文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

大西 克也准教授(中国語中国文学研究室/文化資源学研究室)

第1の答え

子供の頃から中国の古いものが大好きで、結局それを生業にしてしまいました。紀元前の戦国時代から前漢時代が特に面白いのですが、紀元を超えると急に食欲が減退するのは、我ながら不思議です。研究の中心は文字と言葉、どちらも秦漢帝国の成立という激動の時代の中で大きく変わって行きます。例えばこれは「虎」という字です。南にあった楚という国では、この字で一人称の「吾」を表していました。一人称には「虎」ではなく秦の「吾」を使いなさいというのが文字統一です。続々と出土する生の資料から、当時の文字使用の実態がまざまざと浮かび上がります。中国の研究者と共同で、日本製赤外線スキャナを使って始皇帝時代の竹簡を解読していますが、そこには秦と楚のハイブリッドともいうべき状況が現れていて、わくわくさせられます。

言葉にも触れておきましょう。蝶々が花に止まっている風景を想像してください。「花に蝶々がいるよ」「蝶々が花にいるよ」、両方言えます。現代の中国語も同じです。しかし上古の中国語には、場所に着目した前者の表現はありませんでした。動く物体と空間は彼らの視線の中では対等ではなかったのです。同僚の戸倉英美さんによると、漢詩の世界でダイナミックな空間描写が現れるのは後漢の終わり頃のようですが、前漢の頃には言葉はその変化を先取りしたことが最近分かりました。文字の山に分け入り、言葉の変化のメカニズムを見つけ出すのが研究の醍醐味です。

 

第2の答え

知識を体系立てて伝える講義と、文献と格闘する演習。私の授業はどちらかというと後者が中心です。知識は所詮他人から教わるもの、その質を見極めるには、拠り所となる素材を吟味できる目を養うしかありません。そのために開いている「楚系文字研究」は、今年で12年目となりました。

考古学者によって、時には墓泥棒によって地上にもたらされた二千年以上前の竹簡・木簡は、洗浄・消毒・防腐・固定・脱色など様々な措置が施され、写真撮影の後、注釈をつけて出版され、私たちの手許に届きます。一たび本が出ると、まるで一番槍を競うかのように、山のような論文がウェブサイトに掲載されます。最初に出版された注釈書には多くの誤りがあるからです。

しかし私たちは時間との競争はやりません。解釈された文字を図版と見比べ、玉石混淆とも言うべき論点の是非を一つ一つ検討し、文法・音韻など言語学的な武器を使いながら、ゆっくりゆっくり読んで行きます。それを一年、二年と繰り返しているうちに、様々な知識が染み込んでくるのです。

昔、楚に屈原という人物が居ました。『楚辞』という詩集の作者と言い伝えられています。授業で読んでいるのは、屈原の時代の楚の国で使われていた文字で書かれた文献です。「あの世で屈原と筆談ができるようになる」というのが授業の売りなのですが、売り手に信用がないのか、ご覧の通り閑古鳥の声が聞こえて来そうです(↑)。

 

主要著書: 『アジアと漢字文化』(共編著)、放送大学教育振興会、2009年3月

 

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