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ロシア文学における(水の精)の役割

講師 ジュリアン・コノリー博士
Professor Julian Connolly (The University of Virginia)
 
The Role of the Rusalka in Russian Literature
講義は英語、通訳なし。討論はロシア語も可。

日時 2005年12月6日(火) 午後5時~6時30分
場所 東京大学(本郷キャンパス)
法文1号館3階310番教室

主催   東京大学文学部西洋近代文学・スラヴ文学研究室
助成   東京大学文学部布施学術基金
協力   京都大学大学院文学研究科21世紀COE「翻訳」の諸相」研究班
日本ナボコフ協会

ジュリアン・コノリー氏の主な業績(いずれも英語)
著書
『親密なよそ者――19世紀ロシア文学における悪魔との出会い』(2001)
『ナボコフの初期小説――自己と他者のパターン』(1992)
『イワン・ブーニン』(1982)
編書
『ケンブリッジ版ナボコフ必携』(2005)
『ナボコフとその小説――新しいパースペクティヴ』(1999)
『「断頭台への招待」批評的ガイド』(1997)

このたび来日されたアメリカのロシア文学者、ジュリアン・コノリー氏を迎えて布施学術講演会を開催しました。コノリー教授はヴァージニア大学教授で、ブーニンについての著書があるほか、特にナボコフ研究にかけて世界的権威として知られています。今回の講演は、ロシアのフォークロアに現れる女性の「水の精」ルサールカが、プーシキン、ゴーゴリ、レールモントフ、ナボコフなどの作品でどのような役割を果たしているかを分析したたいへん興味深いものでした。スラヴ文学を専攻する大学院修士の亀田真澄さんに聴講記を書いていただきました。

講義をするコノリー博士

ジュリアン・コノリー博士布施学術講演会聴講記

スラヴ語スラヴ文学(修士一年)亀田真澄

「ある農民は、ルサールカが長い緑色の髪をもてあそびながら、川辺の木の枝にぶらさがって遊んでいるところを発見した…。」私が以前ロシア・フォークロアの資料を読んでいたときに、以上のような文章を見つけたことがあります。それは民話やなにかではなくて、同時代の証言をまとめたものだったので、なんだかルサールカの存在を変に身近に感じたのを覚えています。

ルサールカとは、東スラヴの民間信仰に見られる一種の「水の精」で、しばしば、叶わなかった恋に絶望して身投げした未婚の女性の霊と信じられています。今回の講演会でコノリー博士は、このルサールカの形象が19、20世紀のロシア文学に与えた影響について鮮やかに描出されました。挙げられたテクストはジュコフスキイ、プーシキン、ゴーゴリ、レールモントフ、そしてナボコフと、多岐にわたっています。

ルサールカの起源は知られていませんが、深い悲しみを負った美しい犠牲者という形象と、男性を誘惑して死に至らしめる危険な復讐者という形象を両義的に持ち合わせており、そのことがロシア文学に恰好のモチーフを提供しています。その複雑で感情的な心理状態は、なによりもロマン主義の作家たちに様々なインスピレーションを与えました。プーシキンはルサールカという形象を用いて、愛する男性への想い、そして自殺という絶望的行為へとなだれ込む若い女性の激しい感情を描き出します。そこへ「父親に拒絶される娘」という新たなテーマを与え、ルサールカの二面性を二人の人物、悪魔的な継母と絶望した娘へと分割したのはゴーゴリでした。コノリー博士はこのように、ルサールカのイメージが19世紀ロシア文学において語り継がれ、描き直され、書き換えられていった過程を詳細に指摘されたのでした。

20世紀のロシアの作家からは、コノリー博士が著書を手がけられている、ナボコフにスポットライトが当てられました。新しくてユニークな物語世界を創出するために、様々な文化的要素を広く引用したナボコフは、ロシア民間信仰の中から特にルサールカを重視します。たとえば、『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』において語り手Vは、セバスチャンの生活がある女性との関係によって害されていたことに気づきますが、その女性の名前は「ニーナ・レチノイ」です。「レチノイ」とはロシア語で川を意味する"reka"の形容詞形ですから、ナボコフはニーナにルサールカの形象を与えたと言えます。セバスチャンがニーナと会ったのちに病人であるかのように見える、というエピソードがありますが、これは結婚していない男性がルサールカにつきまとわれ、最終的には病に侵されてしまうという伝説と無関係ではないでしょう。また『アーダ』において失恋のために身投げをする女性は「ニンフ」「人魚」と呼ばれるだけでなく、フランス語で"rousse(赤毛の女)"と自分を形容していますが、この語はルサールカ"rusalka"の語感へと近づくものともみなすことができます。東スラヴにおいては川が人間の世界と超自然的世界の境界とみなされており、そのため川の「place-spirit」であるルサールカは、なんらかの仲介者的な役割を「こちら側」へと、つまり、人間に対して行いうる存在でもあります。そのルサールカの形象は、ナボコフの作品においては、生きた男性に復讐する悪魔的な存在というよりも、人々に超自然的な力を与えるものであることが多いことも博士は指摘されました。ナボコフの作品に登場するルサールカ的な女性はしばしば、詩人や学者にインスピレーションを与えた存在として描かれているのです。最後に博士が示されたのは、ナボコフの作品のなかに描かれたような、ルサールカにインスピレーションを受けて創作へと向かう男性たちとは、そのままロシア文学の代表的な作家たちでもあるということでした。

コノリー博士の講演のなかで特に興味深かったのは、博士がロシア語のルサールカという語彙との密接な結びつきに十分な注意を払われているということでした。「レチノイ」と川を示すロシア語との連関、"rousse"という形容詞の語感のルサールカへの連想についての博士の指摘については上に述べた通りですが、この双方の小説は英語で書かれています。それならば、ロシア語へと語感を結び付けても、英語圏の読者には理解されないのではないか。私はそう思ったあと、ソシュールの言語理論について思い出すことがありました。それは、言語とはなにか言語外の現実に名前を与えるものではなくて、それによって一定の概念を作りだすものである、ということでした。このような、語のもつ生成力の強さがまとめていくものとしての「ロシア文学史」、あるいはある一つの言語によってカテゴライズすることの意味を、コノリー博士の研究法は思い出させてくれたように思います。

講演会の数時間前、上野へご一緒した際に博物館のなかで見かけた日本語をずいぶんと記憶してらっしゃった博士に、「そんなに何でも覚えられるなんて、信じられません」と私は思わず口にしました。すると博士は、「本当は長い文章だって覚えたいのだけれど、それは無理だから、せめて単語くらいは心のなかで何度も発音して覚えてるんですよ」と笑って答えられたのでした。本当は翻訳しきれるものなんてないのではないか、そんなことをも感じさせてくださったコノリー博士との出会いは、外国語・外国文学を学ぼうとする私にとって、非常に貴重なものとなりました。

講演会後、コノリー博士を囲んで