『ソシオロゴス』アーカイブ

『ソシオロゴス』は、冊子の公刊後、1年を目処に電子版を公開しております。これまでの執筆者の方で、公開をご了承いただけない方は、お手数ですが本会までご連絡ください。

ソシオロゴス 42号 (2018年9月発行)

宮部 峻 「宗教」と「反宗教」の近代
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本稿では、1920年代から30年代における日本の宗教教団に着目し、宗教と社会との相互作用の結果として生じた宗教理解の変容、宗教教団による教義の意味づけについて論じる。教義内在的な研究では、宗教の社会活動の社会的文脈は、教義に還元される傾向がある。しかし、本稿で考えたいのは、「社会」の成立とそれへの教団の応答である。1920年代は、社会運動の発生、マルクス主義の輸入を契機に、国家とは異なる次元の「社会」が意識される時代であった。実際、本稿が分析対象とする真宗大谷派教団が社会課を設置するのは、当時の時代潮流においてである。宗教は「社会」に対して融和事業などの取り組みを図る一方で、反宗教運動や「マルクス主義と宗教」論争に代表されるように、マルクス主義の批判の対象となり、自己規定の見直しを行う。本稿では、マルクス主義への応答を通じて、宗教教団が宗教の機能を「反省的なもの」へと規定していくことを示した。
團 康晃 話すこととのむことの相互作用分析
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本論では、読書会における嗜好品摂取を対象に、特に議論の進行と嗜好品摂取の関係について、エスノメソドロジー・会話分析におけるマルチアクティヴィティの観点から明らかにする。そこでは、会話と嗜好品摂取活動とが互いにその進行を阻害しない幾つかの方法が観察された。一つには他者の順番内で嗜好品摂取を行うこと。もう一つには、自分の順番において嗜好品摂取活動を始めることで、自らの順番の完了を予示する機能である。
久保田 裕斗 小学校における「共に学ぶ」実践とその論理
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本稿の目的は、障害児と健常児が「同じ場で学ぶ」小学校の実践の特徴と、その実践に対する教員たちの理解のあり方を明らかにすることである。「同じ場で学ぶ」教育実践は、本稿が調査対象とした地域においては「共に学ぶ」教育運動として展開してきた。この「共に学ぶ」実践について調査をおこなった結果、次の点が指摘できた。第一に、「共に学ぶ」実践においては、特別支援学級担任をはじめとする教員を「支援担」として活用することで、障害児の教育保障をおこなっていた。第二に、運動に関わってきた教員たちは、教員集団の一般的傾向などに言及し、「共に学ぶ」教育の原則の存在やその規範が失われることへの懸念を示すことで、自らの活動を定式化していた。第三に、若手教員は実践的な水準で「共に学ぶ」教育の原則を継承していたが、この若手教員がおこなっていた自らの実践についての理解の仕方は、「共に学ぶ」教育の原則を素通りする危険性を内包するものでもあった。
牧野 智和 オフィスデザインにおける人間・非人間の配置
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近年注目を集める「クリエイティブなオフィス」は、知的創造性に関連する活動(アクティビティ)を誘発する多種多様な仕掛けがそこかしこに埋め込まれ、そのような環境と知的創造に向かう組織のあり方を重ね合わせようとする異種混交的なデザインの対象となっている。本論文ではいかにしてそのようなオフィスの様態が立ち現れたのか、オフィスデザインの変遷について分析を行った。1950年代から1960年代にかけてのオフィスは能率的配置のなかに人とモノをともに埋め込もうとしていたが、1980年代から1990年代にかけての「ニューオフィス」の台頭期においては知的創造性が重視されるようになり、執務室を離れた支援空間でのリフレッシュがそのポイントとされた。2000年代以降、冒頭で述べたような環境デザインが支配的なスタイルになるが、このようなオフィスにおいて知的創造性が実際に高められたかどうかという点は多くの場合ブラックボックスになっている。
永田 大輔 ビデオをめぐるメディア経験の多層性
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1989年のある事件をきっかけとしてオタクは社会問題化する。事件報道で加害者の自室が取り上げられ、部屋のビデオコレクションがオタクと結び付けられた。その結び付けをめぐる二つの語られ方が存在した。マスメディアが事件の加害者を「オタクの代表」とする一方で、批評家が加害者を「真のオタク」でないとも語ったのだ。それらの語られ方が可能になった文脈を当時のビデオの普及状況との関連で検討する。加害者がオタクの代表とされる際に、加害者を「通して」オタクと一般層を切り離した。対して加害者が真のオタクでないという根拠に持ち出されたのは、「コレクションの未整理」である。ビデオテープが高価だった時期は整理が節約の便宜に基づくものだったが、次第に意味を失い、批評的言論の中で「長くオタクを続けてきて」きたことと読み替えられ、加害者がオタクでない根拠とされたのだ。こうした操作はオタク「から」加害者を切断操作するものだった。

ソシオロゴス 41号 (2017年10月発行)

園田 薫 日本で働く専門的外国人における企業選択と国家選択の交錯
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本稿は不断に変化する専門的外国人のキャリア選択の局面を通して、彼らが日本企業での就労をどのように捉えているのかを明らかにする。そこで企業選択と国家選択という2つの概念を設定することで、彼らの動的なキャリアの想定を捉えることを試みる。日本の大企業で働く専門的外国人へのインタビュー調査の結果、多くの対象者はどこで暮らすのかという国家選択が、家族設計という要素を媒介することで、現在の企業で働き続けるかという企業選択の論理に強く影響していた。これは入社以降に家族設計に伴うキャリア上の国家選択に迫られ、想定していた職業キャリアと交錯するなかで、国家選択を重視してキャリアを選択する傾向から導かれる結論である。この結論から、企業選択と国家選択を明示的に区分する妥当性と、企業選択のみならず国家選択に影響を与えるという点において、家族設計の想定が専門的外国人の定着を決める重要な要素となることが示唆される。
芝野 淳一 第二世代の帰還移住過程における構造的制約
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近年、日本人の海外移住が多様化するなかで、自発的に移住先に長期滞在・永住する人々が増加している。それに伴い第二世代の「日本への帰還」のあり方も多様化している。本稿は、グアムの日本人青年を事例に、長期滞在・永住家庭の第二世代が帰還移住過程において経験する構造的制約について検討するものである。結果、かれらはその就労において、自らのルーツの確認や帰属意識の獲得などを目的に、自発的かつ個人的に日本への帰還を試みていた。しかし、移住過程において、日本側の「受け入れの文脈」―労働市場、エスニック・コミュニティ、移民に関する政策―から排除されると同時に、グアム側のそれに包摂される(引っ張られる)ことで、日本への帰還が困難になっていたことが明らかになった。本知見が示唆するのは、日本への帰還に際して困難を抱える「グローバル・ノンエリート」としての第二世代の存在を議論の俎上に載せること、そしてかれらの移住経験を複数の場所における構造的・制度的文脈との関係において解釈することの重要性である。
牧野 智和 「自己」のハイブリッドな構成について考える
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自己のあり方、その行為者性のあり方に「モノ」はいかに関係するのか。本稿ではアクターネットワーク理論(ANT)と統治性研究を手がかりにして、自己とモノ、人間と非人間の関係性を考察する視点の錬磨を試みるものである。人間と非人間の関係は科学技術社会論を中心に検討が重ねられてきたが、その一つの到達点にブルーノ・ラトゥールらが提案したANTがある。この立場は技術・社会・人間を切り分けることなく、異種混交的なネットワークとして記述・理解しようとする新しい魅力的な切り口を提示している。しかし、個別事例を越えたネットワーク化の戦略や、今日増殖しつつあるハイブリッドのデザインという事態までをANTの立場は捉えることはできない。このようなANTの限界を超えるために、ジョン・ローのミシェル・フーコーへの言及、さらに統治性研究を発展的に折衷することで、デザインされる異種混交性の考察が可能になるのではないかと考えられた。
田中 宏治 例外事象によるチーム医療の行動的構造の変容
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本稿は、日本における「チーム医療」に関して、社会学が提言したチーム成員が有する「志向性類型」を批判的に援用しつつ、志向性類型が目指したチーム医療に対する「包括的な把握」の限界を見極め、それを乗り越えるための新たな行動的構造を探求する目的で、ネットワーク分析法を用いて対象である2病院のチーム医療を解析した。その結果、志向性類型では全く表現することが不可能であった例外事象の発生時におけるチーム医療にて「行動的構造の変容」の2パターンを確認することができた。この2パターンの変容は患者に対する中心性と集中化によって「極集中型」と「拡散型」に特徴付けることができた。「行動的構造の変容」という結果は、従来の社会学がチーム医療へ示してきたいかなる指標とも異なり、人的コストの集中や分散、成員間の交渉や調整コストなど、チーム医療という構造への新たな知見を可視化できるものである。
中川 和亮 イベント研究の方法論的検討
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本稿では、イベントに参加したひとびとの経験と日常生活の連続性に焦点をあて、イベント研究の方法論を検討することを目的とする。これまでのイベントを方法論的に検討した研究ではイベントという非日常経験がいかにひとびとの日常生活と連続しているかという点に着目しておらず、また「受け手」がイベントに参加した際の経験の質を検討したものはない。そのなかで本稿では、M.チクセントミハイのフロー理論を補助線として、イベントという非日常経験が、ひとびとにとっていかなる意義があるのか、ということを検討する。ひとびとは各自で自己認識を発展させていく必要を求められる一方で、ひとびとの要求に応じてイベントの「創り手」は擬似的に「かりそめの現実」を提供する。本稿は、「かりそめの現実」による「自己認識の発展」に問題意識を持ちつつ、イベントで「受け手」が醸成しうる別の「自己認識の発展」の可能性を検討する。
池上 賢 「メディア経験を語ること」とアイデンティティ
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本稿では、現代社会におけるメディアとアイデンティティの関係について、メディア経験を語るという行為をエスノメソドロジーの視点から分析することで明らかにする。筆者は先行研究の問題点として、分析対象となる関係性が事前に同定されていること、データの分析において本人によるアイデンティティの理解が看過されていること、以上の2点を指摘した。その上で、分析の手法としてエスノメソドロジーの視座によりメディア経験を語るという行為を分析することを提案し、インタビュー場面におけるマンガ経験について語るという行為を分析した。その結果、語り手のアイデンティティは場面状況に適合的に語るため、相互行為の中で提示されていること、特定のメディア経験を持たない人でも、当該のメディアとの関係の記述により、アイデンティティを提示しようとすることが明らかになった。
正井 佐知 障害のある奏者のオーケストラ参加
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障害者の社会参加の場には、介助方法や対人援助方法など何らかの医学的・福祉的専門知識を有する者が参加していることが多い。このような場に関する研究は今までに多く蓄積されてきた。本稿では、医療や福祉の従事者が関与せず、支援を目的としない場に、障害のある人がどのように参加しているのかを明らかにする。医療や福祉の従事者が関与しない場として、20年間障害のある奏者が参加しているオーケストラαの合奏練習に着目した。そして、楽譜トラブルに関する相互行為の形式的分析と知識基盤の分析を行った。この結果、障害のある奏者の参加を確保するために集団的に団員たちが用いている実践的ルーティーンの知識が明らかとなった。