文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

佐藤 健二 教授(社会学研究室)

第1の答え

馬齢を重ねたせいか、我を忘れての熱中・夢中を、「透明な過去の駅」(谷川俊太郎「かなしみ」『二十億光年の孤独』)での遺失物のように感じる。定年前の最後の1年が思いのほか慌ただしく、もう読まない本を処分する寂しさに向かいあい始めたからかもしれない。醒めた目でみると、私自身の学問への没頭そのものが、いささか行き当たりばったりだったような気もする。

成り行きまかせの好奇心は、本屋で育ったからだろう。新刊書ばかりだったが種々さまざまな書物が棚にあり、遠慮なく立ち読みができた。世にいう「悪書」も、大っぴらにではないけれど、自由にアクセスできた。遠い昔の少年時代、ひとなみに人生に悩んだとき、書物は何も教えてくれないと失望した。しかしながらいつの頃からか、好奇心にまかせた乱読のクセがついた。書物は人のようだった。信用できる人も、胡散くさい人も、陰気な人も、巧みな人も、忘れられた人も、偉そうな人も、驚くべき物知りも、なにも語らずに去る無口な人もいた。そこは私の社会学の原点だった。

地球規模の大きな研究主題も大切だとは思うが、10年ほど前から、ごく身近な等身大の歴史や、身の回りの地域の成り立ちに、なぜか惹かれる。父の米寿の記録をまとめ、ごく普通のファミリーヒストリーをたどることに、手がかりのない困難もだけれど、意外な可能性を感じたのはなぜか。小さい頃に聞いたことのある懐かしい固有名詞が、「産業化」などの社会科学で使い慣れた普通名詞の概念と、内側から結びついていくのが愉快だった。ごくごく些細でローカルな日常が、私自身が論じてきた〈近代〉や〈都市〉や〈メディア〉と深くからみあっていたことに驚いた。柳田国男の言う「歴史は他人の家の事蹟を説くものだ、という考えを止めなければならない」(『明治大正史世相篇』)というフレーズの意味が、ようやく腑に落ちた。

 

第2の答え

経験そのものを「伝える」ことは、できそうにない。ただ病のように、その熱中が「感染する」ことはあり、後からだれかが「わかる」こともある。ここ何年か大学院では「論文の書きかた」という題名を掲げて、学生自身が取り組んでいる主題を素材にしている。いつも私自身が研究するつもりで、その可能性を議論する。研究者がどんな理論枠組みで、どんな光をあてるのかも大切だが、いちばんおもしろいのは論じている対象が、論文のなかで勝手に動き始める瞬間だ。もちろん、こちらが動かしているのだろうけれども、主観的には、対象それ自体が勝手に動き出して、いろいろなことをつなげてくれる。漱石の『夢十夜』の運慶の彫像よろしく、「なに、あれは鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを掘り出すだけだ」とまで言ってみたいものだが、そんなにうまく、鮮やかにできるわけがない。教員としての私の成績は、そんな物語の始まりよりずいぶん前の準備体操のようなものだ。ここが足りない、あそこが十分でないと、まだ見えぬ完成形の理想から批評するより、ものになりそうかどうかの直観と、私自身が感じたおもしろさの核心を伝えるようにしている。

 

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