文学部卒業インタビュー #016

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和田 ありすさん

和田 ありすさん

和田ありすさん

2009年 文学部西洋古典学専修課程 卒業
2011年 大学院人文社会系研究科西洋古典学専門分野修士課程修了
独立行政法人 日本学術振興会 ワシントン研究連絡センター 副センター長

東京大学の場合、1、2年生は教養学部でいろいろなことを学び、そのあとに自分の道を選択するチャンスがあることが非常に魅力的です。1年生のときに古典ギリシャ語を履修したのは、あまり接しない言語を学びたかったことと、私の“ありす”という名前は、両親が留学していたときギリシャ系アメリカ人にお世話になったことから付けられたということが理由です。古典ギリシャ語をきっかけにラテン語も勉強して、文学部の西洋古典学研究室に進学しました。卒業論文の対象は、古代ローマの詩人、ホラーティウスです。ホラーティウスを大学3年生のときに初めて読んで、エスプリの効いた作品にすごく魅了されました。「Carpe diem」(その日を摘め=一日一日を楽しむ)、「Brevitas delectat」(簡潔さは人を喜ばせる)、「Est modus in rebus」(物事には適切な程度がある)など多くの名言、そして多種多様な名作があります。

インタビュー写真
ホラーティウスもいたかもしれない古代ローマ遺跡

修士に進むとき、研究者の道を真剣に考えていたか、と聞かれると答えるのが難しいのですが、もっと密度の濃い勉強をしたいと思っていました。ただ、西洋古典学を研究するにはそれ相応の覚悟が必要です。修士1年生のときは、ホラーティウスの詩と対峙しながら、研究者の道を進もうか、どうしようか悩みました。そのとき、同じ研究室の学生が文部科学省所管の独立行政法人の一つに就職をしたのです。あ、なるほど、文学部や人文社会系研究科で学んだことを活かす道は研究だけではないんだ、と悟ったところがあって、修士課程修了後、現在の職場である独立行政法人日本学術振興会という研究助成機関へ就職するに至りました。

「文学部での素晴らしい授業と人生の先輩たちとの出会い」

本郷キャンパスの法文1、2号館や、私がいた研究室の3号館、あのあたりの雰囲気は今でも思い出します。何もしなくてもそこに一日中いられる。まるで人がその風景に溶け込んでいるような……、話しかけると、同じ分野の人でなくてもさまざまな話をすることができるし、議論もできます。まさに歴史がかもしだす雰囲気にひたることができ、とても好きです。
東大では、他のいろいろな学部・学科の授業を受けるチャンスがたくさんあります。私は西洋古典を学んでいたからかもしれないのですが、反対に日本文学や日本美術、日本の伝統芸能にすごく興味が湧いてきて、浮世絵や歌舞伎研究を扱っている授業をたくさん聞きに行きました。社会人になってから歌舞伎鑑賞にすごくはまったのですが、最初のきっかけは文学部で受けた歌舞伎の授業で、学期の最後に「歌舞伎座で歌舞伎を観てレポートを書いてください」という課題が出され、初めて歌舞伎座の4階席に行って一幕見席で見たことです。今でも歌舞伎は大好きですし、そのとき日本の文化を学んだことは今のアメリカでの仕事にも役立っていると思っています。

インタビュー写真
文学部三号館の美しい造形
インタビュー写真
第五期歌舞伎座 柿落とし公演鑑賞

研究室に在籍してから修士1年生までは逸身喜一郎先生が論文の担当教員でしたが退官され、2年生のときは片山英男先生が担当教員でした。
西洋古典学研究室だけでなく、文学部や人文社会系研究科では他のことを勉強されていた方や、社会人を経験された方がもう一度学びたいと入って来られることが多い印象があります。そういう方々と知り合うことができたのは、私にとってはすばらしい経験だったと思います。例えば、元営業職として第一線で活躍されていた方と出会ったのですが、これまでだと大学を卒業して、社会人になって、リタイアしてというのが一般的なキャリアパスだったかもしれないけど、どのタイミングでも大学に戻って学んだり、転職したりすることができるのだ、ということを教わりました。また、もともと海外で大学を卒業し、外資系の仕事をされていた方とも文学部の授業でご一緒しました。お二人とも女性ですが、自分のほんとうにしたいことに邁進している姿にとても感銘を受けました。今から振り返れば私の在学時代だった2010年ころは、今よりも険しい道だったのではないかと思うのです。でも、人生100年の時代、いつでも学びを再開することができるのだと感じるようになりました。

「人文社会系修士卒を活かす仕事って?」

私は、就職を考えたとき、研究者ではなく研究者を支える道を選びました。
今もそうですが、東京大学をはじめとして、他の大学においても人文学や社会科学の予算が削られていますし、他の学術分野に比べると厳しい状況に追い込まれつつあります。先生方や先輩方の研究する真摯な姿勢を目の当たりにしていたので、研究費やポジションが削られていくのは納得できない、という思いがありました。でも、人文学や社会科学の研究をサポートする機関は、自然科学に比べるとあまりありません。
そういう中で、日本学術振興会は全分野を支援しているため、人文学や社会科学についてもサポートしている。それなら自分が大学、大学院で得たものが活かせるのではないかと思い、志望しました。所属していた研究室には日本学術振興会のフェローシップ型支援(特別研究員事業)を獲得している先輩もいましたし、考古学の授業のときに「科学研究費助成事業からの支援で研究ができる」という話も聞いていたので、だったら、そういうファンディングエージェンシーで研究者を応援しようと思ったのです。確かに、例えば助成事業の採択課題数から言うと自然科学系と人文学・社会科学系の差は感じます。しかし、「ピアレビュー」という、同じ分野の研究者が公正に評価する方法を用いて審査を行っていることで、研究者の自由な発想が重視され、かつあらゆる分野から採択されます。この審査方法をとっている点が、日本学術振興会のいいところだと思っています。
院生のキャリアパスとして、大学の教員になるということはもちろんその一つなのですが、もし研究助成をする仕事につきたいと思ったら、修士卒のほうが研究者の業界のことがわかっているのでいいかもしれないですね。では、人文社会系の修士卒であることにはどういったメリットがあるの?と聞かれたら、私の仕事は基本的にデスクワークなので、「文字をひたすら扱い、文章もたくさん読む仕事をするにあたって、文学部・人文社会系研究科にいたことは大きなメリットになっています」と答えます。文字に対する抵抗が比較的ないですし、私のいる業界では明確な説明をしなければいけない場面がたくさんあるので、言葉を正確に扱う、ということは文学部や人文社会系研究科で培った大きな能力だと思います。
卒業論文や修士論文、もし博士課程までいったらたくさん論文やレポートを書かれると思うので、読むこと、書くこと、そして“言葉”を扱って正確に説明する能力を身につけることは、研究だけでなく、他の仕事にも活かせると思います。

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数多の気球が飛び立つお祭り(ニューメキシコ州にて)

「現在地、ワシントンDC」

就職したのは2011年です。最初は国際事業部に配属されました。学術国際交流事業の取りまとめのような場所にいたのですが、そのとき「学術システム研究センター」に在籍する大学や研究機関の先生方に審査委員候補者の選考をお願いする立場でしたので、審査の流れ、仕組みがよくわかって、ああ、こういうふうにして先輩たちや先生方が審査を通って研究されているんだなと把握できました。
 その後、いくつかの部署を経たのち、現在、ワシントンDCにいます。2021年の初夏くらいに「海外センターに行ってみないか」と言われ、まだ新型コロナウイルス感染症の状況など読めなかったのですが、これを逃がすと後悔するかもしれない、と思い、決断しました。2021年10月からこちらに来て、ワシントン研究連絡センターの副センター長を務めています。
 1年経った感想としては、ほんとうに来てよかったと思っています。メインの仕事は広報です。具体的には海外から渡日するためのフェローシップ事業の宣伝や、渡日経験のあるアメリカやカナダの研究者と日本の研究者のネットワークを発展させるための同窓会活動の促進、そしてワシントンセンターが開催するイベントにアメリカやカナダの研究者を招待し、日本との共同研究や連携をさらに強化することです。日本の研究力が低下しているという話をよく耳にしますが、実際にアメリカやカナダにいる研究者と話をすると、日本のポスドクに研究室に来てもらいたいと思っている人も多くいますし、日本のいいところを反対に教えてもらうこともあります。日本とアメリカのお互いのいいところをもっと共有できると、よりいろいろなことが良くなるのではないかと、アメリカに来て実感しました。あと、余談ですけど、大学で西洋古典を対象にしていた、と言うと反応がいいですね。
 ワシントンDCの特徴の一つは、いろいろな国の大使館があることです。大使館のサイエンスアタッシェたちが集う会合に参加したときに、アジア諸国のファンディングエージェンシーとコミュニケーションをとることができました。一緒にアジア全体を盛り上げていきたいという気持ちはお互いに持っているので、情報交換や研究交流がもっと進むように、何ができるか考えたいと思っています。

「海外へ行って考え方をアップデート」

ワシントンDCにいるというと、英語は全然問題ないだろうと思われるかもしれませんね。実は、大学時代の英語力については、論文を英語で読むことは問題なかったのですが、話す機会はほとんどありませんでした。就職した直後は、語学研修の補助をいただいて英会話の勉強をしていたのですが、それもしばらくやっておらず、アメリカに行くことが決まって、これはどうしたものかと。結局、実践で学ぶというスタイルで冷や汗をかきながらどうにかやっているところです。東大にいるときに、もっとちゃんとやっておけば良かった、ということは常々思います。
この1年間、海外に住んで様々な経験をしました。現地の方と交流するとき、私の言っていることが伝わっているのかな、と疑問に思うことがあります。相手は「わかるよ、言いたいことは」と言ってくれるのですが、それが私が日本人と会話しているときに伝えたい量の10分の1なのか、100分の1なのか。

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塩湖を体感(ユタ州にて)

そこのギャップを埋めるのは難しいということをわかった上で、できるだけ丁寧に話すことが重要だと痛感しています。また、アメリカにはいろいろなルーツの方がいます。名前で何となくルーツの見当がつくこともあり、この人はこの国の出身かなと興味を持つことがもしかしたら差別につながるのではないかと不安に思ったときがあります。そのとき、友人から「人にもよるけれども、アメリカ人は自分のルーツを誇りに思っているので、それを尊重して話すことは全然問題ない」と言われ、少しほっとしました。海外に住むことで、いろいろな考え方をアップデートできたことは心底良かったなと思っています。

 だけど、こういった海外での経験を大学時代にしておけば良かったと強く思います。その時期ならもっと感受性も豊かだったと思うのです。もし今の自分が、学生時代の自分に対して言うことができるなら、「怖がらずに、せめて3カ月くらいはどこか海外に行ったほうがいい」。
今、若い人たちは、海外旅行にすら興味がない、ということを聞いて、びっくりしました。行ってみないとわからないことがたくさんあります。それを支援できるような東大のプログラムがあったらいいと、非常に思います。海外に出ることをためらっている東大生(かつての自分)の背中を押してほしいです。
(日本学術振興会にも、博士後期課程学生以上の方が海外に挑戦することを応援するプログラムがあるので、ご関心がある方はぜひウェブサイトをご覧ください!)

インタビュー日/ 2022.9.13 インタビュアー/ 藤原 聖子・新井 潤美 文責/ 松井 千津子 写真提供/ 和田 ありす

PROFILE

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和田 ありすさん

和田 ありす (わだ ありす) さん

2009年 東京大学文学部言語文化学科西洋古典学専修課程 卒業
2011年 東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究(西洋古典学) 修了
2011年 独立行政法人 日本学術振興会 入職
2021年 同 ワシントン研究連絡センター 着任

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