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中世ロシア文学の魅力

  講師 アレクサンドル・ボブロフ博士
(ロシア科学アカデミー・ロシア文学研究所「プーシキン館」中世ロシア文学部門主任研究員、
京都大学大学院文学研究科客員教授)

Очарование древнерусской литературы

司会・解説 三浦清美(電気通信大学准教授)

 一般にはあまり知られることのないロシア中世文学の世界の魅力を、この分野の世界的な権威として知られる専門家にわかりやすく語っていただく、ロシア中世文学入門です。

日時 2009年7月3日(金)
午後4時~6時
場所 東京大学(本郷キャンパス)3号館7階スラヴ文学演習室
共催 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部スラヴ語スラヴ文学研究室/現代文芸論研究室
問い合わせ先:現代文芸論・スラヴ文学研究室 沼野充義 電話 03(5841)7955または03(5841)3847


講師プロフィール

 アレクサンドル・グリゴリエヴィチ・ボブロフАлександр Григорьевич Бобров博士は1960年レニングラード(当時)生まれ、レニングラード国立大学でカンディダート・ナウクの学位(Ph.D.相当)を、ロシア科学アカデミー・ロシア文学研究所(通称「プーシキン館」)で博士号を取得。シチェドリン名称ロシア公共図書館 ГПБ(現ロシア国民図書館 РНБ)写本室勤務を経て、現在は同研究所中世ロシア文学部門主任研究員。アポクリファ(聖書外典)やノヴゴロドを中心とする年代記の比較研究、新『イーゴリ軍記事典』の編纂などで数多くの業績を上げ、同研究所が出版する『中世ロシア文学部門紀要(ТОДРЛ)』、『中世ロシアの書物編纂事業(Книжные центры древней Руси)』シリーズの編纂に主導的な役割を果たしています。著書・論文などは160点を越えます。現在、京都大学に客員教授として滞在中のところ、同大学の受入れ研究者、佐藤昭裕先生および中世ロシア文学の専門家、三浦清美先生(電気通信大学)のご厚意により、東京大学でも特別講義をしていただけることになりました。


ボブロフ博士講義録

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 「言葉、言葉、言葉」。さて皆さん、中世文学の言葉の魅力、とは何なのでしょうか。 それは何よりも、その音色の魅力だ、という人がいます。『イーゴリ軍記』には、イーゴリの妻ヤロスラヴナの嘆きによって、イーゴリが自然の力を借りて脱出に成功するという非常に有名な場面がありますが、ヤロスラヴナの嘆き、イーゴリの脱走の部分の言葉の響きの美しさは、中世ロシア語の朗読を聴いた多くの人が認めるところだと思います。しかし、このような言葉の力、言葉の魅力というものを学問的に語ることは、大変難しいことでもあります。少しでも学問的に語るためには、少なくともいくつかの基本的事項を確認しておく必要があるでしょう。

 例えば、中世文学という概念についてですが、西欧史では、5世紀のローマ帝国の滅亡から、15末-16世紀初頭までを中世とし、その時代に書かれた書物を、中世文学の書物と呼ぶことになっています。また、近代文学は、著者の自我意識の目覚めと共に成立するという概念も、きわめて重要です。ルーシにおいても14世紀末―15世紀にかけて、アンドレイ・ルブリョフなどの例に、こういった意味での近代芸術の萌芽を見ることが出来ます。しかしこの時代が西欧諸国においては、宗教・文化的な社会的大変動の時代であったのに対し、ロシアにおいてそういった社会変動が起こるのは、17世紀末―18世紀初頭になってからのことで、その時代まで、つまり西欧諸国に比べはるかに長い期間が、ロシア史では中世という時代区分にあたることになります。

 そういった社会文化的背景の大きな違いを念頭に入れた上で、ロシア中世文学の特徴について、いくつかの観点から考えてみましょう。

 ロシア中世文学の特徴として、まず、文書が手書きであった、ということが挙げられます。ロシア最初の印刷を行ったのはイワン・フョードロフで、1564年であったということになっています。実はそれ以前の1550年代にも作成者不明の7つの印刷物が刷られているのですが、どちらにせよ、これらはみな教会書物の印刷であり、世俗文学が印刷されるようになるのは、17世紀後半になってからのことです。

 羊皮紙と向き合って、印刷される予定のない書物を手書きするということは、その書き手に、ある程度の自律性を与えました。つまり、近代的な作者の意識が、比較的早期に現れる要因となったのです。この、作者と羊皮紙の一対一の空間には、聖者伝や軍記から、天候の記述や実務的な記述、宗教的な読み物や哀歌まで、様々なジャンルがひしめき合っています。

 現代に伝わる文献の多くは写本の状態で伝わっており、それらは原本の成立から数えてだいたい数十年後のものであることが多く、時には百年以上の時を経た写本である場合もあります。部分によって共通する箇所や相違する箇所を含むそれぞれの写本が、互いにどういった影響の下で書かれたものであったのかを解明していくのも、この分野の研究が担う難題の一つです。

 二世紀以上にもわたる写本研究により、現在、数々の写本の実態が明らかになってきました。多くの写本が、独自に、内容の組み換え、短縮、追加といった作業を行っており、その作業の段階で、写本を作成した者の属する修道院や街や地域が抱えている問題や利害が顕著に反映している場合が少なからずあります。

 現代の人間である我々は「年代記」というとまず、プーシキンの『ボリス・ゴドゥノフ』の中の、グリゴーリイから見た「年代記を書くピーメン」像を思い出します。ですから年代記はこのように、善悪の観念に対しても無頓着なほどの冷静さを持って、淡々と書き進められたものである、といったイメージを持っている人も、多いのではないでしょうか。しかし実際、年代記を書く者が、当時の一大観念であった善と悪に無頓着でいられるはずはなく、注意深く読めば、単純作業を行っているかのようなピーメン像はあくまでもグリゴーリイの視点から見た像であり、プーシキンはピーメンに、きちんと年代記を書く側の苦悩を語らせている、ということにも気づくことが出来るでしょう。

 残念なことに、初期の年代記は、決して多く保存されているとは言えません。中世ロシアの写本を保管していたのは主に修道院ですが、完全な形で保存されていることは稀です。そもそも修道院の蔵書が精力的に集められるようになるのは、киновияと呼ばれる、共同生活型修道院の発展とおおいに関係しています。11世紀中盤にすでにキエフ・ペチェルスキー修道院がこのような共同生活型の修道院として形成されていますが、これは数少ない例外のひとつであり、こういった型の修道院がめざましく発展を遂げるのは14世紀後半になってからのことです。

 内容的な特徴についても見てみましょう。例えば、『ピョートルとフェヴローニヤの物語』。これは一体どういったジャンルとして書かれたものなのか、という議論がありますが、この問題はなかなか決着がつきません。なぜそのことがそんなに議論の的になるのか、といえば、それはこの作品が、伝説として書かれたものなのか、それとも物語として、寓話として、あるいは聖者伝として書かれたものなのかによって、話の読みに大変な差が出てしまうからです。

 ともあれ、ロシア中世文学のいくつかの作品を読んでその内容の魅力について考えるとなるとやはり浮かんでくるのは、プーシキンの言う、 "Прелесть простоты и вымысла"という言葉ではないでしょうか。『ピョートルとフェヴローニヤの物語』を見ても、語りの簡潔さ、明快さ、読み手を引き込む筋書きと、その筋書きに翻弄されずに書ききるという書き手の能力が、見事に表れています。

 それからもうひとつ、この作品の魅力を語る上で欠かせない場面があります。それは最後、ピョートルと共に死ぬために、針を止め、そのまわりに糸を巻きつけるフェヴローニヤのしぐさです。中世文学においてこのような描写はまず見られない例外的な箇所だけに、非常に印象的で貴重な場面です。こういった、書き手の個性を窺えるような部分も、ロシア中世文学を読む際に感じる作品の魅力という概念と切っても切り離せない、大切な要素の一つではないでしょうか。                 


 今回、会場にはこの分野を長年専門に研究されてこられた先生方もお見えになり、質疑応答でボブロフ博士は、研究者としてこの道を選んだきっかけや、現在の研究テーマなどを中心に、熱心に語られました。

 今回の講義の実現にご協力いただいた京都大学の佐藤昭裕先生、電気通信大学の三浦清美先生、および会場にお越し下さった皆様、そして二時間強にわたって簡潔明快かつ凝縮された魅力あふれる講義をしていただいたボブロフ博士、どうもありがとうございました。