産、近代化産業遺産、赤羽台の陸軍関係の施設跡、正倉院展、野毛大塚古墳、将門塚、桜井駅跡、須磨寺、京都市の岡崎公園、アレクサンドラ・パレス、葛西海岸堤防、扇島、本郷の冨士浅間神社、西教寺表門、宝塚市の宝の塚、原爆スラム、懐徳館庭園、花沼政吉の生人形…
あまりにも節操がなく、我ながら呆れます。しかも、これでも全てからは程遠いですし、私が調べる古いものはこの先も無秩序に増えていくでしょう。ただ、場所と時代を問わず、あらゆる古いものに興味があることだけは伝わるのではないかと思います。
こんなに間口を広くとるなんて専門家として失格ではないか、と少し前の私は悩んでいました。ですが、それでもこのスタンスで臨みつづけたところ、いつの間にか諦めてしまったのか、開き直ったのか、はたまた自信を得たのか、古いものを何でも対象にできることが自分の研究の魅力だと感じるようになりました。こんなに何でも古いものを考察対象とする人、そしてそこから古いものへの興味一般を俯瞰しようとする研究者はそういないでしょうから、この広くて浅い世界の専門家になってやろうと今では思っています。
広くて浅いがゆえに、誰とでも対話や議論ができそうな点に、大きな希望も感じます。「古いものに興味があるとはどういうことか?」は、文字どおり誰でも参加できる考察テーマです。各人にとっての気になる古いものを語ってもらえれば、そこから一緒に考えられる喜びがあります。このように開かれた研究は、純粋に楽しいです。
私の研究の出発点は、とにかく古いものへの興味です。あなたが興味ある古いものについて、ぜひ教えてください。