文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

佐藤 康宏教授(美術史学研究室)

第1の答え

阪神タイガースのことは40年近く夢中で応援し続けていますし、仕事よりもだいじだということは学生にも伝えていますが、それでも阪神4連敗の翌日に修士論文の相談をしたいといって来る大ぼけの大学院生がいるんですね。「どあほ!」とどなりたいのをがまんして相談に応じたら、その日5連敗しました。教育なんて虚しい仕事ですわ。

美術史とのつきあいは阪神ほど長くも深くもありませんが、人を夢中にさせる学問であるのは事実です。どんなに昔に作られた物でもいま自分の眼の前にある。しかもそれが美しいわけですから、惚れます。研究の動機は恋愛と似ています。造形・イメージについて言葉で考えるもどかしさも愛を育みますね。ただ、どうしてこんなものが作られたのかと疑問を抱き、それを織り成したさまざまな力を明らかにしたいなどと思い始めると、愛は屈折します。相手を調べ尽くすだけではすまないですからね。逆に、ひとつの物からそれが作られた時代のいろいろな記憶を呼び出すこともできるわけで、イメージによる歴史学というのもこれはまた興味深く、愛はさらに倒錯します。私の偏愛の傾向は、イメージの伝統とそこからの逸脱、形の持つ象徴性、作り手と受け手の無意識の欲望、といった要素を特に重視することです。その偏愛を18世紀京都画壇に振り向け、造形が社会の中でどのように生きていたかをもう少しはっきりさせたい、というのが目下の課題でしょうか。

 

第2の答え

屈折した愛の作法を教えるのが講義と演習のはずですね。とにかくある程度たくさんの物を見ないと話になりませんし、どこに運命の出逢いが待っているかわからないのですから、授業でも博物館・美術館やときには古美術商の見学に出かけて、見てほしい物、よく見てほしいところについて解説することがあります。いつもいっしょに見学というわけにもいかないので、自分で展覧会を観に行けとしつこくいい続けます。研究室全体で実施する見学旅行の演習は、たいてい関西で数日間の合宿となります。学生主体で運営してもらいますが、私は旅程作りから関わり、全日程参加し、コメントや解説をしまくり、夜はおごりまくり――きれいなものを見ておいしいものを食べながら旅をする、という美術史家生活最大の快楽の何がしかを伝えているつもりです。

講義ではスライド(いまだに)を映写しながら、かなり主観的な解釈も交えて話しています。自らの興味のある問題に向き合うとき何かしら参考になれば、というつもりでやっています。演習では、史料や研究書や論文を輪読したり、学生の研究報告を聴いたりですが、どう考えるとおもしろくなるかという観点から発言することが多いですね。忘れられ、見落とされ、隠された何かを再び見出すのがおもしろいわけで、そうすることは現代社会にとっても意味があると思いますが、実際の指導の現場では、自分が無能なバッティング・コーチのような気分になることがほとんどです。

 

主要著書: 『講座日本美術史』(共著、全6巻。東京大学出版会、2005年)
  『日本美術史』(放送大学教育振興会、2008年)

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