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文学の翻訳――異文化交流の最前線

講師 ドミトリー・コヴァレーニン氏
Дмитрий Коваленин 日本文学翻訳家・評論家・東京大学文学部外国人研究員

テーマ  文学の翻訳――異文化交流の最前線
日時 2004年5月14日(金)午後3時~5時
場所 東京大学(本郷キャンパス)
文学部3号館7階西洋近代文学・スラヴ文学演習室

 ドミトリー・コヴァレーニン氏は、村上春樹を最初に日本語に訳し、現代ロシアにおける村上春樹ブームを引き起こしたことでも有名な、現代ロシア随一の日本通、翻訳家・評論家である。昨年6月から国際交流基金のフェローシップを受け、スラヴ文学研究室の外国人研究員として日本に滞在されている。一年にわたる長期滞在も終わりが近づき、このたび文学の翻訳について特殊講義をしていただいた。 村上春樹の手法は「スシヌアール(=黒い寿司)」、つまり白くない寿司なんて日本人には想像もできないような、新しい見方を提示することだそうだ。6月にロシアで、氏の村上春樹をめぐる個人的な冒険の著作 "Суси-Нуар: Занимательное муракамоЕдение" が出される。

 結局のところ、コヴァレーニン氏にとって、「文学」とは 'good stories' である。媒体は本であっても、映画、アニメ、音楽などのサブカルチャーであってもかまわない。それらの接する境界線にあるような、今まで他の人が表現しなかったような新しいメッセージを持つものが、「文学」として人の心を打つ・・・こうしたことを、嵐のように教室に入ってきて、滔々と語られたものだから、一同は呑み込まれてしまう。この精力でここまで突き進んできて、今後もどんどん日本の「文学」の紹介に邁進されるのだろう。

 教室は鮨詰め、国際交流基金の代表の方をはじめとして、多彩な顔ぶれでいっぱいだった。質疑応答では、「文学」としてサブカルチャーを紹介することなどについて、熱い議論が交わされた。若い人々は分かりやすいものに流れやすいのではないか、また年輩の人々はサブカルチャーに抵抗があるのではないか。コヴァレーニン氏の 'good stories' が起爆剤となって、参加者の文学に対するそれぞれの想いを引き出したようだった。'good stories' とはそれほど、魅力的な、古くて新しい、問題を孕む言葉に思われる。議論は、それ自体を説明することなんてできないこの言葉の周りをぐるぐる回っていたが、きっとそれがいいのだと思う。

 コヴァレーニン氏は村上春樹を、日本語からロシア語ではなくて、「村上語」から「ストルガツキイ語」に訳し、『ダンス・ダンス・ダンス』でSFの賞(「遍歴者賞」翻訳部門、2002年度)を受賞した。村上春樹の作品では「こころ(=人間の記憶とあたたかみをつなげるもの)」の喪失が描かれているが、「こころ」の独特な意味をどうやって翻訳するのか。訳さないそうである。実際は вышел из себя といった表現を用い、つまりself に置き換えるのだが、「こころ」の肝心な部分は見せず、わび・さびのように暗示させる。見せてしまうと、新鮮なものでも面白くなくなってしまうということだ。こうした訳し方はやはり、捉えられない、あるいは捉えてはいけないのかも知れない、 'good stories' の在り方に相応しいと思った。

 講演のあとの懇親会も賑わった。コヴァレーニン氏は日が暮れて暗くなるまで、8階にあり、風が吹く研究室のベランダで、タバコを吸いながら自己の存在を確認していた。(伊藤忍 スラヴ語スラヴ文学専攻修士課程)

講義後、研究室でコヴァレーニン氏を囲んで