『ソシオロゴス』アーカイブ

『ソシオロゴス』は、冊子の公刊後、1年を目処に電子版を公開しております。これまでの執筆者の方で、公開をご了承いただけない方は、お手数ですが本会までご連絡ください。

ソシオロゴス 47号 (2023年10月発行)

松崎 匠 A. ホネット『承認をめぐる闘争』における「人倫」概念の意義
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本稿の目的は、A. ホネットがイェーナ期ヘーゲルの承認論に依拠する理由を考察することにある。そのために、ホネットの主著である『承認をめぐる闘争』における「人倫」概念の意義について検討する。というのも、ホネットは若きヘーゲルの人倫に、自立した個人と個人とのあいだの相互承認関係に基づく共同体の構想を見出すからである。このような相互承認関係の拡大を、承認をめぐる闘争の目標として提示するためには、まず、人倫を相互承認の段階論の導入によって再構成する必要がある。さらに、さまざまな自己実現にかかわる諸価値に開かれた闘争の場として、人倫の形式的な構想が必要となる。いまや人倫は「善き生」、すなわち他者とともにある自己実現の可能性の条件となる。それによって、ホネットは善き生がどのようにして可能なのかという問題を批判的社会理論さらには社会構想の問題として提起することができるのである。
有馬 恵子 京都市出町商店街における路上販売とローカルコミュニティ
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近年、経済的な不況や労働市場の流動化を背景に、新しく路上商売販売に参入する者が増加している。彼らの中には、食材へのこだわりや環境問題への配慮といった社会起業家としての側面の強い者たちも含まれており、かつて規制や取り締まりの対象とされてきた路上商売販売は、雇用の受け皿や、観光や公共空間の利活用に関する都市戦略のなかで評価されつつある。しかしこれらの新しい路上商人の活動は、行政の管理・規制だけでなく、商店街という「ローカルコミュニティ」における規範や暗黙のルール、即興的・行為遂行的な「もののやり方」にも左右されている。本稿では、京都市出町商店街における新旧の路上商人、商店主、行政官ら異なる社会集団に属する者たちの相互交渉を記述分析する。それを通じて路上商人のような流動的な人びとを含め、敵対性と協働性が絡み合いながら生成する、ローカルコミュニティのダイナミクスを提示する。
松元 圭 双極性障害患者と縁者が認識する困難の違い
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双極性障害患者とその周囲の人々の間には、双極性障害に起因する困難に対し、どのような認識の違いが生じているのか、また、患者とその周囲の人々は互いをどのような存在として捉えているのかを明らかにすることが本稿の課題である。近年、気分障害患者の増加に伴い、その一種である双極性障害にも関心が高まっている。双極性障害は不安定な気分の波によって、身近な他者を中心とする対人関係に困難をもたらすことが指摘されているが、患者と周囲の人々を同時に分析対象とする研究は行われていない。本稿は、「病いの語り」論に依拠しつつ、患者と周囲の人々を同時に対象としたアンケート調査の自由記述データを分析することによって、双方の間には困難として認識している内容そのものに違いがあることを明らかにした。また、患者は家族をはじめとする周囲の人々を同じ病いに直面する当事者とは見ていないこと、一方で周囲の人々は患者を病者とみなし、社会的な存在として見ていないことが示唆された。
中田 明子 フォーマルなケアにおける情緒的な絆への対処
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フォーマル・ケアの現場で、訪問看護師は柔軟に状況に対応するため、どの利用者宅にも訪問するので、本来的には利用者と特定の看護師との間で情緒的な絆は生じにくい。だが実際には利用者が特定の看護師の訪問を希望する状況があり、看護師も希望に応じている。本稿では看護師側が応じる理由を明らかにするため、訪問看護師26名にインタビューを行った。情緒的な絆が生じると、利用者が看護師を支配する関係となりうる一方で、利用者の個別性への配慮や、ケアの質向上に向けた学習を看護師が行う意欲を高めもする。また利用者に対する理解が深まることで、看護師は医療的な判断もしやすくなる。以上のメリットがあるため、看護師は利用者の希望に応じている。情緒的な絆は専門職として職務を果たすことに寄与しており、従来の感情労働の概念が短期的な場面を想定していたのに対し、情緒的な絆という長期的な感情もフォーマルなケアで重要な機能を果たしている。
ロゴスとミュートス(5) 佐藤健二氏インタビュー:言葉の力から方法としての比較=歴史社会学へ
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今号では、歴史社会学、分化社会学、社会調査史、メディア論と多岐にわたる成果を生み出してきた佐藤健二氏へのインタビューを掲載する。 資料の形式・形態を見極め、素材を生かして料理し、常識と思われていた認識や感覚を鮮やかに問い直す氏の方法は、熟練の職人の技術のようであり、まさしく「アート」と呼ぶにふさわしい。であればこそ、多くの読者は氏の方法がいかに生み出されてきたのか、いかにして「盗む」ことができるのか知りたいであろう。本号のインタビューから浮かび上がってくるのは、熟練した技術を身につけるまでに、氏は大学にとどまらないさまざまなネットワークを築き、そのネットワークのなかに生きたということである。『ソシオロゴス』という場がどうあるべきなのかを考える手がかりにもなるであろう。 本号のインタビューでは、言葉の持つ力に魅了され、比較=歴史社会学の光へ向かっていく佐藤氏の歩みを尋ね、比較=歴史社会学の本願を聞く。

ソシオロゴス 46号 (2022年11月発行)

百瀬 由璃絵 日本の若者における社会的排除構造のコーホート比較
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本稿では、社会的排除を構成する経済的側面・社会的側面・政治的側面・文化的側面を取り入れたパネルデータによる潜在クラス分析を試みることで、日本における若者の社会的排除構造を明らかにした。さらに、2007年と2017年の30代のコーホートを比較した。分析の結果、5つの潜在クラスが確認され、日本社会における若者の過半数以上の人々が何かしらの不利な状態にあることが判明した。特に社会的排除が深刻な「4側面不利型社会的排除」「安定労働に隠れた社会的排除」「多次元的不利型自営業等」の3クラスが確認された。コーホートを比較した結果、2017年よりも2007年の30代のほうが社会的排除の状況は深刻であった。すなわち、2007年の30代は、10年違うだけで年齢との関わりが深い労働市場での採用や若者就労支援の対象から外されてきた可能性が高い世代であり、その結果が社会的排除の問題として浮上していることが示唆された。
江島 ゆう花 複数のケアの受け手と与え手を包括する「感覚的活動」概念の構築
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本稿の目的は、ケアの認知的な側面に関する研究群のうち、ジェニファー・メイソンの「感覚的活動」概念に着目し、同概念を日本社会において母親という女性ケアラーが家族の食事を用意・調理するケアの分析枠組とする利点と課題を、諸概念との比較を通じて整理することである。感覚的活動とはケアについて感知し思考する活動を指す。本稿は、同概念の特徴をアクターが交わすケア行為の個別性や関係性に着目する点、同概念の利点をケアの分担の困難とされてきたケア関係ごとの差異を感覚的活動の特質としてとらえ直す点にみる。同概念の課題としては、感覚的活動を行う多様なアクターの範囲と関わり方を探知することとし、感覚的活動を行うアクターを、家族・親族内の女性ケアラーや能動的なアクター、そして与え手と受け手とのダイアド関係に閉じることなく検証する必要性を確認する。
堀 智久 英国障害者団体ALLFIEのインクルーシブ教育運動の思想と実践
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本研究の目的は、英国の障害者団体ALLFIEを対象とし、この団体がいかなるインクルーシブ教育運動を展開してきたのか、その思想と実践を明らかにすることである。ALLFIEのインクルーシブ教育の立場の思想的基盤となっているのは、障害の社会モデルである。そこでは普通学校の根本的な変革が行われるなら、普通学校で学べない子どもは存在しないという見方がとられている。ALLFIEのインクルーシブ教育運動では、とくに障害の重い子どもの強制的分離を引き起こす「特別な教育的ニーズと障害」の法的枠組みの不十分さや差別性が指摘され、また障害者権利条約に沿う法制度改革の必要性が主張されてきた。また、既存の学校のあり方に対する批判的な捉え直しもなされており、普通学校の様々なバリアが明るみにされてきた。こうしたALLFIEのインクルーシブ教育運動の思想と実践は、日本の就学運動の固有性をも浮き彫りにするものとなっている。
服部 恵典 ポルノグラフィ・ファンは誰に何を語るのか
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ポルノグラフィ消費を孤独な営みであるとする理解に対し、ポルノファンもコミュニティを構築していることが注目され始めている。特に、1人でポルノを楽しめる時間と空間の獲得によって女性のポルノ視聴者の増加を説明する枠組みに対して、日本の女性向けAVを視聴するファンが集い、語る場を得ていることが指摘されている。しかし、先行研究に共通する問題として、ポルノファンの語りの場をコミュニティ内部に限定している点がある。これに対して本稿は、女性向けAVを視聴するファンが、コミュニティ内外の聴き手に対し、AVや性について何をどのように語っているのかに着目した。これによって、ポルノ消費を「個人」か「(1つの)ファン・コミュニティ」かという大掴みな図式で捉える場合に見落とされる、ファンと非ファンの間の摩擦や、多様な語りのニーズを持つファン同士の緊張関係、そしてそれを乗り越えるためのファンの語りの戦略を明らかにした。
有賀 ゆうアニース 「ハーフ」は偏見・差別経験をいかに語りうるのか
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多人種的背景を持つ人々とその経験への注目が高まっている一方、彼らが人種的経験を語るという実践自体がいかに達成されているのかについては十分に明らかにされていない。この課題に取り組むべく、当事者が自らの人種主義的経験を語っている相互行為場面を会話分析の視点から分析した。分析により次の知見を得た。人種主義的経験の語り手は、非当事者の聞き手との連携的関係の構築・維持、その関係に対する潜在的脅威としての不服の制御という課題に指向している。その指向のもと、(1)ユーモアや笑い、(2)評価の一般化可能性の統制といった方法を通じて、聞き手との連携を管理している。以上の知見は、人種主義経験を語るという行為が局所的な相互行為秩序に連動していること、人種主義の社会学的探究の方途として会話分析が有望であることを示唆している。
正井 佐知 差異有標化の実践と社会参加
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コミュニケーション上の障害がある人の研究は、有効な療育・訓練・治療方法の開発、有効な支援の方法の解明を目的とした研究が多く行われてきた。これに対して、本稿の主な関心は、従来のような福祉や訓練という観点ではなく社会参加という観点から、コミュニケーション上の障害のある人を含む社会集団のメンバーが、どのように相互行為に参加しているのかを見ることにある。本稿では、協調性・同調性という障害者の参加を困難にする性質を持つとされるオーケストラの練習場面に焦点を当てて相互行為分析を行った。分析の結果、団員は、障害のある奏者の注目可能な発話に無標化や有標化といった方法で対応をしていた。有標化は、障害のある奏者の会話に周囲の人たちが乗り、自然なままに会話を進行させる装置の一つとして働いていた。したがって、先行研究と異なり、本稿における有標化は必ずしもいじめのような排除のツールというわけではなかった。ただし、メンバーをより十分な参加へ方向づける働きと障害者カテゴリへの帰属を潜在的に方向付けする可能性を両義的に含むものでもあった。これにより、メンバーごとに参加における複数のスタンスが生み出されていることが明らかとなった。
鈴木 菖 障害者青年学級における知的障害者への自律支援の過程
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本稿の目的は、障害者青年学級を取り上げ、支援者らがそこに通う知的障害者たちの自律に向けてどのような支援を行っているのかを明らかにし、その過程に寄与する障害者青年学級の役割を再考することにある。インタビュー調査とフィールド調査を通して、関係的自律(relational autonomy)の概念を手がかりに分析した結果、知的障害者らが社会文化的影響を受けつつも、援助を受けて自分のことを他者に語るようになる過程が明らかとなった。同時に、支援者の関わりによって知的障害者が能動的に自律を目指していく過程も示された。調査結果から、障害者青年学級における知的障害者の意思表示の土台作りという新たな役割が示され、支援者が知的障害者の自律を促すために彼らとの関係性を書き換えている姿が描き出された。
長江 侑紀 「ルーツ」を通した構築主義的なエスニシティ理解と保育実践
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本研究は、多様なエスニック背景の人々の共生を目指す保育園でのフィールド調査に基づき、保育の場で実践者は多様性をどのようにまなざし、実践を行っているかについて検討した。これまでエスニシティの本質主義的カテゴリーとされてきた「ルーツ」に焦点を当てる。事例の保育園では、エスニック構成の変容がありながらもマイノリティの可視化を目指す中でルーツ概念が構築され、ルーツによって保育者は子どもの複数的かつ重層的なエスニック・アイデンティティを拾い上げようとしていた。ルーツを実践に応用することで、子ども同士の異文化理解や子どものホーム感を創造するような保育者の取り組みが引き出されていた。ルーツにルートが含意されることで、エスニック背景や移住経緯などを実践で重要な情報として保育者が理解する機会が生まれていた。これらの考察を通じて、「ルーツ」という概念を保育・教育実践に組み込むことの意義と可能性について論じた。
岡田 航 都市農地保全をめぐる地元農業者の論理
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近年都市農地をめぐっては、そこを持続可能なものとしていくため、地元農業者に加え、市民や専門家による協働をもとにした維持管理が注目を集めている。しかしその際重視される新しい担い手と、歴史的に農地を利用してきた農業者との間にすれ違いが起こり、うまくいかないことも少なくない。本稿は協働が「失敗」したと一般的にみなされている事例から、農業者にとって農地がどのような空間として認知されているのか、その一端を示した。多摩ニュータウンでは開発の途上、農業者と専門家グループとの間で農業公園構想が提起され、社会的に広く注目された。しかしこの構想は農業者の協働からの離脱によって頓挫する。その背景を把握するため農業者たちの生活史を分析した結果、彼/彼女らにとって「空間の履歴」が刻まれた農地の持続こそが重要なのであり、協働への参画もそこからの離脱も、そのための試行錯誤としての主体的実践だったことが明らかになった。
永田 大輔・松永 伸太朗 女性アニメーターとして歩むキャリアとライフコース
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クリエイティブ産業ではフリーランス的な働き方が多く上位の工程ほど、女性の比率が低くなる傾向がある。日本のアニメーターでも同様にフリーランスが中心だが、新卒からアニメーターになるものが多く、雇用中心的な規範から自由なわけではない。本稿では、女性アニメーターのライフコースに着目し、彼女たちが生活移行をめぐってどのような問題に直面しているのかをアニメーターという仕事の特性に根差した形で明らかにする。アニメ産業では、実力主義的な規範が機能しており、それが将来展望を与えるとは限らないにもかかわらず、準拠すべきものとしてアニメーターに経験されていた。保育所などの雇用労働者を中心に整備された制度を利用する際に、こうした職業規範と雇用をめぐる規範の板挟みとなる状況が生じていたが、女性アニメーターは生活移行を経験しても実力主義と一定の距離を保った形で就業継続を可能としていた。
宮地 俊介・中野 航綺 ラジオ体操の地域社会学
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本稿の目的は、集団としてのルールが緩く、メンバーシップが無くとも定期的に参加できる「緩やか」な集まりが、どのように維持されているのかを明らかにすることである。本稿では根津神社境内におけるラジオ体操を事例として、活動をその現場の空間的な性質と不可分のものとして捉える立場から、エスノグラフィを行った。その結果、(1)人々が参加理由の違いに基づいて自然と棲み分けを行ったり、体操の相互チェックを会話の資源として用いたりすることで、活動現場が運動だけでなく交流を行える場所として維持されていることがわかった。また、(2)神社境内という空間が、集まって活動できたり、ルーティン的な参拝や散歩の途中で人々と簡単なコミュニケーションをとれたりする場所として意味づけられていることもわかった。地域の「緩やか」な繋がりの持続を、活動や空間の性質から考察した本稿の知見は、「居場所」づくりの実践にも示唆を与えるものだろう。
ロゴスとミュートス(4) 山本泰氏インタビュー:社会学との葛藤、社会学への帰還
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今号では、社会学に魅了されながらも、現象学への関心を深め、のちにサモアでのフィールドワークにもとづく人類学的成果を生み出した山本泰氏へのインタビューを掲載する。 山本氏の研究業績は、これらに加えて、サンフランシスコの下層研究、日本各地の地域社会調査と多岐にわたる。同時に、アメリカ滞在の経験を機に、社会学の「理論」を教える授業の実践、普及に精力的に進めてきたことで知られる。このような多彩な氏の経歴の背景には、社会学への恋、失恋、葛藤、そして帰還という人生物語がある。 この物語を通じて私たち読者が知ることができるのは、社会学の奥の深さの体得には常に新しい分野への挑戦が必要だということである。「社会は社会学よりもずっと深い」と言う。不断の挑戦の出発点に、「文化革命」としての本誌『ソシオロゴス』の創刊があった。本号のインタビューでは、学問活動と行政活動の双方を通じて独自の社会学のスタイルを切り開いていく歴史の一端に迫っていく。

ソシオロゴス 45号 (2021年11月発行)

太田 美奈子 無線/有線からみる地方のテレビ受容
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本稿は、有線によるテレビ受容が盛んだった地域の一例として青森県田子町に着目し、無線/有線というインフラストラクチャーの側面から人々のテレビ受容について考えるものである。日本においてテレビは、家々の屋根にアンテナが取り付けられた風景が一般的であるように、基本的には電波という無線技術によって成り立つメディアである。しかし電波は、山岳や高い建造物に遮られるなど、地理的条件によって届かないことがある。電波の空白地帯は中継局の設置が進んだ後も日本全国に残された。奥羽山脈の北部に位置する青森県田子町も同様の状況であり、町民たちは有線によるテレビ受容を試みた。電気店店主による取り組み、NHK共聴を経て、1994年には県内自治体が運営するケーブルテレビ局としては初めて、田子町ケーブルテレビジョンが開局する。日本中速やかに電波環境を整えるという無線のナショナリティに対し、有線には日本中隈なく電波環境を整えるというナショナリティがあった。
今井 聖 「指導死」概念は何をもたらしたのか
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本稿は、教師の指導をきっかけとする児童生徒の自殺を意味する「指導死」という新たな概念が登場したことで、子どもの自殺に関する人々の社会的経験のあり方がいかに変容したのかを、遺族の語りにもとづいて検討するものである。その上で、子どもの自殺を既存研究とは異なる角度から問い直すことをねらいとする。特に本稿では、「指導死」概念が存在しなかった頃の遺族たちの経験と、「指導死」概念がある事件をきっかけに広く知られるようになる時期に見られた問題と、近年の「指導死」事件をめぐる遺族の経験を検討することで「指導死」という新たな概念のもとで人々の実践がいかに変化したのかを明らかにした。「指導死」概念は遺族たちの「救済」に寄与してきたのであり、それゆえ今後さらにその概念が用いられるとすれば、それは遺族を今まで以上に広く「救済」しようとする人々の選択によって達成されることになる。
福永 玄弥 「毀家・廃婚」から「婚姻平等」へ
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近代国家は婚姻制度をつうじて一対の異性間に道徳的・法的特権を付与し、親密性やケア関係の自由を制限してきた。2013年に台湾伴侶権益推動連盟が提唱した「多様な家族(多元成家)」草案は親密関係を再想像する試みであり、先行する主流派女性運動の「ジェンダー平等」路線と、ラディカルな「性解放」路線の両方を包含した。その包摂性が性的マイノリティ運動の連合を可能にし、さらには女性運動との連帯や民進党との同盟関係を促進した。一方、「多様な家族」を求める運動はプロテスタント保守を中心としたバックラッシュを喚起した。性的マイノリティ運動は、「伝統家族」の根拠を中華民国民法に求めた保守派のプロパガンダや運動と交渉する過程でラディカルな「毀家・廃婚」路線を放棄し、同性愛者も「良き市民」であるとして婚姻制度への包摂を主張した。そして2019年の同性婚法制化をもって「多様な家族」を求めた運動は「成功」に終わった。
毛里 裕一 検閲と娯楽
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検閲に代表されるような、マス・コミュニケーションを対象とした言論統制策は、合法/非合法というコードを外挿することにより日常的な価値判断を組織化しなおす契機となることもあれば、規制を課すことによって新たな内容の考案を賦活し、水路づけることもある。本研究では、まず、草創期から1930年代半ばごろまでの日本におけるラジオ放送に合焦して、番組の制作とそれに対する検閲、さらには新聞での両者の動向の報道という3つの実践が相互をどのように規定し、影響しあっていたかを検討した。その上で、この時期に放送された2つの娯楽番組をとりあげ、「時事的話題に触れる即興的な娯楽番組」という新機軸が、同時代の検閲実践をいかに意識しながら制作され、喧伝されたかを分析した。
野村 駿 集団による音楽活動成立の条件
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本稿では、あるバンドの結成から解散までの軌跡を描き出すことで、集団による音楽活動成立の条件を明らかにする。先行研究では、ミュージシャン同士やミュージシャンと音楽産業との関係が論じられる一方で、バンドという活動形態の集団性については十分に検討されてこなかった。そこで、ある1つのバンドを対象とした調査結果から、個人の志向性を越えて、集団としての活動が成り立つ過程と、それが崩壊する過程を検討した。 明らかになった知見は次の3点である。第1に、バンドマンたちは個々の目標とは別にバンドとしての「共有目標」を決定することで、集団としての活動を可能にさせていた。第2に、「共有目標」の決定にはメンバー間の相互性が基底にあり、個々の目標をすり合わせる実践が見られた。しかし、第3に、相互性に依拠した共同性の確保は、前者の不調によって後者の解体を招き、その結果としてバンドは「解散」していた。
矢吹 康夫 見た目問題のモデルストーリーから距離をとる当事者たち
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疾患や外傷によって「ふつう」とは異なる外見となった人びとが直面する問題の解消は、現在、NPO法人マイフェイス・マイスタイル(MFMS)によって担われている。MFMSは、先行したユニークフェイスが起動したアイデンティティ・ポリティクスの弊害を乗り越えようとしている。本稿では、語り手と聞き手との対話によって意味が生成されていく過程に照準するライフストーリー研究に依拠して、MFMSが配信したユーストリーム番組『ヒロコヴィッチの穴』の内容を分析し、いかにしてMFMSが旧来の当事者像を相対化していったのかを明らかにする。MFMSは、ユニークフェイスの運動を継承し、「かわいそう」と見なすマスターナラティブへの対抗を促しただけでなく、ユニークフェイスが提示した「強い」主体というモデルストーリーへの反省を意識的に行い、その過程を動画配信という形で公開したのである。
平島(関) 朝子 障害という差異が本質化されない運動経験はいかなるものか
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これまで障害学/障害の社会学では、障害を抑圧と捉えることが障害の本質化に繋がるという指摘や、障害者運動における、障害者とされる者と健常者とされる者との間のコンフリクトなどが提示されてきた。そこで本稿では、実践レベルにおいて障害を本質化しないことの可能性を模索する試みとして、Pさんという障害のある人が、たんぽぽ運動という障害者運動に参加する中で、障害という差異/アイデンティティを意識していなかったり、するようになったりする過程を明らかにした。 具体的には、M. Wieviorka(2001=2009)による集合的アイデンティティの生成条件の議論に着想を得、たんぽぽ運動に関わる中でPさんが障害を差異として意識するようになったり、積極的に「障害者」として考えたり発言したりする契機として、契機A:障害という差異への貶価、契機B:運動への関わりにおける障害の積極的な意味づけの可能性の二つを置き、これに基づいてPさんの経験を再構成した。
杉山 怜美 ファンのライフコースからみるメディアミックス作品の経験
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本稿では現代日本に特徴的なメディアミックス現象に関する研究が産業視点での分析に偏っていたことと、それをファン個人の多様な経験から分析する重要性を指摘した。その際、メディアミックスの時間的展開に着目して、ファンのメディアミックス作品の経験を、作品を受容する経験、ファンの個別のライフコース、メディア経験を可能にするインフラとしてのメディア状況が組み合わさったものとして捉えて分析することを提案した。分析対象としてメディアミックスが30年ほど継続している『スレイヤーズ』作品のファンを取り上げて、インタビュー調査に基づき分析した。その結果、メディアミックス作品は、ファン自身のライフコース、その経験を支えるインフラとしてのメディア状況、ほかのファンの存在、家族の協力状況に影響されて、作品の展開タイミングより遅れて、なおかつ長期的に、各自の生活に根ざしたかたちで経験されていることを明らかにした。
大尾 侑子・陳 怡禎 〈貢献〉するファンダム
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2000年代後半以降、ICT技術の著しい進展はトランスナショナル/カルチュラルなファンの実践やネットワーク化を促し、国家の枠組みによる障壁を取り払ったかにみえる。しかし、デジタル空間におけるファン実践においてすら、現実的にはいまだ言語や時差、文化商品の流通などを巡ってさまざまな壁が存在しつづけている。従来のファン研究は、こうした「本国/非本国」という立場性が文化実践にもたらす影響について十分に論じてきたとはいいがたい。そこで本稿は2018年から本格的にネット解禁を進めたジャニーズアイドルの日本/台湾ファンに注目し、デジタル空間における応援の実践を比較分析した。その結果、両者には社会・文化的背景に基づく多くのファン活動上の差異が確認された一方で、アイドルに対する「応援以上のもの」としての〈貢献〉意識が共通点として確認された。さらにファンは〈貢献〉という目的達成をめぐり、自らのファン活動を通じて自己効力感を抱いている可能性についても示唆された。
ロゴスとミュートス(3) : 長谷川公一氏インタビュー
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今号では、社会変動論の研究から出発し、環境社会学、社会運動研究を切り拓いた研究者の一人である、長谷川公一氏へのインタビューを掲載する。 多くの社会学者は、現代社会のコンフリクトについて何らかの関心を抱き、研究としてアプローチし、コンフリクトを引き起こしている社会を記述しようとする。一方で、対象との関係であったり、社会学者として何を発言すべきかに頭を悩ませる社会学者も多くいることであろう。長谷川公一氏は、環境問題、公害問題との関わりから、社会学の公共性、そして国際化、制度化について熟慮し、積極的に発言し、実践してきた社会学者である。 今号のインタビューでは、環境社会学、社会運動研究を中心とした社会学の歴史を知ることができるだけでなく、現在の社会学に求められている公共性、国際化、ディシプリンとして制度化していくために必要な手がかりが示されている。

ソシオロゴス 44号 (2020年12月発行)

包 暁蘭 内モンゴル自治区におけるモンゴル伝統医療の現状
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本稿では、中国内モンゴル自治区における伝統医療であるモンゴル医療を取り上げ、中国政府による医療制度化の過程について、歴史的社会的背景を整理し、次に、医療制度に組み込まれたモンゴル医療の現状と医師・患者への影響がいかなるものか、医師10名へのインタビュー調査から検討した。 現状のモンゴル医療が、多民族にも開かれた医療資源となった一方で、新しい医療システムに組み込まれたことは、新たな問題を生じさせた。医師の労働時間は長時間化し、また、経済的な要因等が治療の方針に大きな影響を与えるようになった。大量生産される薬の使用や診察頻度の低下、経済的・地理的・社会的都合によって決められる治療方針は、患者の身体状態が頻繁に綿密に観察されたうえで、オーダーメイドで作られる薬をもとに治療が進められてきた本来的な伝統医療のあり方とは乖離しているものであった。こうした医療の治療効果は未知であり医師と患者の経済的な負担と健康リスクは高まり続けている。
藤原 信行 彼が自ら命を絶ったのは誰のせいか
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近親者の自殺をめぐって遺族たちが責任帰属・非難に直面することは、彼ら彼女らの支援者、および死生学等の研究者たちによって批判されてきた。しかしそうした支援者や研究者たちは、自殺をめぐる責任帰属・非難が有する固有の〈合理性〉とこれを支える公的(public)な知識のありように関心をもたない。本稿では、近親者の自殺の原因をめぐり長年にわたって対立関係にあった遺族らへのインタビューデータの検討をつうじて、以下のことを明らかにした。そうした責任帰属と非難の応酬は、人びと公的に利用可能な成員カテゴリー化装置(MCD:とりわけ〈家族〉)を利用できることで可能となっている。遺族らはMCDをより適切に利用するための資源である、個別具体的なコンテクストにおける経験や知識に富んでいる。ゆえに、より有能に責任帰属・非難を実践可能であり、なおかつ否応なしにそういったことにかかわらざるをえない。
本多 真隆 戦後日本家族と「子育ての連帯」
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近年の家族研究においては、「家族の戦後体制」のゆらぎを背景に、これまで家族内で担われていた機能の外部化、社会化に関する議論が活性化している。しかしこれまでの諸条件のなかで、どのような協同関係の実践がなされていたかは十分に検証されてきたとはいい難い。本稿は、1960~70年代の団地に全国的に設立されていた、親たちの自主運営による保育施設(幼児教室)に着目し、その「民主的」な運営の実践を詳らかにすることで、戦後日本における「子育て」を通じた協同関係の構築の一端を明らかにする。検討の結果、幼児教室の「民主的」な運営とは、母親たちの主体性の獲得と、「子ども」を介した合意形成であることが明らかになった。そしてその活動は、近代家族のなかで私事化されていた子育てを開放した面はあったものの、性別役割分業型のライフスタイルに支えられていたものであることを示した。
松井 健人 「大正教養主義の起源」東京帝国大学教師 ラファエル・フォン・ケーベルと学生たち
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本稿では、大正教養主義に多大な影響を与えたとされるラファエル・フォン・ケーベルに着目し、東京帝国大学での彼の活動と学生との関わりについて論じる。既往研究では、ケーベルがのちに大正教養主義を担う学生たちに大きな影響を与えたことは自明視され、その具体的な様相は検討されなかった。ケーベルから学生への単線・直線的な影響関係が所与のものとされてきたのである。本稿の検討の結果、ケーベルの講義に出席した大半の学生はそもそも彼の発言を理解できず、ケーベルの風貌・外見そのものを、教養を意味するものとして受けとったことが判明した。一方で、ケーベルは語学能力の堪能さや彼自身の性的趣向といった観点から学生を選別し、彼らを自宅に招き閉鎖的サークルを形成した。このような非線形的なケーベルと学生との関係性が実際には展開していたのであった。
中川 和亮 イベントにおける広告主
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イベントは、おもに主催者、出資者、参加者から成立する三者間市場である。本稿が着目するのは、生活者が主催者となる地域活性化イベントにおける主催者と広告主との関係である。主催者はイベントに理念を持っている。参加者はイベントの理念に賛同する。広告主は出資するメリットを期待している。では、主催者のイベント理念と広告主のメリットはいかに一致しうるのか。本稿では、三者間市場における広告主のかかわりかたを検討した。事例として地域活性化を目的としてはじまった音楽イベント高槻ジャズストリートをとりあげた。主催者にもなりうる地域住民ならびに広告主がそれぞれの立場でイベントに参加するが、主催者のイベントへの理念に寄り添っているので不協和音は生じない。その結果として、高槻ジャズストリートの事例は、主催者、広告主、生活者という三者間市場において、社会的に意義のあるイベントとして成り立っていることが示された。
佐川 宏迪 定時制高校はいかにして中退経験者を学校に定着するよう動機づけたのか
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本稿では、定時制教育のエージェントが生徒を学校に定着するよう動機づけるメディアとして生活体験発表記録誌をとらえて語りを分析し、定時制高校は中退経験生徒にいかなる学校経験の枠組みを提示し彼らを動機づけたといえるのかを検討した。本検討では、1970年代初めから90年代半ばまでの記録誌の分析を通じて3つのタイプを抽出した。すなわち、定時制高校での学校経験を①「学歴獲得のチャンスとして意味づける語り」、②「青春を経験するチャンスとして意味づける語り」、③「(全日制高校では得られなかった)オーセンティックな経験を得るチャンスとして意味づける語り」である。これらの語りが、選択可能な学校経験の枠組みを提示し、中退経験生徒に選択の余地が与えられることで彼らの学校定着を動機づけたことが示唆された。特に③の語りは、全日制高校に適応できない生徒など学校化社会からの距離化を図った生徒をも動機づけしえたと考えられる。
武内 保 モーリス・アルヴァックス 集合的記憶論再考
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モーリス・アルヴァックスが提起した記憶論は、これまで主にその構築主義的な側面から理解されてきた。しかし、そうした理解は、近年、見直されつつある。そこで本稿では、構築主義的側面のみでなく、ベルクソン哲学の批判的な継承からなる集団の連続性に着目することで、集合的記憶論を再考する。また、その記憶論と不可分の関係にある個人の在り方を検討することで、アルヴァックス記憶論に潜在する個人の独自性、自由をめぐる問題を見出す。
寺澤 さやか 不妊治療を受ける女性の職場経験
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本稿は、「不妊治療と仕事の両立」という課題に着目し、就労しながら不妊治療をした経験のある女性を対象としたインタビュー調査の分析を行った。分析の結果、以下の2点が明らかになった。第一に、不妊治療について職場で開示をし、上司が理解を示しても、(1)上司が不妊治療のスケジュールに介入する、(2)顧客との関係性においては理解を求めることが難しい、という2点で、両立の課題が残る。第二に、不妊治療を開示すると、人事評価に悪影響があるのではないかという懸念が、開示しない一因になっている。以上を踏まえ、不妊治療期に特有の「産む性である身体」と「労働する身体」の矛盾について検討を行い、以下の2点を指摘した。(1)不妊治療について職場で開示すると、妊娠やその後の産休・育休の取得可能性という意味連関の中で評価がなされる。(2)従来の女性労働研究では、就労継続にとってポジティブに機能した専門性が、不妊治療期にはリスクとなりうる。
渡辺健太郎・齋藤僚介 高等教育における専攻分野と価値意識
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本稿の目的は、高等教育における専攻分野と価値意識の関連について検討することである。先行研究では、教育水準の高低によって価値意識の違いが説明されてきた。そのため、その関連が高等教育における専攻分野によってどのように異なるのかは検討されてこなかった。そこで本稿では、政治的態度に注目し、SSP-W2018データの分析を行った。その結果、先行研究で高学歴層にみられていた格差肯定意識は実学専攻に顕著な傾向であり、反権威主義などの意識はリベラル・アーツ専攻に顕著な傾向であることが明らかになった。この結果から、実学専攻の高学歴層では経済的に保守的な価値意識をもつ可能性が、そして、リベラル・アーツ専攻の高学歴層では文化的にリベラルな価値意識をもつ可能性が示唆された。
ロゴスとミュートス(2) : 江原由美子氏インタビュー
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今号では、現象学的社会学の理論的研究から出発し、ウーマン・リブやフェミニズムに関わり、ジェンダー研究を展開した江原由美子氏へのインタビューを掲載する。 今となっては、ジェンダー・セクシュアリティ研究の重要性は、社会学に限らず一般社会においても広く認識されている。しかし、そのように認識されるようになるまで研究者が歩んできた道のりは、険しいものであった。それは、ジェンダー・セクシュアリティに関わる経験が、一般社会において誤認されていただけではなく、社会学においてもある時期までは研究領域が十分に確立されていなかったからだ、と言えるかもしれない。社会運動とのネットワークを形成しながら、ジェンダー・セクシュアリティ研究を志す社会学者が取り組んだ試みの一つは、人びとの経験に言葉を与えることであった。その先駆者の一人が江原由美子氏である。 今号のインタビューには、過去の問題状況を知りたい読者だけでなく、社会学の実践的な意義とは何なのかと思い悩む読者にとっても、答えのヒントがきっとあるはずだ。

ソシオロゴス 43号 (2019年9月発行)

前田 一歩 明治後期・東京の都市公園における管理と抵抗
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これまで近代日本の都市公園史研究は、賃金労働者や児童など特定の人々が、都市公園の利用者として想定されたことを指摘してきた。既存研究は一方で、利用者の限定とは矛盾しながら、都市公園を誰もが利用できるオープンスペースとして位置づけてきた。本稿は、統治性研究の枠組みをもちいることで、都市公園のこの矛盾した性格の成り立ちについて考察を行う。とくに利用者の心性を管理しようとする都市公園の機能の仕方が分析対象になる。 日比谷公園の西洋音楽演奏会の分析の結果、日比谷公園における演奏会が誰に対しても公開されることを正当化する言説が、利用者を選別しようとする言説と共通の根拠を持ちながら表れることが明らかになる。日比谷公園で行われた西洋音楽の演奏会においては、利用者の心性を管理する都市公園の働きのうち、「公徳心」を涵養する教育上の機能が強調されることで、誰に対しても開かれる都市公園の性格が正当化されたのである。
堀江 和正 都市の資源配分論から生活における資源の編成過程へ
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生活をめぐる問題として、人々が財やサービスの存在を認知し、どのように利用するか判断し、実際に活用するまでの困難が、さまざまな研究で指摘されている。そうした問題群を論じる枠組みを構築するため、本稿ではまず都市社会学における資源論を検討した。結果、社会的な資源配分とミクロな都市生活を接合し、かつ資源への意味づけ過程を捉える枠組みの不在が明らかになった。この課題を克服するため、英国の都市人類学者サンドラ・ウォルマンの論考を検討したところ、「編成的資源」概念の導入による資源概念の拡張と、資源システムの境界の可視化という2つの研究視座が析出された。最終的に、人々が認知的資源を蓄積し、財やサービスを生活の中に取り込むことで成立している生活という過程を、資源配分による一定の拘束と、資源システムの重層を視野にいれながら捉える、という研究枠組みが提示された。
富永 京子 メタゲームとしての雑誌投稿
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デジタルゲーム研究はメタゲームという分析視角から、デジタルゲームの「外」で行われるユーザー間のコミュニケーションを議論してきた。本研究はゲーム研究と投稿・投書研究の蓄積を踏まえた上で、デジタルゲーム雑誌『ファミ通』の投稿コーナーである「ファミ通町内会」と投稿者の語りを分析の対象とし、一見デジタルゲームと無関係な投稿が多数を占めるデジタルゲーム雑誌投稿欄においてどのようなメタゲームが行われているのかを分析するものである。 分析の結果、ゲーム雑誌投稿欄は、メタゲーム論の先行研究による分類に基づけば「ゲームをとりまくゲーム」から「ゲームなしのゲーム」にルールが変化する。その背景には、プレイヤーである投稿者の「競争なき承認」に基づく能動的な投稿コーナーへの参加があると判明した。この知見から、デジタルゲーム雑誌においてルールを変えるほどのプレイヤーの能動性が存在する点と、投稿・投書空間の内輪性や共同性を作り出すにあたり他の投稿者や編集者からの承認が強く働いている点が明らかになった。
尾添 侑太 「コミュニケーション」の形成過程における内容分析
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本稿の目的は、日本において「コミュニケーション」がどのようにわれわれのかかわりをあらわす言葉として流通し、定着したかを明らかにすることである。方法として、1960年代から1980年代の新聞記事を対象に分析した。「コミュニケーション」という言葉が、機械的な情報伝達の意味ではなく、直接的な人と人との間で交わされるやりとりを指すものとして使用されるのは、すでに1960年代に確認できる。そして、「コミュニケーション」は1980年代までに、当時の人びとの生活上にかかわるさまざまな「断絶」の問題を浮かび上がらせる言葉として、またそれらをつなぎあわせる言葉として説明される過程を経ていくことがわかる。こうした作業は、コミュニケーション問題が規範的なコミュニケーションのあり方をめぐるものとして表出している現代において、オルタナティブなむすびつきを考える可能性を有している。
三枝 七都子 富山型デイサービスの〈共に生きる運動〉とは
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本稿は、地域包括ケアシステム強化法のもと新設された共生型サービスのモデルである富山型デイサービスに着目する。これは、年齢や障害の有無にかかわらず、誰もが一緒に身近な地域でデイサービスを受けられる場所として知られている。本稿では、富山型デイサービスの先達者たちが試みてきた、誰もが自分が望む暮らしを生きられる社会を目指す〈共に生きる運動〉の経緯を辿った。彼らは、予め利用者のニーズをもとにつくる共生型サービスとは異なり、偶然の出会いを前提にその都度サービスを組み立てていた。また、そうした活動を通して「場づくり」という手法を見出し、介護者/利用者に限らない多様な人々と関わりを築いていた。さらに、富山ケアネットワークを介して〈共に生きる運動〉の原点に立ち返る作業を行っていた。以上、〈共に生きる運動〉の過程では、今後の地域包括ケアシステムの構築に有益と思われる要素が多く抽出できた。
坂本清彦・岡田ちから バイオメジャーによる農業の「支配」とはいかなる事態か
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バイオメジャーと呼称される大手アグリビジネス企業が農業、とくに種子供給システムを「支配」し、農業者の種子選択の自由を奪っているといった批判的論考が提出されてきた。しかし、そうした論考においては、支配主体の意思やその作動機制の分析が不十分との認識に立ち、本稿は米国の遺伝子組換え(GM)作物の種子供給システムにおける「支配」という事態の実態を明らかにすることを狙う。米国における農業者、バイオメジャーや種子販売業者ら関係主体への聞き取り調査の結果をアクターネットワーク論などにひきつけながら分析し、GM種子供給システムにおいて、多様な主体が、特許制度などに方向付けされた知識、モノ、カネのやりとりを通じて複雑なネットワークを構成していること、それらが収束する「計算の中心」としてのバイオメジャーの相対的に大きい影響力を「支配」としてみることができると結論付ける。
牧野 智和 現代学校建築における主体化のモード
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日本の学校建築は、一般には定型的で無味乾燥なものという印象があるが、概して1980年代以後、学校施設の質的整備が全国的に進み、少なくない学校が開放的で個性的な設えをとるようになっている。定型的な学校空間に対しては、ミシェル・フーコーが論じた「パノプティコン(一望監視施設)」への見立てが行われていたが、近年増加する新しい学校建築に対して、それはどのような「政治技術論上の一つの形象」とみることができるだろうか。本稿では、資料分析にもとづいて戦後学校建築の展開を追跡し、今日の「アクティビティを誘発する学校建築」がどのような主体化を志向する装置としてあるのかを検討する。
松永伸太朗・永田大輔 労働社会学における「労働者文化」と労働調査
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河西宏祐は、自伝的テキストで、日本の労働社会学を私史的に振りかえっている。本稿では様々な労働に関する社会科学の中で河西が労働社会学という語を選択した意味を検討し、その学知としての可能性が本来どこにあったのかを検討する。とくに、彼が労働社会学をどのような学知との連関から立ち上げようとし、それがいかなる調査に根付いていたのかに着目する。 河西の学的探究は日本的経営論の批判から始まったが、彼が労働社会学の学問の伝統から引き継ごうとしたのは、労働者に着目する人間の学であった。そこで彼は、労働組合を対象にし、経済学者が注目する経営内的機能よりも、経営外的機能に着目した。そのうえで、質的方法に基づき、労働者文化を記述することでその課題を達成しようとしたのである。こうした方法と課題は、労働組合組織率が下がり労働問題が多様化されているといわれる現在でも労働社会学が修正しつつ引き継ぐべきものだといえる。
元森 絵里子 角兵衛獅子の復活・資源化から見る子ども観の近現代
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本稿は、角兵衛獅子という新潟市南区月潟に伝わる子どもによる芸能の戦後・現代史を明らかにするものである。江戸期に多数巡業していたこの芸能は、明治大正期に一度消滅する。そして、「児童虐待」とされた過去にもかかわらず、「郷土芸能」の「保存」の流れに棹差し復活し、昭和末以降は「ふるさと」「特色」といった機運のなか村の資源となっていく。これがよくある「伝統芸能」の復活・構築の事例と異なるのは、「子ども」をめぐる規範が交錯することである。保存会は、復活期には、賤業の村と蔑視された記憶からくる村内の反発を子どもへの近代的な規範に沿った配慮のしくみを整えてやりすごし、現代では、保存以上の期待を子どもに配慮する現代的な規範に曖昧に乗りながら断る。これは、よくある規範の階層的・地域的浸透図式や、浸透から揺らぎへ、新旧規範の対立といった図式とは異なる形で、子ども観の歴史を諸規範と現実の交錯から描く試みである。
青木 淳弘 横浜市都市デザイン行政の「革新性」は継承されたのか
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本稿は、横浜市の飛鳥田「革新」市政(1963~78)と中田市政(2002~09)という時代の異なる2つの市政の関係の分析を通して、誰が都市空間の編成の性質を決めているのかという問いに対して社会学的にアプローチするものである。とりわけネオ・ウェーベリアン都市社会学者Pahl Raymondのゲートキーパー概念を再評価しつつ、メゾレベルでの行政官やコンサルタントによる都市政策への意味づけを分析することで、両者の間の連続性と断絶を内在的に検証する。本稿の分析からは、高度経済成長期に隆盛した革新自治体から継承されなかった要素を見直していくことの必要性が示唆される。
ロゴスとミュートス(1) : 橋爪大三郎氏インタビュー
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『ソシオロゴス』は、今号の出版で43年目となった。1977年創刊当時の理念でもある「新しい社会学を希求する媒体」として、開かれた雑誌を目指し、出版し続けてきた。私たち社会学者は、『ソシオロゴス』に発表されてきた先人たちの成果を通じて、多くのことを研究できるようになり、さらにその成果を踏まえて、新しい社会学のあり方を提示してきた。 それでは、先人たちが当時問うてきた問題――すなわち「古いパラダイム」の問題――とは一体、何であったのかと問うてみると、私たちは今となっては十分にその問題状況をさし示すことができないのではないだろうか。 もちろん、『ソシオロゴス』のバックナンバーをたどり、論文を読んで検討するといった学説史的検討を行うというのも、過去の問題状況の痕跡を知るうえでの一つの手ではある。しかし、たとえば、当時の社会学が置かれた状況、なかでも投稿者が置かれた状況といったものは、学説史的検討だけでは十分に見えないかもしれない。そうした文脈を補う手法として、私たちが今回試みたのは、『ソシオロゴス』投稿者へのインタビューである。論文を読んだ際には閉じていたネットワークを開く手段として、さらに論文の読み方を変え、当時の社会学の歩みを知る手段として、社会学者による社会学者へのインタビューという調査手法が存在する。 今号では、言語派社会学を提唱し、私たちの社会学の思考の基礎となる枠組みを示した社会学者の一人である、橋爪大三郎氏へのインタビューを掲載する。

ソシオロゴス 42号 (2018年9月発行)

宮部 峻 「宗教」と「反宗教」の近代
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本稿では、1920年代から30年代における日本の宗教教団に着目し、宗教と社会との相互作用の結果として生じた宗教理解の変容、宗教教団による教義の意味づけについて論じる。教義内在的な研究では、宗教の社会活動の社会的文脈は、教義に還元される傾向がある。しかし、本稿で考えたいのは、「社会」の成立とそれへの教団の応答である。1920年代は、社会運動の発生、マルクス主義の輸入を契機に、国家とは異なる次元の「社会」が意識される時代であった。実際、本稿が分析対象とする真宗大谷派教団が社会課を設置するのは、当時の時代潮流においてである。宗教は「社会」に対して融和事業などの取り組みを図る一方で、反宗教運動や「マルクス主義と宗教」論争に代表されるように、マルクス主義の批判の対象となり、自己規定の見直しを行う。本稿では、マルクス主義への応答を通じて、宗教教団が宗教の機能を「反省的なもの」へと規定していくことを示した。
團 康晃 話すこととのむことの相互作用分析
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本論では、読書会における嗜好品摂取を対象に、特に議論の進行と嗜好品摂取の関係について、エスノメソドロジー・会話分析におけるマルチアクティヴィティの観点から明らかにする。そこでは、会話と嗜好品摂取活動とが互いにその進行を阻害しない幾つかの方法が観察された。一つには他者の順番内で嗜好品摂取を行うこと。もう一つには、自分の順番において嗜好品摂取活動を始めることで、自らの順番の完了を予示する機能である。
久保田 裕斗 小学校における「共に学ぶ」実践とその論理
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本稿の目的は、障害児と健常児が「同じ場で学ぶ」小学校の実践の特徴と、その実践に対する教員たちの理解のあり方を明らかにすることである。「同じ場で学ぶ」教育実践は、本稿が調査対象とした地域においては「共に学ぶ」教育運動として展開してきた。この「共に学ぶ」実践について調査をおこなった結果、次の点が指摘できた。第一に、「共に学ぶ」実践においては、特別支援学級担任をはじめとする教員を「支援担」として活用することで、障害児の教育保障をおこなっていた。第二に、運動に関わってきた教員たちは、教員集団の一般的傾向などに言及し、「共に学ぶ」教育の原則の存在やその規範が失われることへの懸念を示すことで、自らの活動を定式化していた。第三に、若手教員は実践的な水準で「共に学ぶ」教育の原則を継承していたが、この若手教員がおこなっていた自らの実践についての理解の仕方は、「共に学ぶ」教育の原則を素通りする危険性を内包するものでもあった。
牧野 智和 オフィスデザインにおける人間・非人間の配置
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近年注目を集める「クリエイティブなオフィス」は、知的創造性に関連する活動(アクティビティ)を誘発する多種多様な仕掛けがそこかしこに埋め込まれ、そのような環境と知的創造に向かう組織のあり方を重ね合わせようとする異種混交的なデザインの対象となっている。本論文ではいかにしてそのようなオフィスの様態が立ち現れたのか、オフィスデザインの変遷について分析を行った。1950年代から1960年代にかけてのオフィスは能率的配置のなかに人とモノをともに埋め込もうとしていたが、1980年代から1990年代にかけての「ニューオフィス」の台頭期においては知的創造性が重視されるようになり、執務室を離れた支援空間でのリフレッシュがそのポイントとされた。2000年代以降、冒頭で述べたような環境デザインが支配的なスタイルになるが、このようなオフィスにおいて知的創造性が実際に高められたかどうかという点は多くの場合ブラックボックスになっている。
永田 大輔 ビデオをめぐるメディア経験の多層性
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1989年のある事件をきっかけとしてオタクは社会問題化する。事件報道で加害者の自室が取り上げられ、部屋のビデオコレクションがオタクと結び付けられた。その結び付けをめぐる二つの語られ方が存在した。マスメディアが事件の加害者を「オタクの代表」とする一方で、批評家が加害者を「真のオタク」でないとも語ったのだ。それらの語られ方が可能になった文脈を当時のビデオの普及状況との関連で検討する。加害者がオタクの代表とされる際に、加害者を「通して」オタクと一般層を切り離した。対して加害者が真のオタクでないという根拠に持ち出されたのは、「コレクションの未整理」である。ビデオテープが高価だった時期は整理が節約の便宜に基づくものだったが、次第に意味を失い、批評的言論の中で「長くオタクを続けてきて」きたことと読み替えられ、加害者がオタクでない根拠とされたのだ。こうした操作はオタク「から」加害者を切断操作するものだった。

ソシオロゴス 41号 (2017年10月発行)

園田 薫 日本で働く専門的外国人における企業選択と国家選択の交錯
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本稿は不断に変化する専門的外国人のキャリア選択の局面を通して、彼らが日本企業での就労をどのように捉えているのかを明らかにする。そこで企業選択と国家選択という2つの概念を設定することで、彼らの動的なキャリアの想定を捉えることを試みる。日本の大企業で働く専門的外国人へのインタビュー調査の結果、多くの対象者はどこで暮らすのかという国家選択が、家族設計という要素を媒介することで、現在の企業で働き続けるかという企業選択の論理に強く影響していた。これは入社以降に家族設計に伴うキャリア上の国家選択に迫られ、想定していた職業キャリアと交錯するなかで、国家選択を重視してキャリアを選択する傾向から導かれる結論である。この結論から、企業選択と国家選択を明示的に区分する妥当性と、企業選択のみならず国家選択に影響を与えるという点において、家族設計の想定が専門的外国人の定着を決める重要な要素となることが示唆される。
芝野 淳一 第二世代の帰還移住過程における構造的制約
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近年、日本人の海外移住が多様化するなかで、自発的に移住先に長期滞在・永住する人々が増加している。それに伴い第二世代の「日本への帰還」のあり方も多様化している。本稿は、グアムの日本人青年を事例に、長期滞在・永住家庭の第二世代が帰還移住過程において経験する構造的制約について検討するものである。結果、かれらはその就労において、自らのルーツの確認や帰属意識の獲得などを目的に、自発的かつ個人的に日本への帰還を試みていた。しかし、移住過程において、日本側の「受け入れの文脈」―労働市場、エスニック・コミュニティ、移民に関する政策―から排除されると同時に、グアム側のそれに包摂される(引っ張られる)ことで、日本への帰還が困難になっていたことが明らかになった。本知見が示唆するのは、日本への帰還に際して困難を抱える「グローバル・ノンエリート」としての第二世代の存在を議論の俎上に載せること、そしてかれらの移住経験を複数の場所における構造的・制度的文脈との関係において解釈することの重要性である。
牧野 智和 「自己」のハイブリッドな構成について考える
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自己のあり方、その行為者性のあり方に「モノ」はいかに関係するのか。本稿ではアクターネットワーク理論(ANT)と統治性研究を手がかりにして、自己とモノ、人間と非人間の関係性を考察する視点の錬磨を試みるものである。人間と非人間の関係は科学技術社会論を中心に検討が重ねられてきたが、その一つの到達点にブルーノ・ラトゥールらが提案したANTがある。この立場は技術・社会・人間を切り分けることなく、異種混交的なネットワークとして記述・理解しようとする新しい魅力的な切り口を提示している。しかし、個別事例を越えたネットワーク化の戦略や、今日増殖しつつあるハイブリッドのデザインという事態までをANTの立場は捉えることはできない。このようなANTの限界を超えるために、ジョン・ローのミシェル・フーコーへの言及、さらに統治性研究を発展的に折衷することで、デザインされる異種混交性の考察が可能になるのではないかと考えられた。
田中 宏治 例外事象によるチーム医療の行動的構造の変容
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本稿は、日本における「チーム医療」に関して、社会学が提言したチーム成員が有する「志向性類型」を批判的に援用しつつ、志向性類型が目指したチーム医療に対する「包括的な把握」の限界を見極め、それを乗り越えるための新たな行動的構造を探求する目的で、ネットワーク分析法を用いて対象である2病院のチーム医療を解析した。その結果、志向性類型では全く表現することが不可能であった例外事象の発生時におけるチーム医療にて「行動的構造の変容」の2パターンを確認することができた。この2パターンの変容は患者に対する中心性と集中化によって「極集中型」と「拡散型」に特徴付けることができた。「行動的構造の変容」という結果は、従来の社会学がチーム医療へ示してきたいかなる指標とも異なり、人的コストの集中や分散、成員間の交渉や調整コストなど、チーム医療という構造への新たな知見を可視化できるものである。
中川 和亮 イベント研究の方法論的検討
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本稿では、イベントに参加したひとびとの経験と日常生活の連続性に焦点をあて、イベント研究の方法論を検討することを目的とする。これまでのイベントを方法論的に検討した研究ではイベントという非日常経験がいかにひとびとの日常生活と連続しているかという点に着目しておらず、また「受け手」がイベントに参加した際の経験の質を検討したものはない。そのなかで本稿では、M.チクセントミハイのフロー理論を補助線として、イベントという非日常経験が、ひとびとにとっていかなる意義があるのか、ということを検討する。ひとびとは各自で自己認識を発展させていく必要を求められる一方で、ひとびとの要求に応じてイベントの「創り手」は擬似的に「かりそめの現実」を提供する。本稿は、「かりそめの現実」による「自己認識の発展」に問題意識を持ちつつ、イベントで「受け手」が醸成しうる別の「自己認識の発展」の可能性を検討する。
池上 賢 「メディア経験を語ること」とアイデンティティ
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本稿では、現代社会におけるメディアとアイデンティティの関係について、メディア経験を語るという行為をエスノメソドロジーの視点から分析することで明らかにする。筆者は先行研究の問題点として、分析対象となる関係性が事前に同定されていること、データの分析において本人によるアイデンティティの理解が看過されていること、以上の2点を指摘した。その上で、分析の手法としてエスノメソドロジーの視座によりメディア経験を語るという行為を分析することを提案し、インタビュー場面におけるマンガ経験について語るという行為を分析した。その結果、語り手のアイデンティティは場面状況に適合的に語るため、相互行為の中で提示されていること、特定のメディア経験を持たない人でも、当該のメディアとの関係の記述により、アイデンティティを提示しようとすることが明らかになった。
正井 佐知 障害のある奏者のオーケストラ参加
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障害者の社会参加の場には、介助方法や対人援助方法など何らかの医学的・福祉的専門知識を有する者が参加していることが多い。このような場に関する研究は今までに多く蓄積されてきた。本稿では、医療や福祉の従事者が関与せず、支援を目的としない場に、障害のある人がどのように参加しているのかを明らかにする。医療や福祉の従事者が関与しない場として、20年間障害のある奏者が参加しているオーケストラαの合奏練習に着目した。そして、楽譜トラブルに関する相互行為の形式的分析と知識基盤の分析を行った。この結果、障害のある奏者の参加を確保するために集団的に団員たちが用いている実践的ルーティーンの知識が明らかとなった。