文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。

堀江 宗正 教授(死生学応用倫理研究室)

 私の研究分野はひとことでは言えません。死生学応用倫理研究室に所属していますので、ひとまずは「死生学」ということになりますね。でも、死生学を最初から研究していたわけではありません。学部は心理学、大学院では宗教学に所属しました。博士論文では宗教心理学の学説史を取り上げて学位を取得しました。 
 他大学で教えるようになってからは、思想や理論の研究だけだと学生が食いつかないので、具体的な社会現象をも扱うように方向転換しました。特に関心を持ったのは、宗教の外で宗教的あるいは精神的(霊的)な価値観を探究する「スピリチュアリティ」と呼ばれる現象です。これは宗教心理学の延長線上に生まれたものとも言えるので、研究対象として取り上げやすかったのです。こうして、心理学者や精神科医の死生観、死後生観の思想史的な研究から、普通の人々のスピリチュアリティや死生観の社会調査へ移りました。この時点で私の学問遍歴は、心理学、宗教学、社会学にまたがるようなものとなります。 
 東大で教えるようになってから、総長裁量経費プロジェクト「Sustainabilityと人文知」に誘われました。文理の枠を超えて現代世界の課題について討論する、しかも東大のトップの研究者と協働するということは、とてもエキサイティングなことです。死生学応用倫理の「応用倫理」には生命倫理と環境倫理が二大分野として含まれますので、この研究交流をきっかけとして環境倫理にも着手し、授業も持つようになりました。 
 以上をまとめると、スピリチュアリティやサステイナビリティと関係するような死生学と応用倫理が、私の研究のコアということになります。このように、私自身が学際的な人間なのですが、現在、私が東大でおこなっている研究と教育の実践もまた学際的なものです。秋学期には「死生学概論──死生学の射程」というオムニバス形式の講義を担当しています。これは主に文学部の教員に声をかけて、毎年ちがった陣容で講義を組み立ててゆくというものです。長年担当していますが、文学部で死について研究している人がこんなにも多いのかと驚かされます。死というテーマを通じて、人間の生の様々な姿が現れる、それを様々な分野の教員が、各々のディシプリンや方法論を用いて探究しています。そこからはとても多くのことを学ばされます。
 同様に、もともとは教員だけの研究会だった「Sustainabilityと人文知」を、大学院向けの多分野交流演習「サステイナビリティと人文知」として、学生・院生にも開くことにしました。サステイナビリティというと、どうも文学部の学生は理系の話だと思い、敬遠する人も多いようです。そこで、今年度は文学や歴史学の研究者で人間と環境の関わりを考えている人を呼び、エコクリティシズムと環境史の交差から「環境人文学」を考えてゆこうという課題を掲げています。 
 これらを通じて、自分にとって興味があるけれど知らなかったこと、自分とは異なる学問分野の考え方や方法論に目を開かされる機会が、東大で教える前よりも格段に増えました。よく文学部の研究は、科学技術のように「役立つもの」または「金になるもの」ではないと言われます。しかし、実用的なもの、世俗的なものから自由であるからこそ、それを相対化する視点を提供することもできます。それは言い方を変えれば、長期的には役に立つということです。私の関わってきた研究は、その間にあるかもしれません。死生学で扱われるのは、高齢化、少子化、人生の最終段階の過ごし方、死別の悲しみへの対応、自殺問題、異なる文化や宗教の相互理解など、どれも現代社会で多くの人々が答えを求めている問題です。「Sustainabilityと人文知」では、多様な環境問題が扱われますが、そこで話し合っているのは、それを文学部・人文社会系研究科の学問から、どのように異なる視点を提供できるかということです。例えば、サステイナビリティという概念に問題はないのか、どの時点の何をサステインするのか、それによってサステイナビリティの意味が変わってしまわないか、環境や経済活動のサステイナビリティだけでなく、文化のサステイナビリティもあるのではないか、などです。 
 このページの標題は「文学部のひと」ですが、私にとっての「文学部のひと」とは、森羅万象に通暁している人というイメージになりつつあります。ただ、人生は短く、学問を身に付け、大成させるのには時間がかかります。先人から受け継ぎ、後進に引き継がせることも重要ですが、それを一つの分野に閉じ込めず、様々な分野の人と協働することが、今日の学者には求められています。とはいえ、「専門」と言えるものがなければ、学際もありえません。何かにこだわるなかで世界に開かれてゆく、というのが理想的です。

鉱毒激甚地の谷中村では、そこを遊水地とするために住民家屋の強制破壊がおこなわれた。だが、抵抗する住民は仮小屋を建てて生活をし続けた。洪水が起きたときに田中正造が支援のために訪問すると、住民は平然としており、田中はその姿に感銘を受けた。そして、自分が指導者として住民に言って聞かせるのではなく、住民から聞いて学ぶことが大事だと、その態度を転換した。これが「谷中学」である。写真は、その象徴的なシーンを油絵で描いているところ。
 

 現在、私にとってこだわるべき課題として見えてきたのは、環境問題を抱えた地域の歴史の問題です。私は茨城県古河市に生まれ育ち、現在もそこで暮らしています。ここは、足尾銅山鉱毒事件の被害激甚地(現在は渡良瀬遊水地)の隣接地で、強制退去させられた被害民の子孫も多く住んでいます。私は、学者として研鑽しつつも、この地域の問題に関わることができない自分に居心地の悪いものを感じてきました。現在は、環境倫理を講じるポジションにあるので、いよいよ正面からこの問題に関わることができるようになったというわけです。
 おそらく、鉱毒問題と格闘した田中正造の生と思想に学ぶことが、今後のライフワークとなるでしょう。彼は、公害が特定の地域に留まる問題ではなく、放置されればいずれ国家全体が蝕まれると警鐘を鳴らしました。これは現代の地球規模の環境問題にも通じる洞察です。多くの場合、グローバルな環境問題は、特定のローカルな人々に偏った犠牲を強いるという構図があります。環境問題を作り出すのは先進国なのですが、被害を受けるのは先進国ではない地域であることも多いのです。しかし、それを放置すれば、先進国の人々もやがてはその害をこうむるようになるでしょう。田中正造は政治家であり、被害を訴える運動の指導者でもありましたが、このような警句をいくつも残しています。全集は20巻もあるので、それなりに「文の人」でもありました。自然と人間の関係を考察した思想家であり、見方によっては宗教家だと言えるところもあります。
 現在は、YouTubeで「田中正造を朗読する15分」という番組を開設し、田中正造の文章を読んで解説する動画を毎日配信しています。田中正造は主に明治時代に活躍した人なので、自由民権運動や憲法や国会など日本政治史に属する知識も、その人生を理解する上では必要になります。「Sustainabilityと人文知」を通して、エコクリティシズムという文学研究の方法論も学んだので、いずれは鉱毒被害にまつわる文学や芸術の方面にも探究の範囲を伸ばすことになるでしょう。これで哲史文社という文学部の各分野にまたがった仕事ができるようになるのではないかと希望しています。 
 文学部では、地域連携の試みも模索しています。そこで私は今年から、NPO「足尾鉱毒事件田中正造記念館」で月2回ボランティアでガイドを務めるようにしました。足尾銅山鉱毒事件と田中正造研究に関しては、在野の市民運動家のような研究者の方が深く細かい知識を持っています。現在はちょうど、それを専門とするアカデミックな研究者がほぼ不在という状況です。そこに私はアカデミアに属する人間として入っていくわけですが、ボランティアに行く度に他のスタッフから、自分の知らないことを学ばされます。逆に、彼らも知らないようなことが、現在のネット社会を通じて知らされることもあり、それを私が彼らに教えるという場面もあります。最近は米国で、キング牧師が環境正義の先駆者として再評価されつつありますが、それを田中正造と比較するような説明は、おそらく私くらいしかしないのではないかと思います。
 東大の文学部でこれまで蓄えられてきた知識や視点が、過酷な公害を経験してきた渡良瀬川流域の具体的な歴史的問題とぶつかったときに、どのような化学反応が起きるのか。それを日常的に自分の身を通して実験しているような日々を送っています。それが未来の人々の生き方にどのような意味を持つのかを示せたらよいと思っています。
 
東京大学・教員紹介ページ
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/people003221.html
 
文学部・教員紹介ページ
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/teacher/database/232.html