IMG_4062
swf_1
top

ロシアの文学研究 回顧と展望

講師 アレクサンドル・チュダコフ博士

 

(ロシア・世界文学研究所上級研究員、モスクワ大学教授)

テーマ ロシアの文学研究 回顧と展望

*講義・討論はロシア語、通訳なし。
日時 2004年9月29日(水) 午後5時~6時30分
場所 東京大学文学部3号館7階スラヴ文学演習室

アレクサンドル・チュダコフ博士は、ロシアを代表するチェーホフ研究の権威として国際的に著名な文学者です。特にその最初の著書『チェーホフの詩学』(1971)は、ロシア・フォルマリズムの文芸研究の遺産を受け継ぎながら、言語・文体・詩学の側面からチェーホフ文学を鮮やかに分析したものとして、チェーホフ研究の古典になっています。今回、このセミナーを初めとする、チェーホフ没後100周年を記念して行われる一連の催し物のために初来日されました。日本ロシア文学会のシンポジウムなど、他の場所では主としてご専門のチェーホフに関する講演・報告をされたのですが、私たちの研究室ではもう少し自由に、ソ連・ロシアの文学研究について、ご自身の個人的な回想をふんだんにまじえながら語っていただきました。他では絶対に聞けないような、伝説的な学者のエピソードもふんだんに盛り込まれたきわめて興味深い話に、聴衆は皆引き込まれました。

私(沼野)はチュダコフ博士が日本に滞在していた2週間弱のうちかなりの時間をごいっしょに過ごすという幸運に恵まれましたが、痛感したのは、なんといっても、学問に打ち込む情熱と集中力の並外れたすごさでした。学問の話をし出すと他の世俗的・現実的な問題など一切そっちのけで止まらなくなるチュダコフ先生の迫力に私は打たれ、研究者というものはこうでなくてはいけないのだ、と改めて思い知らされたのでした。

私は当然、もっぱら聞き手に回っていたのですが、一度だけ、チュダコフ先生から求められて詳しく話をしたことがありました。それは私のハーヴァード留学時代の恩師、スラヴ言語学のホレス・ラント教授から直接うかがった話です。ラント教授が若い頃、ソ連に行ったときのこと。ラントは自分の指導教授だったヤコブソンの紹介状を持って、真っ先にヴィノグラードフに会いにいったのでした。ところがヴィノグラードフはいきなり妙な質問をして、若きアメリカの俊英を戸惑わせることになります。

 ヴィノグラードフ「きみは一日何時間くらい寝るのかね?」
ラント(予想外の質問に当惑しながら)「ええと・・・まあ、普通の人と同じくらいでしょうか。一日、7、8時間くらいだと思いますが・・・・・」
ヴィノグラードフ(言下に)「それは多すぎる。私は4時間くらいしか寝ないな。書かなければいけない論文がたくさんあるからね」

ちなみにヴィノグラードフはチュダコフ博士の博士論文の指導教授でした。自分の恩師の面影を彷彿とさせる逸話を日本で知って、チュダコフ博士は――おそらく、まったく予期していなかっただけに――たいへん面白く思ったようでした。

今回の東大の講演でも、それに劣らないような、学界のたいへん興味深い「裏話」をうかがうことができました。ただし、その「裏話」とは単なるゴシップではもちろんなく、学問の本質をえぐるような貴重な体験談ばかりであったことは、強調しておきたいと思います。この講演について、大学院博士課程の河尾基君に聴講記を書いていただきました。

(沼野充義 記)

アレクサンドル・チュダコフ博士のプロフィール

1938年2月2日、カザフ共和国シチュチンスク市に生まれる。
1960年、モスクワ大学文学部卒。1983年、文学博士号を取得。1964年よりソ連(当時)科学アカデミー世界文学研究所に勤務、その傍ら、モスクワ大学、モスクワ教育大学、ゴーリキー文学大学、ロシア国立人文大学などで教鞭を取る。
1987年以降は、客員教授として海外にたびたび招かれ、ミシガン大学、ミドルベリー・カレッジ、カリフォルニア大学ロサンジェルス校、プリンストン大学、ソウル外国語大学などで教えた。
現在、世界文学研究所上級研究員、モスクワ大学教授。
専門はチェーホフを中心としたロシア文学の<詩学>。1959年から著作を発表し始める。『チェーホフの詩学』(1971、英訳1983)は、斬新な視点からチェーホフ研究に新境地を切り開いた著作として、国際的に高く評価された。その後の主要著書に、『チェーホフの世界――発生と確立』(1986)、『アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ――学生のための読本』(1987)、『タガンログのチェーホフ――文学的年代記』(1987)、『言葉―もの―世界 プーシキンからトルストイまで ロシア古典作家の詩学概説』(1992)などがある。その他、論文・回想・編書など多数。小説家としても知られ、小説の代表作には、<牧歌小説>と銘打たれた長編『霧が古い階段に降りる』(2001)がある。

*   *   *   *   *

チュダコフ博士講演会聴講記

「わたしがモスクワ大学に入学したのは1954年。ずいぶんと昔のことです。わたしはもう古い人間ですから、ときどき、新しく入ってきた学生達の顔の表情から、彼らはわたしを遠い昔に死んだ人間だと思っていたことが分かります。」というジョークから始まった講演会でしたが、今もなお若者のようなエネルギーに溢れたチュダコフ教授の話を聴き、逆にわたし達のほうが力を与えられ、熱気に包まれることとなりました。

ヴィノグラードフやシクロフスキーやギンズブルク(http://magazines.russ.ru/nlo/2001/49/chud.html)に関する論文や回想記もある教授ですが、今回のお話では彼らやそのほかの優れた学者達の姿が、ソヴィエト時代の「裏事情」も含めて改めて生き生きと伝わりました。中でも、アカデミズムのボス的な存在になって、引用ばかりの読みにくい論文を量産していた古い学者、とわたしが思い込んでいたヴィノグラードフについてのお話は、彼の受けた不遇や学者としての器の大きさを楽しく伝えるもので、後日読んだヴィノグラードフについての教授の論文ともあわせて大変興味深いものでした。ほかにも、ボンジィから聞いたベールイの話、シクロフスキーから聞いたトゥイニャーノフの話、ギンズブルクから聞いたオレイニコフやハルムスの話、エトキントから聞いたジルムンスキーの話など次から次へと続いていきました。(そのあとの懇親会の席やご一緒させていただいた東京観光の折りにも、さらにポテブニャー、シクロフスキー、アフマートワ、ウスペンスキー、ジョルコフスキー、教鞭をとられたアメリカや韓国でのロシア文学研究事情など、実にさまざまなお話を聞くことができました。)

また、フォルマリズムやモダニズムについて言及することが、公式に禁じられていたわけではないが奨励されてもいなかった50年代後半以降、レーニンやマルクスを引用すること(当時の隠語では「柵を立てる」こと)を拒否するとどんな嫌がらせを受けるか、5年ほど出版を見合わせられた自著や、注釈の作成に関わったヴィノグラードフやトゥイニャーノフらの著作出版の経験から語ってくれました。プーシキン研究とは違って、ご専門のチェーホフ研究においてはエルミーロフやベールドニコフといった「硬派」のソヴィエト研究者が幅を利かせていたので、ずいぶんと苦労をされたようでした。

講演会の後半では、フォルマリズムの学術的な価値を改めて力説され、同時に資料収集、特に同時代人の証言を大切にすべきだということを説かれました。現在の文学研究においては、解禁された宗教のテーマ、「ロシア文学における美食」「ロシア文学におけるベッド」のようなアネクドート的なテーマ、明らかに関係がなさそうな作品を安易に並べてこじつける「間テクスト性」の研究などが流行っているが、小さな個別のテーマを支える大きな枠組みがしばしば欠けていること、そのためには学派や用語などは二次的な問題であること、重要なのは流行に左右されないもの、つまり作家や詩人の「世界」を対象にした研究であること、また、海外の研究者には「ロシア文学における日本」や「日本でのロシア文学の受容」というテーマも非常に有益であることなどを述べられました。

教授の専門テーマの一つが「文学における事物の世界」であるためか、滞在中は日本でのさまざまな物や風景に関心を示しておられました(特に東京では、ご案内した秋葉原の雰囲気と美学の印象などは大きかったようです)。このように一方では若々しい好奇心を持ち、他方ではフォルマリズムの学術的伝統を踏まえた一流の学者の、経験と成果を惜しみなく分け与えられる機会を得たことは、われわれ若い研究者達にとっては非常に幸運なことでした。

(スラヴ語スラヴ文学博士課程 河尾 基 記)
自分で図を描きながら講演をするチュダコフ博士