文学部卒業インタビュー #003

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佐治 ゆかりさん 自分がやりたいことをちゃんとやろう

佐治 ゆかりさん 自分がやりたいことをちゃんとやろう

佐治 ゆかりさん

文化資源学研究専攻修了 郡山市立美術館長

  • 学芸員のお仕事

    学芸員というと、多くの方は「美術館や博物館に行ったときに説明してくれる人」「展示会のときに隅っこで座っている人」というイメージかもしれませんが、資料の収集、保管、展示の企画や調査研究などの仕事があります。私は東北大学で日本美術史を専攻して、卒業後、福島県立美術館に学芸員として勤めました。年間に幾つもの企画をして、終わって、また企画してということを続けている間に、何となく美術館の学芸員としての思考法というか、文章のまとめ方も含め、ある種のパターンに陥っているのではないか、あるいはテーマをもっと多角的に成熟させたほうがいいのではないか、このままずっとやっていっていいのかなという、漠然とした疑問みたいなものを抱いたんです。もちろん、展覧会が開催されればカタログ等に論文を出したり、研究報告をしたりということで、その都度、形になってはいるのですが、展覧会をしたことで出てきた社会的な反響や、それによって気がついたことや、関連する課題が自分の中にたまっていくのに、それらにきちんと向き合う時間も気持ちの余裕もなく、また次の企画をするという感じでしたね。
    そんな折、39歳のとき、体調が崩れたことがあって、どうも手術のときに麻酔が効きすぎてしまったらしく、術後、1日くらい目覚めないという、ある種の臨死体験みたいなことがあったんです。それで、「あ、明日が当たり前に来るわけじゃないんだ」ということを体感すると同時に、「自分がやりたいことをちゃんと考えなきゃいけない」って思ったんです。ものすごい単純なんですけどね。職場に復帰したとき、そこで東京大学で「文化資源学」という学部がない大学院が立ち上がるという募集を見て、まさに自分が抱えているテーマがやれそうな感じがしたので、試験を受けようと。でも、勉強しようにもそもそも1期生の募集ですから、過去問なんてありません。しかも、外国語の試験がある。英語の試験なんて大学受験以来ですから、何十年かぶりです。豆単をつくって、3カ月くらい単語を覚えることだけ必死でやりました。子どもは高校受験勉強、私は大学院入試勉強。今でも思い出します、英語がほんとにトラウマでした。

  • 近世庄内における芸能興行の研究

文化資源学第1期生として大学院入学

学生にとって、指導教官にどなたがなってくださるか、ということはとても重要です。近世文学の長島弘明先生には入試面接のときから卒業後に至るまで、お世話になっています。私が研究したかったのは近世の芸能史だったので、長島先生の研究分野そのものではなかったのですが、「指導しよう」というある種の覚悟みたいなものを持ってくださったんじゃないかと思います。それに、社会学の佐藤健二先生のぶれない論理構成や、芸能全般を専門とされている古井戸秀夫先生の深い知識など、先生方の研究へのアプローチの仕方、姿勢などとても刺激になりました。文化資源学研究専攻の1期生は14人です。同級生は、年齢もバックグラウンドもまさにダイバーシティ。大学を卒業したばかりの20代前半から上は40代後半の社会人までいるし、バックグラウンドも多彩だし、文化経営など生徒のほうが先生より現場をよく知っていたりすることもあるわけです。シンクタンクに勤めている人が先生とは違う視点のアプローチの仕方を発表したり、普通の教室とはちょっと雰囲気が違っていたかもしれません。といっても、そんな偉そうなことではないんですよ(笑)。「若いから」とか、「年配だから」とかいうことではなくて、教室ではみんなが「仲間」という感じで議論していました。でも、もしかしたら、先生方はちょっと大変だったかも、です。
それに、先生方は、もしかしたら働いている人たちがとりやすい時間割を組んでくださっていたんじゃないでしょうか。授業が月曜日に集中していたので、私は職場が休みの月曜日に受けることができましたし、夕方からの授業も多かった。ただ、最後の授業が夜9時近くになってしまうので、議論が白熱してくると、新幹線の時間を横目で見て「うわぁ、これ、途中で出てもいいだろうか」と思いながら、毎週、怒濤のように行って怒濤のように帰る、そんな感じでした。

佐治 ゆかりさん

大学院に行けてよかった

仕事をしながら大学院に行っていたときは、身体的にも時間的にもたしかにきつかったけど、頭がガーッとヒートアップしてくるような感じで集中力は高まっていたと思うし、今でも比較的高く評価していただける仕事はその時期に集中しているような気がしています。そのころに企画した福島県立美術館での「ハギレの日本文化誌」(2006年)という小さな布片から日本文化を考えるという展覧会は反響が非常に大きく、会期中にカタログが増刷され、それでも会期終了後にはカタログが一冊もなくなってしまい、私は自分の分をあとからオークションで買ったという、いろいろな意味で印象に残っている企画展でしたが、多領域にまたがるようなものを形にするという視点は、やはり大学院に行って勉強したからだと思っています。多様な「もの」の見方を得られたし、自分の狭い視野への気づき、いろいろな分野のいろいろな年代のほんとうにやりたいことしかやらない人たちと同じ時空を共有できたことなど、さまざまな刺激を受けたことが仕事にフィードバックしていった。
もちろん社会人が大学院に入るためには、金銭的・精神的な余裕が必要です。でも、もし、そういうチャンスがあったら、すごくいい経験になることは間違いないと思いますし、ぜひトライしてほしい。確かに、入学試験は簡単ではありませんし、授業の発表もそんなに甘くない。社会学の学生と一緒のゼミで、発表したあとに、今でもよく覚えているんです、「なんだ、そういうオチか」って言われたんです(笑)。おいおい、そういうふうに言うか、と思いましたけど、さすがにそのときは、へこみました。そういうのはしょっちゅうでしたね。だけど、そういうことにめげないタフさが必要です。私のほうが経験者なのに、とか、私のほうがよく知っているのに、なんていうことは全然関係ないです。はい、そうとうやられました(笑)。
博士論文を書いているときは子どもたちの大学受験と重なっていたので、朝の3時か4時くらいに起きて、出勤前まで論文を書いて、食事の準備をして、お弁当をつくって送り出す。夜は基本的に仕事の余波で、くたびれ果ててバタンキューなわけですね。だけど、佐藤健二先生が「10分あれば1行書ける」といつもおっしゃっていたので、博士論文を書いているときは「10分あるから1行書ける」って念じながらやっていました。
ただ、子どもたちに本来渡すべき学費を自分が使っていたというところもあって、「私立は行けないよ」と子どもたちには言いつつ、でも、私は大学院に行けてよかったと思いますし、家族に感謝しています。

郡山市立美術館長に

東日本大震災から1年後の2012年に郡山市立美術館長に就任しました。美術館の役割は、「ものを通して何を伝えるか」ということが大きいように思います。なぜその「もの」が残っているのか、なぜその「もの」が伝えられてきたのかということの間には必ず「人」が関与していますし、そこに関わってきた「人」、それを選択した「人」をどうしても見ざるを得ないのですね。その「もの」の色がきれいとか、構図がどうとか、素材が何かとかの究明も大事なことですが、それだけでは「もの」の半分しか表していないと思うんです。やはりそこに関わってきた人間を見ることが必要で、できる限りトータルに見る、あらゆる視点からアプローチすることが大事です。
「アート・テーク」という、ちょっとゆるやかな文化講座は、文字通り、アートを捉え、アートを手がかりに「人間とは何か?」について一緒に考えてみませんか、というものです。実は予算の関係で美術館では展覧会に関係しない事業はほとんどできなくなっていて、その必要性も認められなくなっていたのですが、私がこの美術館に来たときに、市として、新しい館長ならではのやりたいことを少しアピールとして出してあげようと思ってくださったのか、始めることができました。美術館の事業をするためには、教育委員会や、市の行政部門、首長、議会を通らないといけません。美術館のみんながやりたいと思っている仕事が日の目を見る形になるためには、「この判断は絶対損をさせません」と言い切るくらいの説得力と、いかにそれが重要かということを理論化し、しかも専門家でない人たちにもわかってもらえる柔軟な表出力というか、アウトプット力が必要なのですが、それは大学院で教えてもらった気がします、直接ではないですけどね。
平成25年に開講した「アート・テーク」の第1回は野村萬斎さんの「型-狂言の身体・演出」、そして今年度は異界や見えないものをということで、特別講師を文化人類学者の小松和彦さん、琵琶奏者の塩高和之さん、小説家の京極夏彦さんにお願いしています。とにかく3年間は続けようと思って始めたのですが、4年目を迎えることができました。今では皆さんが楽しみにしてくださっていますし、これまで美術館に来なかった人たちにも広がりが出てきたのはうれしいですね。

佐治 ゆかりさん

あ、これ、おもしろそう

私は大学院に行って、先生たちや学生たちとの刺激的な出会いがあってよかったと本当に思っているんですが、何かを選ぶときに大事なことは「おもしろそうだ」と思えるかどうか、それが大事だと思うんです。私たち美術館の仕事も「おもしろそうだ」と自分が思えるか、そして観る人たちにも思ってもらえるか、です。中身がないものをおもしろく思わせるというのは至難の業ですが、中身があるものは出し方次第です。
率直に言えば、そもそも大学に入るような二十歳にも満たない年齢で学問のおもしろさなんかわかるわけがないんです。ですから、直感的に「あ、これ、楽しそう」と思うかどうかですね。もし、そう思ったら、迷わずに一歩踏み出していく勇気。道はそこから広がります。

インタビュー日/2015.12.9 インタビュアー/肥爪周二 文責/松井千津子 写真/斉藤真美

PROFILE

PROFILE

佐治 ゆかりさん

佐治 ゆかり(さじ ゆかり)さん

1982年 東北大学文学部東洋日本美術史学科卒業
2002年 東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻・前期課程修了
2006年 同 後期課程修了 2010年 博士号(文学)取得
1983年4月~2012年3月 福島県立美術館 学芸員として勤務
2012年4月~現在 郡山市立美術館長として勤務

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