「文」に寄せて

今を遡ること35年余り、私が文学部の門を潜ったのは1983年4月のことでした。総合図書館の古めかしい机に腰を下ろし、書架から分厚く重い本を取り出して頁を繰った時、かつてこの本に触れた幾多の学者や先人たちとの繋がりを感じ、名状しがたい感慨が湧き出したことを思い出します。子供の頃から漢字と中国古代の文化に憧れを抱いてきた私にとって、文学部の「文」という字には格別の響きがありました。

「文」は、胸部に刺青(「文身」)を施した人間を描いた象形文字でした。「文」の意味はそこから大きく広がります。紋様、文字、文字で書かれた文献、文献に記された思想内容、そして人間の文化的・精神的・社会的活動を象徴する文字となりました。文学部の学問は、どのような分野であれ、人間が長い歴史の中で繰り返してきた営み、現在も行われている営みを対象として、時空間を俯瞰する立場から人と社会の根源を問うものです。その問いかけは、今ここにいる誰にも置き換えることのできないかけがえのない「自己」が発するという意味において、いかに時空の離れた存在を対象としようとも臨場感と生々しさを持ち、同時に「自己」を広大な時空間に位置付けることで相対化することに繋がります。人間の普遍性と独自性を確認する作業であるとも言えるでしょう。人類が紡ぎだしてきた膨大な文献に蓄積された叡智を読み取り、新たな叡智を創造し、未来に継承して過去・現在・未来を繋ぐ架け橋となる、「文」はまさにそのシンボルなのです。

文学部には現在、明治10(1877)年の創立以来、増設と再編を経てきた27の専修課程(研究室)があります。研究室で行われている教育の中心は、先人たちによって培われてきた分野固有の技法を習得する訓練です。これらの研究室は、1963年以来半世紀以上に亘って思想系、歴史系、言語・文学系、行動・社会系の四つの学科(類)に大きく括られてきましたが、2016年に人文学科一学科に統合されました。「人文」は中国の経典『周易』に出典があり、やはり人の文化的、社会的活動を象徴する言葉です。様々な分野を幅広く学ぶことで専門を相対化する視線を養い、深い専門的な見識とバランスの取れた知識から、私たちが自己の問題として直面する現代的諸課題に対応し得る力を養う教育体制を目指したのです。

昨今の人工知能の想像を絶する進歩は、あたかも人の存在基盤を揺るがすかのような受け止め方をされることがあります。しかし機械が人に近づけば近づくほど、これまで意識もしなかった違いが視野に入ってくるでしょう。人は「常に」未曽有の事態に直面し、いつしかそれを自らの知の体系に組み込んできました。文学部はこの先も変化する時代の動きを見据えながら、人の人たる所以を問い続けて行くことでしょう。

『老子』の中に「大音希声」という言葉があります。真理は微かな声で語られるのです。大きな声で自己主張ばかりしていては、本当の声は聞こえません。文献やデータと心静かに向き合う日々は、究極のコミュニケーションの訓練と言えるのではないでしょうか。文学部で過ごす2年間、過去と未来とに思索を廻らし、歴史の架け橋として今ここにいる自分の役割を、ともに静かに考えてみませんか。答えは見つからないかもしれませんが。

文学部長・研究科長 大西 克也