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19世紀末ロシア農民の手紙から見た農民文化

講師 オリガ・T・ヨコヤマ博士(UCLA教授)
テーマ 19世紀末ロシア農民の手紙から見た農民文化

趣旨 1880年~90年代のヴャトカ地方農村の一世帯の父母、三男、長女がシベリアに渡った次男に宛てた多数の手紙をもとに、生と死、結婚、親子、兄弟姉妹、宗教などに及ぶその内容を描き、その言語文化と上昇移動を考える(講演は日本語)。

日時 2004年10月15日(金)午後4時~6時
場所 東京大学文学部3号館7階スラヴ語スラヴ文学演習室

 Olga T. Yokoyama博士(元ハーヴァード大学教授、現在カリフォルニア大学ロサンジェルス校教授)は、ロシア語を中心としたスラヴ言語学、スラヴ文化研究、一般言語学の様々な領域で活躍される、国際的に著名なスラヴ言語学者です。現在、京都大学大学院文学研究科客員教授として日本滞在中のところ、東京大学でも特別講演をしていただきました。なお、この講演会は、東京大学文学部の布施学術基金の助成を受けて行われました。

 ヨコヤマ博士のプロフィールと数多い業績については、UCLAの以下のサイトを参照ください。 http://www.humnet.ucla.edu/humnet/slavic/html/f-yokoyama.html

 今回の講演では、ロシアの地方都市ヴャトカにおける長期間にわたるたいへん緻密で精力的な実地調査を通して明らかになった19世紀末農民の言語文化的環境と人間関係のドラマと社会誌が、スリリングな探偵小説のようにヨコヤマ先生の情熱的な語りを通して浮かびあがり、30名近い聴衆で埋まった小さな演習室は知的感動に包まれました。言語的なテキストの緻密な読みと、社会的コンテクストの精力的な追求がぴたりと合わさって、研究としてはめったにない幸福な融合が生じていることが感じられたからでしょう。なお個人的なことを一言付け加えさせていただくと、ヨコヤマ先生はいまから20年以上前、私(沼野)がハーヴァード大学に留学したときの恩師の一人ですが、それ以来、決して衰えることのない学問的情熱をもって研究に邁進し続ける先生の姿に改めて感銘を受けました。今回の特別講演について、感動がさめやらないうちに、聴講者の一人であるスラヴ文学研究室の学生、亀田真澄さんに感想を書いていただきました。(沼野充義 記)

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ヨコヤマ教授講演会聴講記

 文章がその背後にある実体へとむすびつく可能性。オリガ・T・ヨコヤマ教授が私たちに示してくださったのは、地道な調査がこんなにもたくさんの発見を生むんだという驚きでした。来年には一冊の本のかたちで発表されるというスリルに満ちた調査報告へ聞き入るにつれ、満席の教室のなかは一種異様とも言える熱気に包まれました。

 ヨコヤマ教授が今回の研究調査の基盤とされたのは、ある家族によって書かれた350通近くの手紙です。他人に読まれることを想定していないこれらの手紙は分量の多さからもそれが書かれた16年という年数の長さからも非常に貴重なデータであり、またあけすけな農村の生活が本人たちの手で直接伝えられているという点で研究者たちが記録したデータとはまったく違った意味合いをもっています。ヨコヤマ教授の方法とはこれらの手紙の言語学的な特徴やそこに書かれた内容から得た情報を、教会の洗礼記録や戸籍等によって実体化していくものでした。

 たとえば、ある手紙には「おじいちゃんとおばあさん(бабушка)は体の具合がとても悪いです」と伝えられた5行あとに、「おばあ(баушка)」という記載が見られます。ヨコヤマ教授は「おばあさん(бабушка)」と「おばあ(баушка)」の両方の呼び方が現れることに違和感を覚えられました。手紙を書いた子供に、祖母は二人いるのではないか。  父方と母方双方の祖母が一緒に住んでいたことをとりあえず仮定し、村の埋葬の記録、教会の資料などを調査した結果、意外な事実が明らかになります。「おばあさん(бабушка)」とされていたのは子供の父親の養母で、「おばあ(баушка)」とされていたのは子供の父親を私生児として産んだ実母だったのです。ヨコヤマ教授は"б"がひとつ足りないというところから出発して様々な事実をつきとめ、文字ひとつにもそれなりの意味が含まれているんだということを実証されたのでした。

 またある手紙では「新しいことはなにも起こっていません」と表明した直後に「ノーヴァスチ(новости)」と題して様々な重要な出来事が伝えられています。この矛盾する書き方は他の手紙にも見られますが、一体なにを意味しているのでしょうか。ヨコヤマ教授は「新しいこと(новаго)」と呼ばれていたものの規模が現代の私たちの思うものとは違うのだろうと述べられていましたが、本当のところは未だにわかっていないそうです。ほかにも重要な部分を比較的大きな文字で書く傾向など、私たちが見るとどこか違和感を覚える文面の例をヨコヤマ教授はいくつか挙げられました。

 このように現代とは少し異なる様式について綿密に調べ、考えることこそ、残された資料を通してしか垣間見ることのできない過去の生活が(ヨコヤマ教授の言葉を借りると)「なんとなく生きてくる」実感へとつながっていくように思われます。

 講演のあとに行われた夕食会でも、ヨコヤマ教授はたくさんのエピソードをエネルギッシュに語ってくださいました。そのなかで、どんな大学者が言ったことでもひとまず疑ってみることが大事なんだという言葉が印象に残りました。既成の考えに捉われないで自分なりに理解していく。周囲に元気を与えるヨコヤマ教授の仕事は、あまりにも誠実な研究への姿勢から生み出されているのだと改めて感じました。(亀田真澄 スラヴ語スラヴ文学専修課程学部4年)

コンピュータを使って資料を提示するヨコヤマ教授

ヨコヤマ教授の講演に聞き入る聴衆