文学部卒業インタビュー #015

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金 そよんさん

金 そよんさん

金 そよんさん

2004年 文学部日本語日本文学(国語学)専修課程卒業
2006年 大学院人文科学研究科日本語日本文学専門分野修士課程修了
株式会社博報堂 コピーライター

博報堂という広告会社でコピーライターをしています。外国人であることは、プラスなのかハンデなのかといえば、最初に挨拶するときなど「韓国語のほうがネイティブなんです」と言うと、「あ、そうなんですか!」というつかみにはなるし、韓国のクライアントさんの仕事をするときは、韓国語が話せるのでコミュニケーションがスムーズにできます。でも、本業であるコピーは日本語で勝負しなきゃいけない。だから私、しつこいと言われるくらい、コピーづくりについて考えています。でもそれは言葉がハンデだからというより広告のコピーづくりには正解なんてないからです。答えがないものをずっと探しつづけること、途方に暮れながらも、それでも何か答えがあるんじゃないかと探しつづけることを学部の2年間と大学院の2年間で学んだというか、学ばざるを得なかった、そういうトレーニングを研究室でさせてもらった気がします。

「私、ほんとに東大に入学したの?」

韓国でいったん大学に入ったのですが、父が日本に転勤することが急に決まり、日本の大学を受験することになりました。運良く、ずっと憧れていた早稲田大学を受けて合格しました。ただ、入学までには時間があり、その間に国立大学の入試があったので、人生の記念にと思い、外国学校卒業学生特別選考で東大を受験しました。小さいころに父の仕事の関係で大阪に3年半くらいいたので、日本語にはなじんでいました。留学生なので入学時に自分の志望する専攻を決めるのですが、もともと語学にすごく興味があったのと、辞書がすごく好きで、言葉を学んだり、知らないことを知ったりするのが楽しくて、国語学が自分に向いていると思い、志望しました。

東大のことはよく分かってなかったので、あの!東大を受験するのだから、準備もなにかすごいことをしなきゃと思って、現代語訳の『源氏物語』を読みました。今振り返ると、謎の受験対策ですね。全部は読みきれなかったんですが。東大の文学部の留学生の面接室に先生方が10人くらいずらっと並んでいらして、そこに私が一人で入る。主に私が希望している学科の先生から質問されるのですが、そのとき「最近、どんな本を読みましたか」と聞かれて、「おっ、来た」と思って「源氏物語を読み始めております」と答えたら、先生方が「おー、すごいですね」と感心してくださって。ところがそこで、ある先生に「何を思いましたか」と言われ、それは全然準備しておらず、源氏物語を読んでいるというだけで他の子より一歩リードと思っていたのでかなり戸惑いました。でも、源氏物語も中味は恋愛や、人との出会いや別れなので「今の私たちも千年以上前の人たちも同じような悩みがあって、同じ人間なんだなと思うと、すごく楽しく、読み進めることができました」と答えて、なんとか合格したんですけどひやひやものでした。そのとき質問されたのが、偶然にも、のちの指導教員になってくださった先生です。

インタビュー写真

私が入学したのは2000年で、まだインターネットでいろいろなことを検索できるような時代じゃなかったということもあって、東大だから本郷に通うものだと思って、本郷の近くに住まいを決めました。ところが、入学式の前々日くらいに、最初のオリエンテーションが本郷じゃなくて駒場だということを知り、あれ? 私が合格したのは東大じゃなかったのかな、東京○○大学みたいな別の大学かもしれないと。住むところも決めて、学費も払っていたのに、どうしようと思いました。杞憂でよかったです。
文Ⅲって、当時は留学生がクラスに1人か2人くらいしかいなかったのですが、それがすごく良かったですね。もちろん母国語ではないし、講義をちゃんと理解できていたかどうか心もとないのですが、そこで揉まれた体験は、ほんとに裸で飛び込んだという感じで。最初思ったのは、「こんなに頭のいい人たちって、いるんだ」ということ。厭味なく、賢い人たちがいるんだというのが正直な印象でした。なんとなくのイメージですが、頭のいい子たちってノートを貸さないとか、情報は自分のところだけにとめておくのかなと思ってたのですが。東大まで来る人たちって教えるのも上手だし、オープンな感じがすごくしました。外国人だからやさしくしようということではなく、クラスメイトとして一緒に学んでいこうという温かさがありました。
それに大学では、ゆったりとした時間が流れていた。私の場合、大好きな辞書を引いて、本に囲まれて何かに没頭できた時間――そこに本があったからというだけじゃなくて、東大に流れている、学びのための時間。当たり前のように享受していたものが、社会に出てみて、質の高い教育、すごい先生たちに学んでいたんだって、そのありがたみをしみじみ感じます。当時は、何とかしてあの先生の単位をとらなきゃ、って必死でしたけど。

「先生に教わったこと」

研究室では、「ほんとにそうなのか」ということをとことん考えるようにと教わりました。いい意味で、意地悪なくらい。例えば、先生から何か質問されて、「これは知っている」と思って即答したり、少し自信ありげに答えたりすると、もう、その倍くらいの質問をされる。「ほんとにそう思うんですか~?」というところから始まって、用意していた答えでは対応できず、会話の中でどんどん思考が深まるような感覚です。今はこうやって落ち着いて話せていますが、当時、先生の前では、冷や汗と、手に汗、いろいろな汗が出ながら、答えになっているかどうかわからないけど、ひたすら何かしゃべりつづけなければいけないという……。すごく鍛えられたと思います。緊張感を持って、どんどん思考を深めながら会話をすることは、先生に教わりました。

インタビュー写真

卒論は、文体について書きました。仏教説話集の『三宝絵』にはひらがな主体で書かれたもの、漢字・カタカナで書かれたもの、漢字だけで書かれたものがあるのですが、それらの表記の違いと文体の違いを比較しました。このテーマを思いついたのは、日本語と韓国語の違いへの興味が大きいのですが、ハングルは表音文字ですが、日本語は漢字とひらがなとカタカナが同居しています。例えばひらがなだったら女性が主に使っていたと言われていたり、お寺だったら漢字とカタカナを併用して使っていたり、庶民がわかりやすいようにカタカナを使ったりとか、表記の使い分けがすごくおもしろくて、そこを調べて比較して、自分なりに結論が出たか出ていないかは定かではないんですが……。

「大学院からコピーライターへ」

研究者になりたいという思いはありました。「この人でも大学の先生になれるんだ」と、学生にある種の勇気をもってもらえるような先生を目指したいと思っていたんですけど(笑)、なかなか難しかったですね。勉強に行き詰まっていた修士1年の夏休み、池之端のイベントスペースで様々な企業のインターン制度に関する説明会があって、たまたまポスターを見つけて行きました。私は航空業界に興味があったので、そのブースを覗いてみたいと思ったんですが、そのブースの手前に、人が群がっていて、足止めを食らったのが博報堂のインターン説明会のブースだったんです。当時は、博報堂も電通もコピーライターという職種すら知らなかったのですが。インターン生の採用のためのお題が出されて「この吹き出しを埋めてください」「この人は今どんなことを思っているでしょう」というのを想像して書くというものです。そのときやっていた研究とは正反対で、自分で言葉を生み出し、自由に書いていいんだというところに興奮してしまい、すべて手書きで送って受かりました。
合格したのはいいものの、業界に対する予備知識や就職活動における常識のようなものをまったく持ち備えておらず。インターンの初日に行ってみたら、みんながリクルートスーツを着ている中、一人だけ緑の服を着ているという……、初日から浮いていましたね。2週間のインターンだったんですけど、周りの人たちは同じ大学生とは思えないような思考や提案性のある発言をしていて、あ、自分ももっとやってみたい、と思いましたし、博報堂の社員さんが「人を悲しい気持ちにさせるものは広告ではない。広告で人を幸せにしたいんだ」という話をしていて、そういうことを仕事にするのもいいなって、そのとき思いました。
指導教員の先生には、インターンなるものに受かったので少しの間研究室に行けませんという話をしたら、「君はもう戻ってこないと思うよ」とおっしゃったので、「そんなことないですよ〜、すぐ帰ってきます!」みたいな感じでインターンに参加したのですが、先生のおっしゃった通り、気づいたら広告業界に身を置いてました。先生の予言が当たってしまいましたね(笑)。

「コピーライターの仕事」

コピーは、最後の出口です。まず、オリエンテーション。こういう市場があって、こんな課題があって、こういうことを伝えたいですというお題をもらいます。ヒアリングしたり、ニュースを調べたり、本を読んだりして情報収集する。時代の空気や人々のインサイトと擦り合わせながら、伝えるべきことは何なのかについて整理をします。それから自分の中でこの辺かなとある程度見極める。情報収集には全体の6割くらいの時間を使って、残りの3割はその道筋を見つけることに使います。表現に落とすために使う時間は、最後の1割程度です。私の場合は。赤いものを見て「赤い」というのか、「暖かい」というのか、あるいは「恋」にたとえるのか、そこはコピーライターとしての見せ場でもあります。でも、コピーライターは最初の情報収集力と咀嚼力、そしてもらった情報の裏をかくというところがすごく求められる仕事だと思っていて、そこで東大で学んだことが力になっていると思っています。私は日本語の歴史を勉強していたのですが、絶対的な答えはないというか、昔の人がどんな思いでそれを書いたのか、なぜその書物がそこに置いてあったのか、だれも知らないわけで、私たちはそれに理屈と想像力で以って、こうなんじゃないかなと考える。じゃ、これはどうなんだ、それに関係する書物は書庫のどこにあるんだ、というのを必死に考えつづける。そういうトレーニングをしたことがとても役立っています。

インタビュー写真

あるお題をもらうと、ずっとそれについて考えてしまいます。自分もひとりの生活者(コンシューマー)として実験台だったりするので、自分がコンビニでチョコを買ったときに、なんで私はこのいっぱい並んでいる中でこれを買ったんだろうかと自分の考えていることを棚卸しして、ほんとはおにぎりを買いにきたはずなのに、なんでチョコまで買っちゃったんだろうということも含めて、自分自身の行動の分析をしてしまいます。プライベートと仕事の境目ってほとんどないですね。人生そのものが仕事に生きてる気がしますし、仕事も人生にいい影響を与えてると思います。
今、表現をつくるの、すごく難しくなってきています。みんなが同じ方向を向くということは、ほぼないですから。だけれども、企業が生活者(コンシューマー)に「私はあの会社が好きだ」と思ってもらうためには、何か意思を持たないといけないと思うのです。「だれにも嫌われない広告はだれにも好かれない」という説もあります。なので、何も反応がない、無風というのが一番怖い。私は、多様な人たちの多様な人生の中の共通項、気持ちの共通項みたいなものがあると信じて、彼女彼らたち一人でも多くの人が納得したり、心が動くものを意識してつくりたいと思っています。
ほかに、自分のスキルをいかして社会活動もやっています。今は2人に1人ががんを経験する時代だと言われていますね。医療関係者や患者さんやその家族だけでなくすべての人ががんという課題に向き合って、がんにかかっても動揺しない社会を目指す団体があって、その活動を広く知ってもらえるようなコミュニケーションのアドバイスをしています。また、子供たちの味覚を育てる食育活動や生産者さんと食べる人とをつなぐ活動もサポートしています。幅広い活動をしているので「コピーライターじゃないの?」「本業は、なに?」と聞かれることが多々ありますが、私もよくわからないんですよね(笑)。どんなことを相談されても、本気で答える人になりたいとは思ってますが。自分の人生においても、答えがないのが好きなのかもしれません。

インタビュー日/ 2021.9.21 インタビュアー/ 文学部広報委員会 文責/ 松井 千津子 写真/ 笠井祐里子 写真提供/金そよん

PROFILE

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金 そよんさん

金 昭淵(きむ そよん)さん

韓国ソウル生まれ、ソウル、大阪、東京育ち。2006年博報堂入社。コピーライター/クリエイティブディレクター。商品開発、ネーミング、広告コミュニケーション、行動設計まで一気通貫したプランニングを得意とする。企業のクリエイティブコンサルティング案件も多く手がけている。社外活動としては、一般社団法人「CancerX」、「おいしくつながる-素人食堂-」に参加。

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