Chinese Philosophy 

中国思想文化学研究室

研究室の沿革

 中国思想文化学研究室の起源は、1877(明治10)年、東京大学創設とともに文学部に置かれた和漢文学科に遡ります。ですので、当研究室は東京大学と同じく130年を越える長い歴史を持ち、その間多くの優れた人材を輩出してきました。1904(明治37)年に「支那哲学」となり、第二次大戦後の1946(昭和21)年以来長く中国哲学研究室という名称を名乗ってきましたが、1994(平成6)年に担当する専修課程の名称を中国哲学から中国思想文化学に改め、それに伴って研究室の名称も中国思想文化学研究室(略称は「中思文」)に変更しました。
 

 

なぜ名称を変更したのか

 皆さんは「中国哲学」という名称からどんなことを想像するでしょうか。多くの方は、東アジアの人々が長く尊重してきた『論語』や『孟子』、『老子』や『荘子』などの中国古典を、長く蓄積されてきた膨大な解釈史の成果を丹念に踏まえつつ解読する、いささか時代の流れからかけ離れた学問というイメージを持っているのではないでしょうか。もしそうだとしたら、そのイメージは、半ば当たり、半ば外れています。
 
 当たっているというのは、わたくしたちの主たる研究対象が中国古典にあるということです。中国古典は、汲めども尽きない魅力に満ちた人類の重要な知的遺産であり、21世紀に生きるわたしたちが正面から挑戦する価値のあるテキストであると、わたしたちは考えています。
 
 外れているというのは、わたしたちが過去の大家の古典解釈を金科玉条とは決して考えていないということです。中国研究は、おそろしい勢いで変化しつつあります。例えば、中国古典の多くは先秦時代に書かれ、伝承されてきましたが、最近の中国では考古学的発掘研究が大規模に行われ、先秦期の竹簡や木簡が大量に発見されました。これらの新たな出土資料から分かるのは、これまでわたしたちが知り得なかった古代の人々の生活様式であり、実際に存在した歴史事実です。そして、こうして得られた新たな知識や情報を踏まえて中国古典に向かい合うとき、中国古典はそれまでと違った表情をわたしたちに示し始めるのです。
 
 わたしたちは、さまざまな学問分野の最新の学問成果を大胆に吸収しつつ、これまで隠されてきた中国古典の魅力を再発見したいと考えています。そうしたわたしたちの挑戦的姿勢を示すために、わたしたちは長く使われてきた「中国哲学」という名称を敢えて変更し、「中国思想文化学」という名称を使うことにしたのです。
 
 研究室と専修課程の名称変更と関連して起こった最も顕著な変化は、研究室の多様性の増大です。皆さんが「教員紹介」をご覧になると、例えば科学史や王権論、文献学など、およそ「中国哲学」という名称からは想像しがたい、多様な研究分野が並んでいることに気が付かれるはずです。学生の研究はさらに多様で、対象とする時代は上古から現代にわたり、古典研究だけでなく、法思想研究や医学史研究、キリスト教布教史研究など、百花繚乱の趣があります。そして、このような学生が、後輩にとっては頼りになる先輩であり、また各自の研究分野において研究の進展を担う人材へと成長してゆくのです。中国思想文化学研究室は、学問的に意味があると学生が信じる研究テーマであれば、全てのテーマの研究が許容され奨励される、とても開かれた研究室であるといえます。

現在の研究室の様子

 次に、現在の研究室の様子についてお話したいと思います。現在研究室は赤門総合研究棟に位置し、建物が新しいため、非常に明るく快適な環境にあります。また、学習の点でも、前述したように様々な研究分野の先生方(教員紹介)に加え、毎年3~5人の非常勤の先生もお呼びしてあらゆる角度から中国や東アジアに関する問題を扱う講義(授業案内)が開かれるため、知識を増やす上でも贅沢すぎる環境にあると言えます。比較的小規模な研究室であることが幸いしてか、学部生と院生の距離が近く、分からないことは遠慮なく院生に質問できるという良き伝統があります。また、研究室を構成する学生についてですが、駒場からの進学者に加え、学士入学、他大学からの進学者など様々な出身の方がおり、見聞を広める機会にもなります。中国や韓国からの留学生も多く、中国語や韓国語が飛び交っていることもよくあり、外国語の訓練にも適した環境にあります。学生が主体となって発行している機関誌もあり、創刊から20年以上続いていることも自慢の一つです(学生活動)。