文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。

蓑輪 顕量 教授(インド哲学仏教学研究室)

 仏教学は心の科学である。文字通りブッダ(仏陀)の教えを、文字に残された資料を中心に研究するのが仏教学であると捉えられることが多いのも事実だが、その核心は、実は私たちの心の探求にある。仏教は身心を見つめる体験の宗教であり、修行者たちが行った体験が、言葉化されて残されたものが経論であるとも言うことができ、決して言説としての教えだけに限定されない。経論の全てが体験の言葉化の成果であるというのは言い過ぎであることは言を俟たないが、身心を観察する修行者たちが見た世界が記録されていることがあることも、また一面の真実なのである。現在の仏教学は、これらの資料の読みを確定する文献学的な操作や、そこに示された思想的研究に焦点が当てられがちであるのだが、実は問いの立て方によって、その明らかに出きるものが大きく異なってくる。
 
インド哲学研究室にて

 
 今、小生は、仏教の修行者たちが見た心の世界に関心をもって研究を進めている。ブッダは、私たちが日常に体験する悩み苦しみの解決のために身心を見つめる道を見いだした。
 その道は、現代風に言えば、心の働き全般を静めていく方法と、心が起こす自動思考の働きを静めるものであった。先の実践は、感覚器官の機能を停止させる方向に我々を導くが、後の実践は、感覚器官はすべて生きていて外界を認知するのであるが、心が勝手に次の判断を生じさせる自動思考を静めていく方向に働く。
 このような実践に関する研究は、実は現在の心理学や脳科学の世界と親和性が高い。それらの分野の研究者の方々と協同した研究が行えるというのも一つの魅力になった。定年を間近に控えて、認知神経科学や臨床心理学の先生方と共同研究ができるようになったことは大いなる楽しみである。
 
インド哲学研究室にて

 私たちは悩み多き日常生活を過ごしている。時にはこの悩みが私たちを苦しめる。そこから脱却する方法を仏教は示してくれている。この原点に立ち返って、仏教が伝えた資料を研究してみれば、私たちの心の実態に迫ることができる。心を解明する手がかりを仏典は数多く提供してくれるのだ。心の科学という視点を持った時、それはテキスト研究、思想研究という枠組みに新たな枠組みを追加する。仏教研究は、人間に関わるものとして、伝統を持った、しかもとても身近なものとして捉えなおされるのである。
 小生はインド哲学仏教学を専攻し、東アジアの仏教、特に日本の仏教に関心を持って研究を進めている。この分野の研究には長い歴史があり、それこそ仏教が日本に伝えられてからずっと行われていると言っても過言ではない。最初期には学問と修行という二つが大事なものとされたが、いつのまにか学問的な研鑽が仏教を学ぶ主流となった。それでも、明治維新のころまでは、修行も大切なものとして仏教を学ぶ時の柱であった。いつのまにか、文献学的な学問としての側面が強調されるようになったが、しかし、問いの立て方によって、文献学的研究と科学的研究との両立が可能であり、いわゆる科学的研究に、仏教者たちが見てきた世界の知見を伝えることもまた可能であり、人間の心を解明することができる学問なのである。

 



  
蓑輪 顕量
東京大学・教員紹介ページ
文学部・教員紹介ページ