第31輯(2024)
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- 長尾 柾輝「シノペのディオゲネスの前半生 : キュニコス派哲学の成立背景をめぐる考察」
- 小原 優吉「二重の端緒としての感覚的確信 : 『精神現象学』感覚的確信章における「意識」と「われわれ」」
- 野々村 伊純「メルロ゠ポンティにおけるパロール : 現実の創出性と歴史公共性をめぐって」
- 長野 邦彦「謡曲『忠度』における「文」・「武」・「名」について」
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第30輯(2023)
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- 長野 邦彦「全時空を巡る明珠の物語 : 『正法眼蔵』「一顆明珠」巻を巡って」
- 加藤 喜市「アリストテレス倫理学における「勇気」について」
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第29輯(2022)
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- 福嶋 揚「資本主義という宗教 : ベンヤミンの断片を手がかりとして」
- 長野 邦彦「道元における「鏡」についての予備的考察 : 世俗の「鏡」と仏法の「鏡」との差異」
- 川出 龍一「伊藤仁斎における五経の位置づけ : 「唐虞三代之民」を手がかりとして」
- 長尾 柾輝「悲観する快楽主義 : キュレネ派のヘゲシアス訳註」
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第28輯(2021)
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- 麻生 博之「「可能的な間柄」への超出 : 和辻倫理学における自由論の一断面」
- 佐々木 雄大「町人根性論 : 和辻倫理学における有用性の問題」
- 宮下 聡子「和辻倫理学の宗教性」
- 加藤 喜市「〈自適の生〉から「娯楽」まで : アリストテレスにおける「余暇」概念の倫理学的・美学的解釈に向けて」
- 大胡 高輝「三願転入をめぐる予備的考察 : 仏語への視線」
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第27輯(2020)
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- 栁田 詩織「カントにおけるたましいの不死性の問題」
- 菅原 令子「河竹黙阿弥「勧善懲悪覗機関」における善悪」
- 高山 宏司「当為は可能を含意する、のか?」
- 池松 辰男「ヘーゲルの「良心」概念における「内面」の意味とその射程」
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第26輯(2019)
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- 池松 辰男「ヘーゲルにおける「幸福」の取り扱い : 「実践的精神」から「客観的精神」への移行をめぐって」
- 矢島 壮平「功利の原理とヒュームの法則」
- 西塚 俊太「『曾我物語』における敵討ちの動因 : 「実の父」の欠如と希求という観点から」
- 長野 邦彦「道元における道得について」
- 大澤 真生「「他者を理解すること」の歴史性 : レーヴィットの共同相互存在論」
- 大胡 高輝「「名づく」と「光」 : 『教行信証』真仏土巻の文体をめぐって」
- 頼住 光子「和辻哲郎の思想形成と宗教 : 初期の作品を手がかりとして」
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第25輯(2018)
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- 池松 辰男「回帰する自然/自然の残滓 : ヘーゲル「客観的精神の哲学」における自然の地位・試論」
- 頼住 光子「道元における「さとり」の世界とその表現 : 『正法眼蔵』「梅華」巻註解の試み」
- 田島 卓「哀歌の哲学的理解に向けて」
- 加藤 喜市「アリストテレス倫理学の方法論 : 「エンドクサの手法」と「弁証的問答法」」
- 中原 真祐子「ベルクソンにおける「夢」 : 『物質と記憶』を中心に」
- 高山 宏司「助けを待つ十人の鉱夫達 modus ponens除去の意味とは何か?」
- 真田 乃輔「エルンスト・カッシーラーとオスカー・ベッカー : 記号的数学の基礎づけの様式における両者の対立とその体系的-哲学的意味」
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第24輯(2017)
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- 頼住 光子「日本における仏教と儒教との関係についての一考察」
- 岡田 大助「親鸞『教行信証』における六字釈私釈について」
- 佐々木 雄大「モラル・エコノミーは道徳的な経済か」
- 西塚 俊太「『三河物語』における譜代意識の根底 : 「慈悲」と「情」と「武辺」との関係から」
- 田島 卓「ヘブライ的時間理解と他者」
- 橋爪 大輝「政治の闘争性 : アーレントにおける戦争とアゴーン」
- 高井 寛「ハイデガーの行為論 : 周囲世界分析に基づいて」
- 大胡 高輝「『教行信証』における信楽と諸仏 : 信楽釈における諸仏等同の問題」
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第23輯(2016)
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- YORIZUMI Mitsuko, Some Aspects of Watsuji Tetsuro’s Ethics of Aidagara (Betweenness) : On the Formation of His Ethics from the Viewpoint of His Ideas on Form and the Flow of Life」
- 岡田 大助「親鸞の思想における阿闍世の煩悩、苦悩とそこからの救済(2)」
- 高井 寛「行為を選択すること : ハイデガーの「負い目あり」概念について」
- 中原 真祐子「現在と過去はどう結びつくのか : ベルクソン『物質と記憶』における「性格」概念について」
- 田島 卓「エレミヤ書における災いの条件法」
- 高山 宏司「規範的衝突解決の手段としての矛盾許容型義務論理」
- 関根 清三「旧新約聖書の一断面(続)「命」という視座から : 東京大学大学院エグゼクティヴ・プログラム講義」
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第22輯(2015)
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- SHIMADA Yuki, The Scope for Understanding of Community in Cornel West’s Thought
- 岡田 大助「親鸞の思想における阿闍世の煩悩、苦悩とそこからの救済(1)」
- 長野 邦彦「『古事記』スサノヲ神話におけるクシナダヒメの位置」
- 池松 辰男「人間精神の自立 : ヘーゲルにおける主観的精神論の形成と意義」
- 宮村 悠介「M・シェーラーと「哲学的回心」の現象学 : 再生の倫理学のために」
- 三重野 清顕「否定の諸相 : 後期シェリングのアリストテレス解釈」
- 福嶋 揚「福音とは何か : ユンゲルの探求」
- 高山 宏司「「道徳的運」は存在しうるか : stit論理学的な分析」
- 賴住 光子「「共生」をめぐる一考察 : 仏教・儒教・神道の観点から」
- 関根 清三「旧新約聖書の一断面 : 「命」という視座から : 東京大学大学院エグゼクティヴ・プログラム講義」
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第21輯(2014)
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- BANDO Yosuke, Between Hermits and Patriots : The Transfiguration in the Nature of Kokugaku Movement Thinkers
- 岡田 大助「親鸞の思想における韋提希の煩悩と善のつまずきについて」
- 菅原 令子「「曾根崎心中」における「手本」 徳兵衛の人物像から」
- 西塚 俊太「三木清の主体概念の研究のために」
- 池松 辰男「精神と機械 : ヘーゲルにおける精神の〈第二の自然〉」
- 加藤 喜市「快苦と性向 : アリストテレス倫理学における苦痛の意義」
- 山蔦 真之「通常の人間理性と倫理学 : カント「理性の事実」再考」
- 福嶋 揚「希望という倫理 : ユルゲン・モルトマンの根本思想」
- 賴住 光子「武士の思想に関する一考察 : 仏教との関係を手がかりとして」
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第20輯(2013)
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- MIYASHITA Satoko, On the Individual in Watsuji Tetsuro’s Ethics
- 佐野 太郎「明治日本における超越概念の一側面 : 清沢満之の国民道徳批判を中心に」
- 池松 辰男「精神の闇夜 : ヘーゲルにおける〈想起なき内化〉と〈内的なもの〉の意味」
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第19輯(2012)
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- ISHIDA Yasushi, An Essay on Objectively True Morality : Brink’s “Amoralist” Argument
- 高山 宏司「義務論理学はいかにして集団内での個別的責任を扱い得るのか」
- 伊藤 剛「形態なき形態 : アドルノの「星座=布置」概念を中心に」
- 石瀬 博「創世記における人間の生と死の一断面 : ルターの『創世記講解』を中心に」
- 宮下 聡子「フロムの「生産的構え」の倫理性をめぐって」
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第18輯(2011)
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- 坂東 洋介「技術の思想としての徂徠学」
- 木澤 景「『往生要集』の衆生観 : 「色相観」と「随喜」」
- 石田 安美「脳神経科学が語らないこと : 脳神経倫理学の議論に見られる一つの小さな誤解について」
- 高山 宏司「枝分かれ時間構造における戦略理論と義務論的道徳理論の調和 : ベルナップによるトマソンの義務論的キネマティックス理論の展開」
- 福嶋 揚「倫理の源泉としての義認 : キリスト教的正義論の倫理学への寄与」
- 佐々木 慎吾「時間と他者信頼 : ニクラス・ルーマンにおける「リスク」の時間性をめぐって」
- 伊藤 剛「模倣的欲望と暴力 : ルネ・ジラールの思考を手掛かりに」
- 宮下 聡子「キューブラー=ロスの死生観 : 倫理の観点から」
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第17輯(2010)
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- FURUTA Tetsuya, The Bastille of subjectivity: on the monism of Shozo Omori
- 高山 宏司「個のエージェント性は他のエージェントの下でいかに確保され得るのか」
- 石田 安実「自律性の認知論的モデル : ジェラルド・ドゥオーキンの自律性に関する議論」
- 伊藤 剛「ミメーシス概念の倫理学的射程 : 所謂「フランクフルト学派」を中心として」
- 三重野 清顕「ヘーゲルにおける時間と想起 : 『精神の現象学』序論を導きの糸として」
- 山蔦 真之「自由による、生まれながらの道徳悪? : カント根源悪論文における悪の概念」
- 矢島 壮平「アダム・スミスと道徳の普遍性/相対性 : ハーマンのスミス解釈を手掛かりにして」
- 竹内 整一「無常の倫理 : 「おのずから」と「みずから」のあわい」
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第16輯(2009)
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- 西塚 俊太「自発自展する思想と文体 : 西田幾多郎の自覚の体系と「真の無」「絶対の無」をめぐる考察」
- 伊藤 由希子「<普遍>と<特殊>を繋ぐもの : 『日本霊異記』一試論」
- 高山 宏司「ジョン・ホーティの義務論理学と功利主義の問題 : いかにして義務論的倫理学は功利主義と出会うのか」
- 福嶋 揚「生命への畏敬と死生観 : 哲学的倫理と神学的倫理の交差」
- 奥波 一秀「「あるがまま」「みたまま」に描くとはどういうことか? : リッカートとハイデガーの対決」
- 宮村 悠介「主題としての実践理性 : 「批判的解明」の倫理学」
- 矢島 壮平「アダム・スミスと動機付けの内在主義/外在主義」
- 宮下 聡子「フランクルにおける「意味」の地平」
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第15輯(2008)
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- 古田 徹也「カール・クラウスにおける<言葉の形態>と倫理」
- 太田 貴之「曽我兄弟は何故仇討ちをするのか」
- 石田 安美「ひかえめな「心的説明」主義に向けて」
- 朴 倍暎「「誠」について」
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第13輯(2005)
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- 伊藤 剛「アドルノにおける社会と個人の弁証法 : 批判的・反省的思考の極限へ」
- 佐々木 慎吾「リスク社会論の倫理学的射程 : 今日的諸事例への応用の試み」
- 塩飽 直子「「見る」という伝法 : 『正法眼蔵空華』巻より」
- 朴 倍暎「伊藤仁斎における「政」」
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第12輯(2004)
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- 三重野 清顕「ヘーゲルの時間論 : 過去をめぐる考察」
- 佐々木 雄大「バタイユによる純粋な贈与論」
- 伊藤 剛「アドルノにおける「客観の優位」 : 現実認識と他者の問題」
- 佐々木 慎吾「社会システム理論における理解の概念」
- 宮下 聡子「ソクラテスにおける神の問題についての一考察 : プラトン『ソクラテスの弁明』に依拠して」
- 高橋 幸平「二つの観想と実践 : アリストテレス倫理思想の構造についての試論」
- 根田 隆平「問うこと、待つこと、表現すること : 経験の一貫性と言葉」
- 菅野 覚明「『鬼神論』の前提」
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第11輯(2002)
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- 吉原 裕一「近世武士道における生命観 : 『葉隠』の生と死」
- 荒谷 大輔「受動と能動の境界における身体の<構成>」
- 朽木 裕二「『ヨブ記』における<他者>」
- 勢力 尚雅「生命操作時代の倫理 : ヒトゲノム・ヒト胚・ヒトクローン・脳
- 死者たちとの語らい方」
- 奥波 一秀「『存在と時間』における《懐疑家の自殺》について : ハイデガーによるフッサール批判の一断面」
- 三宅 正純「メルロ=ポンティの言語論 : 絵画論・知覚世界論との対照において」
- 高山 宏司「マイケル・ウォルザーと彼の正戦論の射程 : 「道徳的に正しい戦争」はあり得るのか」
- 佐藤 康邦「美術論における小林秀雄」
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第10輯(2000)
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- 木村 純二「武士における人間性の自覚」
李 梨花「「国家」と「人倫」」
根田 隆平「身体・人格・生命 : 生命倫理における主要概念をめぐって(1)」
下城 一「生命と環境 : 「生命倫理学」の可能性と「自-他」認識、「自己決定」の実際・「水俣病」」
奥波 一秀「生命にまつわる問いの批判 : 「人種」概念の問題に即して」
李 萍「現代日本企業における倫理意識 : 新入社員の秩序化」
藤村 安芸子「行としての盂蘭盆会 : 『三宝絵』の統一的理解を通じて」
- 木村 純二「武士における人間性の自覚」
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第9輯(1998)
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- 藤村 安芸子「阿弥陀仏を食べた人々 : 『今昔物語集』巻四第三十七話考」
奥波 一秀「社会哲学と言語問題 : 「批判理論の批判」とJ・G・ハーマン」
佐藤 康邦「和辻倫理学と現象学 : 空間・時間概念を手掛かりとして」
羽入 辰郎「マックス・ヴェーバーの呪縛 : 『倫理』論文におけるヴェーバーの魔術からの解放」
- 藤村 安芸子「阿弥陀仏を食べた人々 : 『今昔物語集』巻四第三十七話考」
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第8輯(1993)
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- 菅野 統子「声・字・実相 : 空海修行論の基底に関する一試論」
- 川北 晃司「人間機械論再考 : 倫理の問題によせて」
- 遠山 敦「伊藤仁斎における「教」」
- 高橋 雅人「「寡頭制的人間」についての一考察」
- 下城 一「因果論の呪縛 : ヘ-ゲル「力と悟性」に於ける近代力学的世界観批判」
- ISHIDA Yasushi, The Role of Circumstance in Wittgensteins′s Criterion : For a Constructivist Account of Assertibility Conditions」
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第7輯(1991)
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- 吉村 均「「養老」の世界 : 天皇・民・神仏」
- 横田 理博「ウェ-バ-の「同胞愛倫理」転態論」
- 高橋 雅人「言葉と幸福 : ソクラテスの問答の一断面」
- 石村 多門「幾何学の起源 : 実無限と形式主義の限界」
- 菅野 覚明「近世日本における「真理言説」の問題」
- 羽入 辰郎「マックス・ヴェ-バ-「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に於ける<calling>概念について」
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第6輯(1990)
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- 関根 清三「ニヒリストとしてのコーヘレス (下)」
- 湯浅 弘「『啓蒙の弁証法』への一視角 : そのカント、ニーチェへの関係を手がかりとして」
- 高山 宏司「法論の形而上学の様相論理学的解明への序説 : 一つの試論」
- 石田 安実「行為がになうもの : 「行為の説明」についての考察」
- 頼住 光子「道元の世界認識に関する一考察 : 『正法眼蔵』「山水経」巻等を手がかりとして」
- 石村 多門「コナトスと形而上学的点 : ライプニッツからヴィーコへ」
- 川北 晃司「若きカルナップの反形而上学」
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第5輯(1989)
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- 関根 清三「ニヒリストとしてのコーヘレス (上)」
- 南條 文雄「『精神現象学』における»ENTÄUSSERUNG«概念の位相」
- 藤谷 秀「理論―実践問題とハイデガー」
- 三宅 正純「メルロ゠ポンティにおける「コギト」と「客観的身体」」
- 宮嶋 麿「親鸞における「方便」の構造 : 『化身土巻』の意義を中心に」
- 吉村 均「修羅とその名 : 世阿弥『三道』における「軍体」例曲の主題」
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第4輯(1987)
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- 濱井 修「倫理的価値の「客観性」 : 批判的二元論と世界3理論」
- 杉本 裕司「ディルタイにおける生と思惟」
- 湯浅 弘「M・フーコーと系譜学」
- 高山 宏司「カント論理学の問題」
- 森岡 正博「人称的世界の数学 : 他者問題の構造変革」
- 遠山 敦「和辻哲郎の儒教把握について : 『日本倫理思想史』を手懸りとして」
- 天艸 一典「和辻『倫理学』の「理念」と「規範」 : その「二人共同体」論における」
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第3輯(1986)
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- 菅野 覚明「日本古代儒教における学的自覚の形態」
- 高山 宏司「批判哲学における身体と所有」
- 湯浅 弘「真理の自己止揚と解釈への定立 : ニヒリズムの自己克服の最終段
- 階としてのニーチェの真理批判について」
- 熊野 純彦「社会哲学における言語モデルの問題 : 予備的考察」
- 中野 敏男「『討議倫理学と会話的相互行為』」
- 森岡 正博「環境倫理学から生命圏倫理学へ」
- 村上 隆「『小栗判官』試論」
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第2輯(1985)
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- 佐藤 正英・久米 晶史(校訂)「山本伝左衛門常亮所蔵御書物其外書附類 (二) : 『葉隠』周辺文献」
- 南城 文雄「イエナ期における「宗教」の問題 : ヘーゲルの体系構想と歴史意識の変遷及びシェリングとの関係についての一考察」
- 細谷 実「社会の統一性の水準と社会批判 : ヘーゲルの行為論の問題」
- 上利 博規「ハイデガーと忘却の問題 : 語られざることへの解放」
- 藤谷 秀「知識社会学と知識批判 : シェーラー・マンハイムに即して」
- 田中 久文「小林・九鬼・三木における「想像力」の諸相 : 日本における一九三〇年代の思想的課題」
- 山田 春光「和辻倫理学の一問題 : 「清明心の道徳」をめぐって」
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第1輯(1984)
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- 佐藤 正英・久米 晶史(校訂)「山本伝左衛門常亮所蔵御書物其外書附類 (一) : 『葉隠』周辺文献」
- 星野 勉「自然から精神へ : ヘーゲルの「自己意識」論」
- 黒住 真「広瀬淡窓の倫理思想」
- 森下 直貴「カント的「自然」の存立根拠 : 機械論と目的論」
- 山田 忠彰「否定の生起 : 〈否定の動力学〉の結構」
- 池田 成一「ハーバーマスと倫理学」
- 八木 公正「『善の研究』における「神」の位置 : 「理」を手がかりとして」