文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

出口 剛司准教授(社会学研究室)

第1の答え

生きるということは、自己愛的な同一性や全能感に鋭い亀裂が走ること、にもかかわらずその亀裂を抱えながらも走り続けざるをえないことだと思います。それに対して「よりよく生きる」とは、そうした亀裂を〈ことば〉によって整形し、自分自身が生涯を通して答えるべき明確な「問い」へと形づくっていくことだと思います。もちろん、最終的な「答え」というものは存在しません。しかし無自覚な亀裂を探求されるべき問いへと発展させることによって、問いを共有する他者との間に「つながり」の可能性が生まれてきます。これが「社会」という存在の原点ではないかと私は考えています。また社会学者である私は、そうした問いの共同性を社会学がどのように構築することができるかについて日々考えています。ある意味で実存的な問いを「社会」というリアリティにどのように接合していくのか、その理路を明らかにしたいと考えています。もちろん、これまでも私的な問題を公的な問題へと節合していこうとする言説が数多く生産されてきました。しかし現在はそうした過去の言説が輝きを失い、残念ながら社会学という学問の魅力も半減しているように感じます。とりあえず今は、社会という空間を問い=応答が集積する場として捉えること、そしてそうした問いを生成させ、形を与えるために社会学がどのような役割を果たし得るか、明らかにしていきたいと思っています。

 

第2の答え

あらゆる場面で、つながりや共同性が生成する現実を体験することが何よりも大切ではないかと思います。そのためには、まず各自が自分にとって切実な問いを大切にすること、「ためになる」とか「役に立つ」という言葉で自分を偽らないことだと思います。大学という場所、とくに文学部という場所は、自分に向き合うのに一番ふさわしいところではないでしょうか。社会学を学ぶ中で、自分の抱える真の疑問を他者に呈示し、それに応答しあうこと、そのなかで自分の問いがある普遍性を持ち始めること、そうした過程をリアルに経験することによって、失われた社会のリアリティを回復することが可能になると思います。大学の教師としては、演習がそうした討議の実現する場となることを願わざるを得ません。自分自身の課題が他者の課題と幾重にも媒介されることで社会そのものの課題となり、社会の課題の解決に能動的に携われるような思考回路が形成されれば、それはどのような実用的知識よりも、私たちをよりよく生きさせてくれるに違いありません。一人ひとりがどういう問いや課題を抱えるか、それは将来の生活や職業によって大きく異なります。その意味では、こうした思考経路の形成はそれ自体何の利益ももたらしません。しかし、一見すると「役に立たない」ことが「役に立つ」という社会学の存在の仕方を実感すればするほど、社会学が身近な存在となるのだと思います。

 

主要著書: 『エーリッヒ・フロム―希望なき時代の希望』(新曜社、2002年)

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