文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。 

大坪 庸介 教授(社会心理学研究室)

私は社会心理学者としてはやや異端かもしれませんが、人間の社会行動は自然選択による進化によって形作られた認知や行動傾向に強く規定されていると考えています。つまり、生物としての「ヒト」の社会性に関心があります。そのため、動物行動学の知見や進化ゲーム理論のモデルを参考にしながら研究をしています。このアプローチの魅力は、「人」の社会行動だけを眺めていても気づけない洞察を得ることができることだと思います。

ここでは、正直なコミュニケーションの進化というテーマを例に、このことをもう少し詳しく説明します。ヒトのコミュニケーションは主に言語を介してなされますが、時には行動の方が言葉より雄弁なこともあります。恋人に繰り返し「愛してる」と言うより、相手が病気のときに献身的に看病する方が愛情の深さが伝わるかもしれません。あるいは友人から借りた本を汚してしまったとき、ただ「ごめん」と言うのではなく、同じ本を求めて本屋を何件も探し回る方が、あなたが心から申し訳なく思っていることが伝わるのではないでしょうか。

実は、なぜ行動が言葉より雄弁な(ことがある)のかについて、進化ゲーム理論で研究されている正直なシグナルのモデルによって説明することができます。人間的な行動の機微を、あえて無味乾燥なモデルにして説明するなんて無粋なことと思われるかもしれません。しかし、単純なモデルにすることで、「どういう」行動が「なぜ」雄弁なシグナルたり得るのかをよりよく理解できるようになります。例えば、上で挙げた行動を言葉より雄弁にしているのは、行動に伴うコストです。相手を心から愛していなかったら、看病なんて面倒なことはしないかもしれません。心から反省していない人は、わざわざ同じ本を探す手間をかけようと思わないでしょう。こういうコスト(面倒さ、手間)がかかっているからこそ、その行動は信用できるシグナルになるのです。
 
   
社会心理学研究室にて

これはヒトに限ったことではありません、動物の世界にもコストがかかっているからこそ信用できるシグナルの例が多く存在します。その一方で、一見しただけではコストがかかっているようには思えないシグナルもあります。例えば、アシナガバチの顔にある黒い模様の大きさは、それぞれの個体の強さの正直なシグナルになっています。そして、その模様を大きくすることに特にコストはかかりません。ところが、不正直なシグナル(弱いくせに強い個体を装うこと)には、本当に強い個体からライバル視されて攻撃されやすくなるという後払いのコストがかかります。この後払いのコストのために、自分を実際よりも強く見せるシグナルは割に合わないのです。ヒトの言語にも似たところがあるかもしれません。例えば、その場にオオカミがいなくても「オオカミが来たぞ」と言うことは簡単です。ですが、その後、誰からも信用してもらえなくなるとしたら・・・それは大きすぎるつけと言えるでしょう。

動物行動学の知見や進化ゲーム理論のモデルを参考にしながらヒトのコミュニケーションを考えてみることで、その正直さを背後で支えるメカニズムの存在、そしてその相違点や共通点が見えてきます。ヒトの社会性について他の人がまだ気づいていないかもしれないことに気づいたとき、その正しさを心理学実験や調査によって検証しようとするとき、データを分析するとき、そんなふうに研究を進めているときには年甲斐もなくワクワクしてしまいます。

東京大学・教員紹介ページ  https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/k0001_03634.html
文学部・教員紹介ページ   https://www.l.u-tokyo.ac.jp/teacher/database/13181.html