文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル
「ご自身の研究の魅力を学生に伝えてくださいませんか」。

小田部 胤久 教授(美学芸術学研究室)

私の研究に魅力があるのかどうか、これは私にはわかりません。とはいえ、私の研究している対象に魅力があること、これは確かです。少なくとも私はその魅力に惹かれ続けてきました。

私が主として研究しているのは、18世紀中葉から19世紀初頭にかけてのドイツ語圏の美学理論です。カントの名前を挙げれば、おわかりいただけるでしょうか。彼の3つ目の批判書(『判断力批判』という表題がついていて、1790年に公刊されました)が美学を扱っています。そもそも美学という学問が18世紀中葉に成立したものです。また、芸術という概念もほぼ同時期に成立しました。私たちは「芸術」という概念(あるいは制度)をいわば自明のものとみなしていますし、「人生は短く、芸術は長し」などといういささか大袈裟な言葉(実は、これは古代の格言を誤解したものですので、関心のある方は是非元の意味を調べてみてください)から、芸術作品は永遠の存在である、などと思い込んでしまうかもしれません。しかしながら、私たちが理解する意味での芸術は近代の所産です。私にとって18世紀中葉から19世紀初頭にかけてのドイツ語圏の美学理論は、近代的芸術観がいかにして生じたのかを示すドキュメントといえます。

美学芸術学研究室にて

美学芸術学研究室にて

 

さらに、美学という語も注目に値します。私たちは日本語で美学と呼んでいます(ちなみに、この訳語は中江兆民が1883年に作り出したものです)が、これは18世紀の哲学者バウムガルテンが1735年に感性を意味するギリシア語のアイステーシスに基づいて造語したラテン語のエステティカに由来します。ですから、エステティカは、バウムガルテンの定義に従えば、「感性的認識の学」なのです。ごく大雑把に言うならば、17世紀に成立した合理主義(デカルトがその代表です)は、18世紀にいたると、感性というそれまでは誤謬の源と見なされてきたもののうちにも一種の合理性を見出します。ここに美学が可能となったのです。ですから、美学のうちには感性をめぐるすぐれた考察がちりばめられています。例えば、「見ることを学ぶ」。何か面白そうな問題系がここにありそうな気がしませんか。実はこの言葉は、ゲーテが「ディレッタンティズムについて」という遺稿に書き記したものです。「文学部のひと」のためにこの文章を書いた今年(2022年)の夏、私はこのゲーテの言葉について考察をめぐらしていました。

バウムガルテンはこのエステティカという新たな学問(「感性的認識の学」)を「美についての学」にして「芸術の理論」として規定します。したがって、美学の成立は、感性=美=芸術という三位一体を前提としています。もちろん、この三位一体は近代に固有のものです。というのも、古代ギリシアに目を移すならば、プラトンにおいても、アリストテレスにおいても、詩や絵画は美を目指す技術ではなく、模倣を行う技術とみなされていましたし(プラトン『国家』第10巻、アリストテレス『詩学』第1章)、また、プラトンによる美のイデア説が端的に示すように、美のありかが感性のうちに求められることはなかったからです。

この時。。先生の手元には大きな蜂が…

この時。。先生の手元には大きな蜂が…

 

などと、少し長く書きすぎましたが、私の研究対象の魅力は伝わったでしょうか。「どこが面白いの?」「意味不明!」などといった答えが返ってきそうです。なぜその魅力が伝わらないのかといえば、それは私が単に今までの研究から得られた結論を語っているにすぎないからでしょう。研究の魅力の多くは探求と発見の魅力なのだと思います。探求と発見の魅力を伝えようとすると、どうしても時間が必要です。私の研究に即して語るならば、例えば、17世紀初めには「絵画術」「彫刻術」「農業」をひとまとめに括る考え方があったことに驚き、なぜ「絵画術」「彫刻術」と「農業」がその後18世紀において分かたれたのかを追跡するところに、あるいはまた、一読しただけでは意味のわからない美学の原典(カントの『判断力批判』はその一例です)と格闘しつつ、少しずつ意味が立ち現れてくる過程を体験するところに、研究の醍醐味があります。私の講義や演習、あるいは書物を、私はそうした体験を学生に与えることのできる場にしようと心がけてきたのですが、果たして私の試みは成功したのでしょうか。

 

 

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