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ベオグラードで生き、詩を書く

東京大学文学部西洋近代・スラヴ文学研究室/
サントリー文化財団助成「ポスト共産主義時代のロシア東欧文化」研究会共催
 
講師 山崎佳代子氏(詩人・ベオグラード大学助教授)

 

日時 2005年11月21日(月)
午後4時~6時
場所 東京大学(本郷キャンパス)
文学部3号館7階西洋近代文学・スラヴ文学演習室

講師プロフィール 山崎佳代子(やまさきかよこ)さんは、詩人、翻訳家、ベオグラード大学文学部助教授。北海道大学でロシア文学を専攻し、ベオグラード大学に留学。1980年代よりベオグラード在住。2003年ベオグラード大学で博士号取得(博士論文『1920年代日本アヴァンギャルド詩の発展――セルビア文学との比較考察』)。詩集に『鳥のために』『薔薇、見知らぬ国』『産砂 RODINA』『秘めやかな朝』(書肆山田)、その他の著書に『そこから青い闇がささやき』(河出書房新社)、『解体ユーゴスラビア』(朝日選書)、『スロベニア語基礎1500語』(大学書林)、訳書にダニロ・キシュ『若き日の哀しみ』『死者の百科事典』(東京創元社)などがある。

講演する山崎佳代子氏

聴 講 記

「1920年ごろ、セルビアでも日本でもアヴァンギャルドがはじまります」。

山崎先生の声がりんと響くと、夕暮れ間近のスラヴ演習室がベオグラード大学の教室に変わるような錯覚を覚えた。その小柄な身体のどこからと思うようなエネルギーに満ちた声、豊かな抑揚、身振りで、あっという間に聴衆を魅了すると、セルビア文学のアヴァンギャルドについて、日本のアヴァンギャルドとの比較をまじえての講義を始められた。日本のアヴァンギャルドは未来派から発展したが、セルビアでは表現主義から発展したこと。とくに、ミロシュ・ツルニャンスキーは新しい表現を求めて東洋の文学に目を向け、「スマトライズム」を提唱したこと。また、詩の分野でも散文の分野でも才能を発揮し、セルビア・アヴァンギャルドを牽引したことなど、セルビア・アヴァンギャルドの全体的な流れ、具体的な内容までお話いただいた。さらに、ツルニャンスキー、イヴォ・アンドリッチ以後のセルビア文学の概観については、「モダニズム」と「リアリズム」の二つの流れに分れることを述べられ、主流となったモダニズムの作家として、ミオドラグ・ブラートヴィッチ(『ろばに乗った英雄』)、ボリスラヴ・ペキッチ、ダニロ・キシュ(『若き日の哀しみ』、『死者の百科事典』)、そしてリアリズムの作家としては、チトー体制下の強制収容所などをテーマとしたドラゴスラヴ・ミハイロヴィッチ(『南瓜の花が咲いたとき』)を挙げられた。また、現代のセルビア文学の傾向については、アンドリッチの『ドリナの橋』に見られるような、広大な地域、雄大な時間の流れ、無数の人々の運命といったテーマから、現代を舞台にした都会の若者の恋愛話や団地の話など、限定的な細かいテーマへと移っているとのことだった。

次に、セルビアの現代詩の中から、モムチロ・ナスタスィエヴィッチの『笛』、ツルニャンスキーの『痕跡』、デサンカ・マクシモヴィッチの『おやすみ』、ステヴァン・ライチコヴィッチの『石の子守歌』、ヴァスコ・ポパの『小さな箱』、ヴォイスラヴ・カラノヴィッチ『石』のセルビア語原文と日本語翻訳とを、それぞれ朗読くださった。多くが美しい抒情詩の響きを湛えるなかで、ポパの『小さな箱』は、躍動感にあふれており、小さな箱と世界という対比を通して、大きくなったり小さくなったりする、変化自在な空間世界がまざまざと感じられ、特に印象的だった。最後に、自作の詩のなかから『一ノ瀬川の伝説』を朗読され、ベオグラードと日本で詩を出版することの困難や、セルビア語と日本語という二ヶ国語での創作についてお話くださった。

「ベオグラードで生き、詩を書く」という講演会のタイトルから山崎先生個人の体験談を予期していたので、当初、少し戸惑いを覚えたが、セルビア文学史について日本で(かつ日本語で)講演を聴くという貴重な時間をえることができた。また同時に、いろいろな作家との交流のお話や、朗読くださった詩、何より、先生のお姿から、ベオグラードで暮らし、詩を創作することがどういうことか、多少なりとも感じることができたと思う。「我々を救うのは(民族的高揚をもたらす)叙事詩か、それとも抒情詩か。」ライチコヴィッチがしたという痛切な問いかけに、セルビアの現状や、詩がもつ力について思いを巡らせながら、本郷キャンパスを後にした。

(奥彩子 東京大学大学院総合文化研究科博士課程・セルビア文学専攻)