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東スラヴ語における「持つ」こと――be型とhave型の間で

講師 アンドリイ・ダニレンコ博士
(Andriy Danylenko ペース大学講師、北海道大学スラブ研究センター外国人研究員)

The East Slavic 'HAVE': between the be- and have-patterning?

司会・解説 野町素己(北海道大学スラブ研究センター准教授)

日時 2009年6月19日(金)
午後4時~6時
場所 東京大学(本郷キャンパス)3号館7階スラヴ文学演習室
共催 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部スラヴ語スラヴ文学研究室/現代文芸論研究室
北海道大学スラブ研究センター(野町素己)


講師プロフィール

 アンドリイ・ダニレンコ Andriy Danylenko博士はウクライナ出身で、ハリコフ大学で修士号を、民族友好大学(モスクワ)で博士号を取得。現在、ニューヨークのペース大学講師。スラヴ言語学、印欧語研究、言語類型論、社会言語学、中世・近世のムスリム=スラヴ関係などの分野で目覚しい活躍をされている気鋭の言語学者です。現在、北海道大学スラブ研究センターに外国人研究員として滞在中のところ、野町素己・同センター准教授の尽力により、東京でも特別講義をしていただけることになりました。


アンドリイ・ダニレンコ博士特別講義の記録

東スラヴ語における「持つ」こと――be型とhave型の間?

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特別講義聴講記――概要と感想

 今回は、ウクライナ出身で、ハリコフ大学・モスクワ民族友好大学に学び、現在ニューヨークで教鞭をとっていらっしゃるA.I.ダニレンコ博士をお迎えし、主に所有を表す表現として用いられる動詞がbe型かhave型かという分類にまつわる問題点について、講義をしていただきました。以下は、非常に簡単ではありますが、今回の講義の記録です。

 これまで、このテーマでの先行研究では、ギリシャ語、ラテン語などにおいて所有を表すhave型の言葉が、長い時間をかけて後のインドヨーロッパ各地の言語の文法体系の中に取り込まれていった(これらはみな基本的に「もつ、つかむ」という意味の言葉から派生した動詞である)こと、現代ヨーロッパ言語は、大きく分けてhave型かbe型のどちらかに分類できるということなどが前提とされていました。また、イサチェンコに代表される分類の例に拠れば、have型に属するのは英語、ドイツ語、オランダ語、フランス語、チェコ語、スロヴァキア語、セルビア語、クロアチア語、スロヴェニア語、リトアニア語などで、be型に属する言語はフィンランド語、エストニア語、ハンガリー語、そしてロシア語であり、そのbe型からhave型への移行期にあるのが、ポーランド語、ウクライナ語、ベラルーシ語であるとされてきました。この分類によれば、スラヴ諸語の中でロシア語だけがbe型言語に分類されることになります。こういった前提を受け、Carol Justusらの主張では、「所有をbe型動詞があらわす言語のなかでも古い型を保持しているのは、サンスクリット語やロシア語である」、とも言われてきました。ロシア語の、У меня есть машина.という構文が、この言語のbe型的性質をもっとも顕著に表している、という主張です。もちろん、これらの研究においても、ロシア語におけるhave型動詞の存在が全く無視されてきたわけではありません。18世紀初頭以降、ドイツ語・フランス語の影響を受けて、ロシア語におけるиметьという言葉は、とりわけ慣用表現の形で、元来のロシア語になかった使い方が取り入れられていった(例 : честь имею, иметь хороший вид(仏avoir bon visageより)など)ということは、度々指摘されてきたことでもあります。

 しかし、こういった先行研究に対し、いくつかの疑問点があげられます。

 まずひとつめは、ロシア語は必ずしも「古い要素をそのまま引き継いだ堅強なbe型言語である」とはいえないのではないか、ということ。スラヴ諸語とロシア語の相互の影響関係を視野に入れた上で、歴史的な言語の発達を見ていくと、むしろロシア語のbe型とhave型の動詞はかなり昔から、競合関係にあったと見るほうが自然ではないだろうか、という点です。

 ここで見落としてはならないのが、古代教会スラヴ語を受け継ぐ文章語の発展です。もちろん、古代教会スラヴ語におけるhave動詞の用法は、基本的にはギリシャ語の用法をそのまま借用したものです。しかし、そこからいくつもスラヴ語特有の表現が生まれ、それがスラヴ各地の言葉の中で、独自の発展を遂げています。この経過は、ロシア語におけるhave動詞の発展について考えるときに、大変重要なものです。

 もうひとつは、ウクライナ語は、ベラルーシ語と同様、beからhaveへの移行期にあると考えるよりは、むしろこれらの言語には両方の動詞が共生していると考え、それらを類型学的に分類すべきではないだろうか、ということです。

 そもそも、この研究方法に値するのは、ウクライナ語ばかりではありません。be型とhave型が共生する諸語においては、より多くの資料に基づく類型学的研究が必要になってきます。一括されがちな地域にも、思わぬ複雑性が潜んでいるからです。

 例えば、バルト言語であるラトビア語とリトアニア語における、所有を表す構文を見ていきましょう。ラトビア語では、古い構文の影響を受けた、所有を表す与格の用法が現在でも用いられています。「私は家を持っている」という場合、意味上の主体である「私」が与格になるのです。これは、ロシア語のbe型構文にも良く似ています。また、リトアニア語の場合、同様の与格の用法と、主体+have動詞+対格で所有するものを表す用法とが両方見られるだけではなく、意味上の主体の前に前置詞を用い、所有する対象を主格であらわすという構文も見られますが、これはほかでもない、ロシア語のу+生格の構文から借用したものです。

 さらに、完了体を使った複合時制の構文を見直し、古代語において所有を表す他動詞として存在していた動詞から、時制という二次的な使用が派生したことに注目し、所有を表す動詞に、話者の義務的な意識を表す用法が付加され、時制を現す構文が生まれたというプロセスの地域差にも言及します。

 ラテン語からロマンス語へ受け継がれたhave動詞が所有を表す意味から多種多様な文法的、形式的、時間的用法を持つ動詞に発展していったように、古代教会ロシア語や中世ロシア語においても、内的な要因によってhave動詞が発展していったとも考えられる複雑な構文が数多く存在しています。そこに使われているhave動詞が、時制を決定するためだけに使われているのか、それとも、その他の陳述的要素、つまり話者の認識、判断の要素が多分に含まれているのか、ということが、一概に判別しがたいケースもあります。

 これらのことをふまえた上で、もう一度、have型とbe型の言語の分類について、特にスラヴ諸語がこの分類において占める位置について、考え直してみるべきではないだろうか、というお話でした。

 質疑応答では、出席者の方々から大変多くの興味深い質問をいただきました。

 その中でダニレンコ博士は、母国語であるウクライナ語に関し、東部におけるロシア語の影響と、西部におけるポーランド語の影響を考えた上で、その地方差を視野に入れた現代ウクライナ語の研究の必要性についても語られました。

 また、主体が主格で所有されるものが対格で表されるhave型の構文と、主体が格変化し、所有されるものが主格になるbe型の構文では、主体となる側の言語的世界観に違いが見られるのでは、という質問に深く同意され、be型の構文は、元来の受身的、宗教的な世界観をよく表している、というお話も伺えました。

 普段、英語で講義をされていて、ロシア語で講義をするのはおよそ十五年ぶり、という博士は、「私のロシア語はウクライナ語なまりだから、モスクワのロシア語より、なんていうか、ゆっくりでなだらかな感じでしょう。標準ではないから。」と笑っていらっしゃいました。私事ですが、筆記者のモスクワ時代の恩師がウクライナ出身で、やはりなんというか、おおらかなロシア語を話していたことを思い出し、懐かしくなりました。 ダニレンコ博士、そして今回の講義の実現にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

(講義内容の要約・翻訳とコメント 奈倉有里 スラヴ語スラヴ文学専門分野修士課程)

 今回の講義はロシア語で行われたが、それに先立って、ダニレンコ博士から、英語による論文(講義のための草稿)をいただいた。内容的には上掲の講義概要とほぼ重なるものだが、論文のほうにはより詳しく論じられている点もあり、また説明の力点の違いもあるので、別途、この英語論文の要約を以下に掲載する。

The East Slavic 'HAVE': between the be- and have-patterning?
東スラヴ語における「持つ」こと――be-型とhave-型の間? (論文要約)
アンドリイ・ダニレンコ

 現代の全ての印欧語は、be-型とhave-型のどちらかに分類されると考えられてきた。Isa?enkoやJustusらによると、現代の印欧諸語は次のように分類される:

  • have-型の言語:英語、ドイツ語、オランダ語、フランス語、チェコ語、スロヴァキア語など。
  • 過渡期にある言語:ポーランド語、ウクライナ語、ベラルーシ語
  • be-型の言語:フィンランド語、エストニア語、ロシア語。

スラヴ語の中でロシア語は完全にbe-型の言語に属するとされてきた。ドイツ語やフランス語の影響からиметьを用いた成句(иметь честьиметь хороший видなど)がロシアの知識階級に浸透してくるのは18世紀の初期から18世紀の終わりにかけてのことであるというのが従来の見解であった。

 しかし、筆者はこのような見解に疑問を持ち、次のことを証明する。

 東スラヴ語はより複雑な状況にあったのであり、ロシア語を完全なbe-型の言語と見なすことはできない。方言的にも歴史的にも、ロシア語はbe-型とhave-型の競合状態にあったのである。ウクライナ語(とベラルーシ語)は、be-型とhave-型の間の過渡期にあるというより、類型論的にはbe-型とhave-型の二つの型が独立し並立したの体系をなしている。この並存関係をウクライナ語の文章語とその方言が歴史的に証言している。用法はそれぞれ異なる広がりを見せているとはいえ、全ての東スラヴ語においてこのbe-型とhave-型の並存状態が特徴的である。

ロシア語のhave-型の所有表現には次の二つがある。

  • ロシア語のвзять, возьму(完了体)/брать, беру(不完了体)
  • ロシア語のвзять, возьму(完了体)/иметь, имею(不完了体)

後者のペアは一つの語根から派生したもので、印欧諸語のtakeとhaveの対立に関係するものである。東スラヴ語は歴史的にjimatiやjimĕtiの活用における最初のiを保持しているが、このiは弱い位置でのjer(イェル=弱化母音ないし超短母音)の変化に従ったものである。взятьとиметьが同一の語根から派生してきたということは注目すべきことである。

 ウクライナ語やベラルーシ語のhave-型動詞の語頭のi-の消失は両言語が過渡期的特徴を示しているのではなく、むしろスラヴ語の中でロシア語が特別な位置にあったことを示している。

 古代教会スラヴ語のテクストにおけるimĕtiはコイネーのεχεινを翻訳の過程で借用したものと言われてきたが、古代教会スラヴ語におけるimĕtiの語法はギリシア語εχωの用法と構造的に異なっている。残存する資料によると、東スラヴ語はhave-型動詞を共通スラヴ語から受け継いだと考えられる。ロシア語は古いbe-型の所有表現をもっている言語とされているが、実際は多くの革新性を有している。ウクライナ語の単一未来を形成する後接語-му, -мeш...はtakeを意味するятиが変化したものである。

 Du Boisによると、be-志向の傾向が話し言葉に多く見られるのは、口語において言語外情報が多く供給されるためであり、一方、所有表現がhave-型になるのは、背景の知識のより少ない書き言葉であることが多いためである。

 ロシア語の歴史において、特定の言語集団内の話し言葉へhave-型動詞に関する情報が流入していき、その影響によって、have-型動詞はロシア語の言語体系の中に徐々に浸透していった。このような完全に固有なプロセスによって、歴史的なbe-型構文とhave-型構文の再分配が起こり、前者は話し言葉に保持され、後者はたいてい書き言葉に用いられている。

 地理的にみると、ロシア語はあきらかに相補的な二つの方言の地域に位置しており、それらはおおまかに北方のロシア語と南方のロシア語に分類することができる。北方地域は統語的に強いbe-型の傾向を有しており、一方、南方地域においてはbe-型構文とhave-型構文が不規則に点在している点が特徴的である。

 しかし、ウクライナ語・ベラルーシ語はbe-型とhave-型という二つの所有表現の型をほぼ並行的に使用しているが、南部のロシア語はそれらの言語に固有の形態的特徴および形態統語的な特徴を散発的に示している。ウクライナ語は並立した2つの所有表現が特徴的である。東部においてbe-型構文が主に使用されているのは、現代ロシア語の文章語の規範の影響のためと考えられる。一方、西部地域においてhave-型構文が一般に広まっているのはポーランド語の慣用のためである。

 全体として、所有表現という観点からみて、東スラヴ語は類型論的にbe-型とhave-型の混在という様相を呈している。be-型あるいはhave-型両方の型を示しているような言語体系をtwofold linguistic systemと呼ぶことができる。

コメント

 今回のbe-型/have-型の所有表現に関する特別講義の題目を目にしたとき、まず頭に浮かんだのは池上嘉彦氏の著作「するとなるの言語学」だった。しかし、発表の印象は予想していたものとはちがっていた。どちらも分野としては「言語類型論」に分類できるが、池上氏の著作は系統的に異なる言語を対照するというどちらかというと「対照言語学」に近かったものであったのに対し、今回の発表はおもにスラヴ語族を対象とし、歴史比較言語学的な方法を用いていたという印象を受けた。

 「対照言語学」はいくつかの言語の文法の特徴を比較対照し、それらの間の違いを記述することを目的とする。一方「言語類型論」は取り上げる言語の数や種類を出来るかぎり多くし、ヒトの言語にみられる普遍的な特徴を見出そうとする。問題とされる言語は「対照言語学」の対象が同時代の(多くの場合現代の2つの)言語に限られることが多いのに対し、「言語類型論」は古代語から現代語までありとあらゆる言語を対象とするという違いがある。

 「言語類型論」にはおおまかに「一般化志向的な類型論」「分類志向的な類型論」といった2つの区分がある。今回の発表は「分類志向的な類型論」に分類できる。

 個人的に興味深かったのは、助動詞として文法化したhave型動詞がモダリティーの意味を持つのか、時制としての意味を持つのか、判別するのが困難であるということである。ラテン語では、未来時制の形が接続法などの非現実法と関わるのに、なぜロシア語は過去時制形によって仮定法の意味をあらわすのかという疑問を解く鍵の一つになるかもしれないと思った。

(英語論文の要約・翻訳とコメント 世利彰規 スラヴ語スラヴ文学専門分野修士課程)