文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

柴田元幸教授(現代文芸論研究室)

© 島袋里美

第1の答え

いい加減飽きてもいいころだと思うんだけど、20年飽きずに夢中でやっているのが小説の翻訳です。研究者としても現代アメリカ小説が専門なので、仕事がそのまま遊びみたいなものです。専門にしているといっても、ただ好きな本を読んで、この本が面白かった、と紹介する文章を書いたり、あるいはその本自体を訳してしまったり、といった仕事が中心で、「研究者」という自覚はあまりなく、「現代アメリカ小説一人親衛隊」という感じです。出たばかりの、まだ評価の定まっていない、ほとんど「生もの」みたいな対象を扱うわけですが、とにかく自分の好き嫌いを基準にして論じられるので、精神衛生には非常にいいです。

現代文学を翻訳していて得なことのひとつは、わからないことがあったら著者に直接質問できること。ほとんどの作家は、批評家に対しては用心して接するけれども、翻訳家に対しては本当に友好的です。

いろいろな翻訳をしたり、翻訳の授業をやったりした副産物として、翻訳についての本なども出していますが、これも学問的・理論的というよりは、現場ではこういうふうにやってます、という実践的な内容です。

 

第2の答え

そういうわけで、授業も、現代小説を読む授業と、小説を訳す授業が中心です。読む授業は、学部なら毎回短篇1本、大学院なら1~2回で長篇1冊が目安。何人かが短い発表をして、それを出発点に、みんなが自由に発言するという形式です。僕があまり喋らず、単に交通整理だけすればいいときが、授業がいちばんうまく行っているとき。特に学部は人数も多く、全員発言できるとは限らないので、毎回全員がレポートを提出し、少なくとも紙の上では全員が発言するようにしています。

翻訳はとにかく「習うより慣れろ」の作業なので、学部は全員が同じ課題文を訳してきて、教師と大学院生アシスタントとで添削し、授業では画面に何人かの訳を映して叩きあう。ほとんどの場合、英文解釈レベルの説明はほとんどせずに、訳文の質向上から話をはじめられるのは、さすが東大だと思います。

小説の読み方については、こっちが教わることもものすごく多いですが、翻訳については、まあ、そこまで多くはないか……添削していて、たまたま悪い訳文がいくつも並ぶと、自分の翻訳も染まってしまう気が(笑)。

 

主要著書 『アメリカ文学のレッスン』(講談社現代新書)、『翻訳教室』(新書館)

主要訳書 ポール・オースター『ムーン・パレス』(新潮文庫)、スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』(白水Uブックス)

 

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