文学部とは、人が人について考える場所です。
ここでは、さまざまな人がさまざまな問題に取り組んでいます。
その多様性あふれる世界を、「文学部のひと」として、随時ご紹介します。
編集部が投げかけた質問はきわめてシンプル、
ひとつは「今、あなたは何に夢中ですか?」、
そして、もうひとつは「それを、学生にどのように伝えていますか?」。

佐藤 宏之 教授(考古学研究室)

サハリン中部の遺跡にて

第1の答え

「日本の歴史はいつから始まり、どのように作られてきたのか」というのが、考古学を初めて以来現在まで、ずっと関心をもって探ってきたテーマである。そもそも「日本人」が「日本の歴史」に関心をもつようになるはるか以前から、日本列島には人が住んできたと思っているので、このテーマを言葉として説明すること自体、実は面倒くさく、しかもいまだによくわからない、曖昧な課題となっている。

ある時は、日本列島に最初に現れた人類の問題だったりする。とすると人類学や遺伝学も少し勉強しないといけない。また現在の日本列島の地形や環境が昔から同じであったわけではないだろうから、地質学や環境学、動植物学なども一応知っていないといけない。しかも考古学は残されたモノを通して、こうしたことを推論していかねばならない。とりあえず合理的に。

当然古くなるほどデータは乏しくなるから、まさに隔靴掻痒の思考を巡らせることになる。だが逆に言えば、多様な考えがいくつも成立可能なので、いつでも・どこでも絶えず考えることができ、それはそれでいつも新鮮だ。

チェコ、ドルニ・ベストニッツェ遺跡にて

第2の答え

最古の歴史を求めるのは、古今東西の人々に共通する知的欲求らしい。ごたぶんにもれず、この分野も欧米人が先行している。世界史あるいは人類史と称しているが、欧米人・文化の起源研究に他ならないことが多い。従って彼らの関心は、ヨーロッパからせいぜい中国までで、極東の端の日本に関心をもつ奇特な研究者は本当に少ない。ならば探求を逆方向に行えば良いのではないかと大胆にも考えた。

でも「研究者の人生は短い」と先生によく言われたので、それなら若い時(若いと耐寒性がある?)は寒い北方ユーラシア(シベリア)をフィールドにし、50歳を過ぎたら暖かい南方ユーラシアを日本から見てやろうと考え、実行してみた。その結果、やはり人生は短いのである。人類生誕の地であるアフリカや南アメリカ大陸には到達できなかった。

いずれの分野も同じだと思うが、現在の考古学を取り巻く情報量はきわめて膨大になった。しかもアクセスの容易性は、これまでとは比較にならないほどである。その情報量を整理するだけでも大変だが、それに埋没するのは少し残念だ。風呂敷を広げた野心的?な関心をもつことをぜひお勧めしたい。

韓国、石荘里博物館にて

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