文学部卒業インタビュー #007

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佐藤 祐輔さん ビジネスにとっていちばん大事なのは「正義」だと思うんです

佐藤 祐輔さん ビジネスにとっていちばん大事なのは「正義」だと思うんです

佐藤 祐輔さん

1999年 英語英米文学専修課程卒業
新政酒造株式会社代表取締役社長

  • 今、私は家業の酒蔵を継いでいますが、自分が社会の中でどういう振る舞いをすべきなのかという考え方については、東京大学を卒業した18年位前とあまり変わっていないと思います。そういう“自我”みたいなものって東大にいたからこそ確立できたと思うんですね。自分の所属する社会階層あるいはサブカルチャー、さらに政治的な立場など、自分自身のあり方を客観的に把握するには、大学での学びがよく機能したと思っているんです。

佐藤 祐輔さん

得意なことで勝負をすれば道は拓ける

中高のころから洋楽や難解なロックが好きだったんですけど秋田では話せる人があまりいなくて、東京に行ったら話せる人がいっぱいいるだろうと思って、東京に行きたかったですね。現役では明治大学の商学部に入ったんですが、どうも自分が勉強したいこととは違うなと鬱々としていたころに『アルジャーノンに花束を』を読んで、心理学者になりたいと思って心理学のある大学を片っ端から受けました。東大は後期入試で受かりました。
私が入学したころの東大は駒場寮の闘争があったりして、アカデミックな、いい意味で左翼的な風潮がまだ強く残っていたと思います。私も、どうしたら世の中が良くなるのだろうって考えるようになりました。それに人間としても尊敬できる人も多かったし、駒場時代に語学で一緒だった友達とはいまだに仲がいいですよ。
進学振り分けについては、かなり迷いました。心理学者になりたくて文科Ⅲ類に入ったんだけど、社会心理学とか認知心理学って若干やりたいことと違っていました。そのうち、心理学じゃなくてダニエル・キイスにはまっていたことがわかった。つまり、実際は、文学 — 心理学を題材とした文学 — に感動していたんですね。駒場時代にそれに気づいて、最終的には英米文学に進学しました。あまり勤勉な学生とは言えなかったけど、本は一日一冊程度は必ず読んでいましたし、本を書くことを生業にしたいなと思いはじめました。
本郷ではいわゆる「研究」にはあまり興味が持てなかったけれども、平石貴樹さんや大橋洋一さんみたいな作家性のある教授の授業は大好きでしたね。ご自分で翻訳をされたり、キャッチーな感じで著書を出されたり、あの取り組みはすごくいいと思いました。そういえば、卒論のとき、ボブ・ディランを選びたいと言ったんです。「ロックが芸術文学の一つの形態として成立するまで」を書いたんだけれども、あのころはボブ・ディランを文学と認めてくれなくて、ぼろくそに言われました。ところが今年、ボブ・ディランがノーベル賞をもらいましたね。時代が私に追いついたんでしょうか(笑)。
私は一点突破型なんですね。得意なことだったらかなりのリスクを背負っても戦いたいけど、逆に苦手なことや、やりたくないことは徹底的に避けたい。東大に入ると、周りは頭が良い人たちがいっぱいで、かなわないなと思うことが多かったです。だから進路選択も、自ずと違う方向へ向いていきました。いわゆる大企業に就職して彼らと戦う気にはなれないですよ。けど、まあ、今から考えてみると、飛び抜けて頭がいい友人たちの中には、社会に出てから案外苦戦している、あるいは早くも疲弊してしまっている人も少なくないという気がします。東大生ってそつなくなんでもこなしちゃうから、競争率の高い環境の中で戦うような戦略を無意識に選択してしまう傾向があるようで、もったいないなあと思わなくもないですね。もちろん、みんなこれから働き盛りですから、まだまだ未来はわかりません。ただ、いっそのこと、得意なところだけで勝負したら、おそらく傑出した成果を残せるはずだと私は思っています。

  • 佐藤 祐輔さん
  • 「物書き」から酒づくりへ

    大学を卒業するころ、「本を書いて一人で食って生きていけるだろう」という、なぜか根拠のない自信がありました。フィクション、ノンフィクション、どっちもできると思ってました。いちおう就職活動し、テレビ局の内定をもらったんですが、行きませんでした。非常に迷惑をかけて、申し訳なかったです。
    大学を卒業してからはインドや東南アジアに長い間滞在してぶらぶら遊んでました。お金がなくなって帰ってきてからは、いろいろなアルバイトをしましたね。創作のネタにしたかったからですが、一時期は葬儀屋に勤めたりしました。あと、チャールズ・ブコウスキーが好きだったので、郵便配達人もやりました。短い間でしたが、東京の池袋にある豊島郵便局で働いたんです。面白かったですね。血気盛んな地元の若いブルーワーカーたちの溜まり場で、当時流行っていた『池袋ウエストゲートパーク』を彷彿とさせる世界でした。夜の池袋に配達しに行くんです。けっこう危ないんですよ。消費者金融とか貸金屋に書留を届けに行くでしょう。そうすると、そこら辺にいる人が「お、ありがとう」とか言ってしらっと受け取ろうとするんだけど、うっかり渡すとたいへんなことになる。あと裁判所からの督促状を超高級マンションに配達に行ったり……。これ、だれが、どんな裁判をやっているんだろうって興味が湧きますよね。
    そうこうしているうちに、人のご縁で出版業界に入りました。まずJTBの下請けの旅行雑誌の編集部で働かせてもらって、それから朝日新聞社のOBの方が立ち上げたWEB新聞社に加わって、修行とキャリアを積み、最終的にフリーのジャーナリストとして独立しました。私の得意なジャンルは、「生活や食品における安全性」でした。具体的には食品添加物の追跡や、悪徳業者への潜入ルポを得意としていました。「週刊朝日」など週刊誌への寄稿がメインの仕事でしたが、本も2冊出版しています。あの頃は、まさに私にとって“青春時代”と呼べる日々で、本当に良い思い出ばかりです。
    さて、酒との出会いですが、あるとき、ジャーナリストたちの会合が静岡でありまして、そこで日本酒が出たんです。「磯自慢」という銘柄でした。実においしかった。日本酒ってこんなにおいしいのか、って感動しました。それからはまってしまって……。はじめは書き物のネタにしようと調べていたんですが、だんだん造りそのものに興味が湧いてきた。実家の酒蔵は弟がいずれ継ぐ可能性があったのですが、自分がやりたいなと思うようになりました。そして東京と広島の2つの酒類施設で修行を積ませていただき、2007年に実家の新政酒造に戻りました。

秋田市鵜養集落の田んぼと用水路

伝統はイノベーションの連続で生まれる

当蔵の酒銘“新政”という名前は“新政厚徳”という西郷隆盛の言葉からきています。うちの蔵は幕末にできた蔵なんです。でも私としては、明治時代よりその前の江戸時代のほうがずっと好きです。まさに「日本のなかの日本」といった時代です。日本酒が完成したのもこの頃ですが、和食・江戸前鮨・浮世絵などなど、日本のイメージのベースとなるのはまさに江戸時代です。これに比べると明治は和洋折衷になってしまって面白くないですね。酒造りも、明治からは科学技術がベースになってしまって、ロマンがない工業的なものになってしまいました。
私の好きな江戸時代の技法に、「生酛(きもと)」というものがあります。これは江戸時代にできた奇跡的ともいえるすばらしい技術です。その蔵の環境に生きているさまざまな微生物を取り込み、互いに淘汰させ合い、菌叢を遷移させながら、最終的にアルコール生産性の高い酵母だけを残す、という伝統技術です。西洋思想が入ってくる前の、体験集積型のアプローチで生まれたものですから、そのメカニズムはいまだ完全には解明されていません。毎年、学術的な新発見が発表されていますし、こうした伝統技術はブラックボックスのようです。しかし、完全にコントロールできないぶん、画一性を免れた個性豊かな成果を約束してくれます。だから、伝統技術に戻ると、突然、その蔵らしいところが現れてくる。すべての伝統技能には、このように自然を巧みに利用する深い視点があります。そういう自然との調和を最も表している飲み物が日本酒だと思っています。これは世界に誇り得るものだと思いますね。
でも伝統が大事だからといって、同じことをやり続ければいいというわけでもないんですよ。「温故知新」と言いますが、常に過去から学び、新しい知見を付け加えて、より進化させていかねばなりません。伝統というのは、保守的ということではないんです。そもそも、今に残るあらゆる伝統は、淘汰を免れるため進化しつづけてきたからこそ残っているのでしょう。イノベーションが、ある程度のスパンで起きないと、その産業は長続きできません。私もそこは間違えないようにしているつもりです。

私にとっての善

私にとって経営上一番大事なポイントは、“正義”だと思うんですね。「善なる革新(イノベーション)」と言い換えてもいいかもしれません。自社の利益を追求するだけなんて、なんのロマンもなくって、つまらない。最近、ベンチャー企業を目指している若者から相談を受けますが、利益率とか事業規模とか初期投資とか、そういうことばかり聞かれます。ちょっと違うんじゃないかなと思います。より本質的な問題は、その人物あるいは組織がいかなる「善なる革新」を社会にもたらそうとしているか、です。だから、私たちの会社は利益にならないことでも、社会にとって必要なことであれば、率先してやろうと思っています。これは経営者である私の信念というだけでなく、なによりも我が社で働く社員たちにとってのプライドやモチベーションになります。生き生きとした仕事をするために最も必要なのは、「自分たちが正しいこと、社会の役に立つことをしている」という自己肯定感だと思うんです。例えば私たちの会社は、現在、地元の廃れかけた山間農村を「酒造り」で蘇らせるプロジェクトを手がけています。耕作放棄地を復田して酒用の米を作り、その米で酒を造ることで再び産業をもたらそう、と思っています。事業的に見れば、先のない第一次産業などを手がけるなんて危険極まりない行為かもしれません。しかし、故郷の自然を守るためには、誰かがやらねばならないことなんです。
「文学部」を出て経営者になったことは私にとってはとても重要なことでした。経営活動よりずっと本質な「生きるとはどういうことか?」「人間とは如何なる存在か?」といった命題に、じっくり相対することができました。私が思うに、偉大なる経営者は、人の世に革新を起こし、人の意識を変えることができるという点で、いずれも情熱に溢れた哲学者でもあります。世界を牽引するような偉大な経営者が、東大の文学部からどんどん現れてくれることを祈っています。

秋田市鵜養集落遠景

インタビュー日 / 2016.10.31 インタビュアー / 髙岸 輝 文責 / 松井 千津子 写真 / 藤山 佳那

PROFILE

PROFILE

佐藤 祐輔さん

佐藤 祐輔(さとう ゆうすけ)さん

1999年3月 東京大学文学部 言語文化学科 英語英米文学専修課程卒業
編集プロダクション勤務、ジャーナリストを経て2007年に新政酒造株式会社入社、
2012年同社社長就任

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