近ごろの図書・CD・展覧会

近藤和彦
 
  2003. 5. 17 保守     All rights reserved (c) K.Kondo 2003.

書誌を紹介するだけの場合もあります。
いずれの場合も 手にしてみて、
ひろく知っていただきたいと考えた出版物です。
予告:後日、DVDや映画・展覧会もとりあげ、
もう少しページを整理し見やすくします。

岸本美緒木下杢太郎広辞苑Brewer & Hellmuth社会経済史学日英交流史
Oxford CompanionO'Brien佐藤彰一/NZD/政治学事典歴史学研究会


電子辞書 SR-T6500

(セイコー、2003年春)

東大生協で35,800円でした。

 

SR9200 ↓のメリットを本質的には継承。キーボードの広さおよび入力同時ヴュー機能、ジャンプと呼ばれている一定の辞書間リンク機能も同じ。

比較しての利点は、2つです。

1.形状の改良

ほんのすこし縦が短くなり、厚みも1〜2mm薄くなり、そのぶん蓋をあけたときにも安定します。旧SR9200では、ひっくり返らないように裏に付いている脚を出す必要がありました。

全体で250g → 210g(電池こみ)と軽くなったのに、堅牢感が増したような気がする。

また、蓋をあけるためのポッチが二倍ほど長くなり、それだけ動きが滑らかに。

なお、キーボードから「あかさたな」といった、かな表示が消えたぶん、すっきり。

 

2.コンテンツの取り替え&増加

・替わったのは、Concise Oxford Dictionary & Thesaurus   Cobuild English Dictionary および Collins Compact Thesaurus に。

・増加したのは、リーダーズプラスおよび学研パーソナルカタカナ語辞典

 

結論: 現在、大学生協で旧SR9200は2万数千円で売られていると思います。学振研究員、科研費が使えるといった身分で、英語を日常語として駆使している人は、当然のように新製品を買い足すべきでしょう。そうでない場合、もし旧モデルをお持ちなら、それを(落としたりせずに)大切に使い込むので十分。

ぼくの場合は、旧製品の電源がついに入らなくなってしまったので(2度目の修理に出すよりは、と)新製品を買ったのです。

 


北原 敦 『イタリア現代史研究』

(岩波書店、2002年4月) x + 431 + 5 pp. 8500

    ありきたりの

  自由・民主 ⇔ ファシズム

市民社会 ⇔ 国家

といった次元での議論でなく、現代社会(20世紀)の本質を問うた

クローチェとグラムシを読み、読みなおしつつ、

イタリアとファシズムを考えつづけた北原氏が、

「要するに問題は何なのか」を執拗に語った、

この40年間の議論がまとまって呈示される。


吉澤誠一郎 『天津の近代  清末都市における政治文化と社会統合』
(名古屋大学出版会、2002年2月) vii + 396 + 33 pp.  6500円

いやはや、東大中国史は岸本さんにつづいて、凄い秀才を擁しているんだ。
今年34歳になる吉澤氏は
東大文学部のもっとも若い助教授ですが、
「近世とは異なる近代という時代を世界史のなかで想定すべき理由」p.6
を呈示することができる学者だ。
ただの「西洋中心主義」からの脱却より以上のものをめざす ambition ばかりでなく
 calibre も備えていることを感得させる。
ぼく自身のマンチェスタ社会文化史* はどうなってるの?
と詰問されてるような気分も無いではないが。
身動きのとれない「世界システム」論のイメージへの着実な批判**
公共性や「義挙」にかかわる坂下史、長谷川貴彦の仕事もしっかり参照している。
後生畏るべし、という言を、ぼくはすなおな気持で表明できる。
西洋かアジアか、ということよりも、歴史学の将来を考える人の
必読の書ではないか。
 * 『史学雑誌』 92-9(1983) pp.101-104
** 『歴史と地理』 2002-5


電子辞書 SR9200
(Seiko Instruments、2001年12月) 実売価格 30,000円くらい

PCのHDにいれて使う辞書じゃなく、
いつでもポケットに入れて電車のなかでも気軽につかえる、
専用器。機動性に優れた日常品です。
広辞苑、リーダーズ英和、新和英、漢字源、COD、CO Thesaurus
といった6つの辞書が入って、軽快、抜群にいい。
じつは去年、電子ブック『広辞苑・リーダーズ英和・新和英』(Sony)
買ったのですが、これは反応が遅くて、
重いし、使い勝手がわるく
結局、あまり利用していなかった。

今度の SR9200 は「究極の電子辞書」という触れこみ。
11月末にドイツに行く前に、見本を東大生協でみて気に入り、
予約注文したのです。帰国してすぐに使い始めました。
キーが大きく、たった250g(電池こみ)、本文13行表示、
早打ち対応、広辞苑にもジャンプ機能が付き、
前見出し・次見出しへもすぐ移れる。
履歴機能も案外に便利。
なにより COD*Thesaurusが知性を保証します。
名古屋の集中講義にも持っていって重宝しました。
広辞苑でなく大辞林だったら、もっと良かったのに!

* とはいえ、この COD 10th ed.(1999) なるものは、
ぼくの愛用していた 8th ed.(1990) までの版と違って
語義解釈がシロート向け、というのか、もたもたと知性なき単語帳になってしまってる。
そして単語の前後につくべき前置詞や、ちょっとした用法のヒントや用例などが消えて、
これでは辞書として、あまり意味がないのではないか。
電子辞書の根幹は、やはりデータベースとしてのもとの辞書の出来にかかっている。
その意味で、旧版を載せてくれた方がよほど良かった。
(そのほうが著作権の関係で、安くなったのではないだろうか?)

** もう一つ、電子辞書そしてデータベースということで希望をのべるなら、
小学館の『日本国語大辞典』(第2版)を、はやくデジタル出版してほしいですね。

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小川幸司 『二十世紀の終わりに 教育・歴史論集の試み
(トロル舎、2000年8月) 361pp.

高校のときこんな先生がいたら良かった。
松本深志高校の生徒は幸せだ。
そう思わせる文章の数々。
遅まきながら知った論集です。
西川正雄先生の言が座右の銘、と記されているが、
こういう学生をもった西川さんも、幸せな教師です


馬場・小野塚() 『西洋経済史学
(東京大学出版会、2001年8月) xiv+401 pp.   5000円

同じく師を敬するといっても、こちらは大塚久雄の業績=結果を
「現時点でどのように受けとめるべきか」という悩ましい問題に緊縛されて、
じつに不自由で因襲的な編別構成のままの教科書を公にした。

「西洋経済史(ないし西洋史)研究が‥‥大塚史学と正面から向き合っておらず‥‥」p.1
とは、もっともらしい物言いだが、全巻を通じて、
大塚の主著『近代欧州経済史序説(上)』(1944)の意義を論じることさえなく、また
「戦後直後に出版された『近代化の歴史的基礎』*に最も鮮明に‥‥」p.7
とかいう嘘を平気で記す心臓は、すごい。
* 本当は『近代資本主義の系譜』(1947)と『近代化の人間的基礎』(1948)という別の本です、念のため。

もし本当に大塚のスピリットを継承したいのだったら、
1. (関口、肥前経由でなく)みずから大塚を読むこと。
2. 「先生は偉かった」でなく、1930年代の日本の知的危機、政策論争のなかの
モダニスト=有機的知識人の苦闘として、
大塚、丸山、川島、高橋などの営みから学ぶこと。
柳澤治氏の最近の仕事など、読んでますか?
農村工業、中産的生産者、国民経済、型、歴史的特質、etc. すべて
アクチュアルな意味をもち、大東亜共栄圏に対抗し、主張する概念だったのです。
2001年という時点で、グローバル化、改革、show the flag、etc.
にたいするスタンスを表明できないような 比較経済史学派
なんて、どんなレゾン・デートルがあるんだろう。
「顔を洗って出直してこい」 と言いたくなる。もうすこし上品に言えば、
古くからの言で 「一将成って、万骨枯る」 ですね。

ちなみに大塚久雄と村川堅太郎は同年生まれで、ともに1968年3月に定年退職したのです。
共著者の皆さん、もし、まだだったら、
『史学雑誌』105-11(1996)「歴史の風」
『文明の表象 英国』(山川出版社、1998)
『社会経済史学』66-3(2000)『歴史への視線』書評
『日英交流史』V(東大出版会、2001)「日本の歴史学における近代派の伝統」
を読んでください。


長谷川博隆 『古代ローマの政治と社会
(名古屋大学出版会、2001年9月) vii+653+44 pp.   15,000円

1927年生まれの著者の、長年の研究成果の集成。謙虚に呈示されているが、
「そのときどきに力を尽くしてものした作品」を70歳を越えて論文集にするという姿勢は、
師の村川堅太郎さんゆずり?
(岩波書店の『村川堅太郎古代史論集』の編者は、長谷川さんと伊藤貞夫さんです。)
クリエンテラ、パトロネジが1952年の卒業論文以来のテーマとは
不明にして、この書物で初めて知りました。
レス・プブリカ論も、ポプラレスも、本書で勉強し直さなくては。

つづいて同じ著者の
 『古代ローマの自由と隷属
(名古屋大学出版会、2001年12月) vii+627+49 pp.   15,000円
も刊行されました。
 2001.12.24 追記


松塚俊三 『歴史のなかの教師  近代イギリスの国家と民衆文化』
(山川出版社、2001年7月) 289+15 pp.   3500円
 

瀟洒な装丁のこの専門書、まだ手にしたばかりですが、
簡潔ながら含蓄ある文章に考え込みます。
父親の世代、組合が知識や文化を伝えてくれる学校であった
「遠い昔の話」、あるいは「内なる文革時代」への言及。
「意味ある細部」を求めての Thompson、地域史、民衆史、そして教育史。

じつは松塚氏はぼくの人生のある部分を共有する old friend です。
この old とは昔の、とか年をとった、とかいう意味でなく、
古くからの=今につづく=大切な、という意味です。


インターネット 読む・学ぶ・調べる』〈毎日ムック〉
(毎日新聞社、2001年3月) 144p.  1600円

  自分でも寄稿しているのに、申し訳ありません。
全体がどんなコンセプトでできるのかよく知らずにいたもので‥‥
完成品をみると、有益なディジタル情報の源であるばかりでなく food for thought でもある。
ぼくはさておき、それぞれの分野の錚々たる人々が書いておられますが、
すこし読みすすむと、編集の mastermind として
 アリアドネの二木さん、『本の未来はどうなるか』の歌田明弘さん、
などの編集協力があったことがおのずから分かってくる。
従来の インターネット案内よりは、ちょっと知的な刊行物です。



Peter Burke, Brian Harrison & Paul Slack (eds),
Civil Histories: Essays presented to Sir Keith Thomas
Oxford U.P., 2000   xiv + 399 pp.   30 pounds

  キース・トーマス先生がオクスフォードで教えた学生のうち「もっとも優秀な2人」はP・バークとB・ハリスン、という発言をひき出してから12年ほどたった【『思想』784号(1989年10月)p.64】。スラックもオクスフォードにおける専門からいってトーマスに一番近い歴史家。だが、そうした近世史家たちにとどまらず、なんと経営史のレズリ・ハナーや帝国史のジョン・ダーウィンまで寄稿して、この謹呈論文集は、ルネサンスから20世紀政治にまでおよぶ、じつに贅沢な知的饗宴となっている。
  いまでもぼくは、1989年にキース・トーマスが来日したときに 『思想』でインタヴューを採らなかったことを悔やんでいる。そのときは彼の来日を国際交流基金から、直前に突然知らされたのだった。六本木の国際会館で、ごく簡単な交流セミナーを組織するのがせいぜいだった。


Natalie Zemon Davis,
Gift in Sixteenth Century France
University
of Wisconsin Press, 2000   x + 185 pp.

NZDからいただいたクリスマスの贈り物。1997年5-6月に日本に滞在したときの一講演の題目でもあり、そのときから予告されていた。講演の邦訳は、『思想』880号(1997年10月)pp.63-77.   cf. Slaves on Screen


 

『政治学事典』 (弘文堂、200011月)
lxii + 1328 pp.   17000円 <1月末までの特別定価>

  旧臘に購入して以来、愛用しています。一言でいえば、冷戦以後の事典。
大沢真幸さんの執筆項目など、目が覚める思いのすることがある。全体的に時宜にかなった出版だと思う。
  しかし、残念なことに、たとえば「講座派/労農派」「大塚久雄」「丸山真男」
などは弱い。大塚久雄の『近代欧州経済史序説』の下巻p.134 なるものは世に存在しません。1946年のは第二版です。その改訂(上巻の2分冊)版を出したのは、他ならぬ弘文堂ですよ!
  この大塚が戦前・戦中の丸山真男に決定的な影響を与えたこと、二人の
歴史観はともに(マルクス主義を相対化しつつも)講座派の精髄を受けつぐものである、といった指摘はぜひ必要でした。 cf. 拙著『文明の表象 英国』(山川出版社) pp.105-111.
  それから、
「国民」「ナショナリズム」「国民国家」「主権国家」「民族」「エスニック」, etc. については、政治学事典なんだから、それなりの項目がもうけてあり、主要文献などの指示があるのは当然です。しかし、
「グリーン」「ロイド=ジョージ」があって、「グラッドストン」がない、
「大衆」「群衆」があって、「公衆」「民衆」「人民」がない、のは、可笑しい。
Moral economy については、あいかわらず1976年のスコットが初出であるかのように述べられている。
  また長い項目にもかかわらず段落を切らないものが少なくなく、これは中年読者にはたいへん読みにくい。段落を適当につけている項目もあり、編集サイドはどういう方針だったの?




    
歌田明弘『本の未来はどうなるか − 新しい記憶技術の時代へ
   
(中公新書、2000年11月) 227pp.  780円

  本の出版、コンピュータのこと、どちらにも詳しい歌田氏の力作。新書とはいえ、
各章末に註およびウェブサイトが挙がっている。
  「大きな変化の渦中にいるわれわれが、現在おこっていることを正しく理解している可能性は、残念ながらとても少ない。p.5
そうした認識を共有せざるをえない者として、熱心に読んだ。読みつつ、インタネットおよびハイパーテクストの軽快な素晴らしさ、と同時に、落ち着いて考えるには、紙に黒いインクで印刷したうえに綴じて製本した「本」というアナログメディアのほうが、はるかに優れている。その長所と魅力にも、あらためて思いいたる。
コンピュータは、もともと読むための機械ではない。‥‥ディスプレイ上では、印刷された文字に比べて25%文字を読むスピードが落ちるpp.165-6 
長いメールをたいていの人はプリントアウトして読んでおり、電子メールを使いはじめたオフィスの紙の消費量は40%増えているそうだ。p.188
という文にも納得。そもそもこの200ページ余りの文章が中公新書という「本」としてpublishされているのは、理由のないことではない。かりにどこかのサイトに登載されていたとしても、ダウンロードして全部を読み通しただろうか。



    
坪田一男『理系のための研究生活ガイド』
   
(講談社、ブルーバックス、1997年9月) 235pp.  760円

  ぼくがこれまで知らなかっただけで、旧聞に属するかもしれない。ただのノウハウ本、として手に取ってみたこともなかった。それを後悔している。2000年4月に8刷。読んで励まされる人が多いのだろう。
  理(医学)系と人文系との違いは、もちろんある。それにすこし品のない、割り切った表現もある。 しかし、「研究者になるための8つのチェックポイント」「コミュニケーションのABC」とか、mutatis mutandis, 本質的なところで同じだ!と感得。
楽しくやる」、「我以外みな師」、「絶対に英文論文が書けるようにならなければならない」、「留学したいという強い願望を持ちつづける, etc., etc. 数々の真理が書かれています。



    
『江戸時代の印刷文化 − 家康は活字人間だった
   
(印刷博物館、2000年10月)  206+64pp.

  飯田橋・後楽園・江戸川橋の真ん中あたり、トッパン(もと凸版印刷)の本社屋に付属して、印刷博物館が開設されたばかり。
  グーテンベルク鉛活版印刷機と、それに負けぬ朝鮮銅活版とをならべた常設展。それに、最初の特別企画展として、江戸初期の活字印刷とその後の木版印刷とをならべて見せた。その図録です。樺山紘一・竹内誠・小和田哲男 3氏の監修による、しっかりした図版と論文のコレクション。企画展を見逃した人、ヨーロッパ近世史をやってる人も必見ですよ!



   ちょっと間が空きました。


     『史学雑誌』109編5号1999年の歴史学界〉
  (2000年6月15日刊) 3030円

      I'm taken aback at the first sight.


         Noboru KARASHIMA (ed.), Kingship in Indian History
          (New Delhi: Manohar, 1999) x + 271 pp.

        Japanese Studies on South Asia の一巻。辛島昇さんの編集のもとに、山崎元一さんのような長老から高橋孝信さんのような若手まで、9名による論文集。


Edmund  BLUNDEN (1896 - 1974)

To the Citizens of Ito

Here then while Shakespeare yet was with us, came
An Englishman to win a different fame,
And with his different skill to find a place
In the long chronicles of Nippon's race.
How gladly I after three hundred years
Come where Will Adams led the pioneers
Of ship-design in Ito still you praise,
You men of Ito his laborious days,
And still though Time has borne him so far hence
Name him the pilot in pre-eminence.
I know his home in England and I know
At last his home by the Pacific's flow,
And am most happy, thinking of that man
Who first united England and Japan,
Happy to find that spirit flowering still
Which set your garland on the tomb of Kentish Will.

8 July 1948

          伊東市 松川入江、三浦按針を記念する3基の碑のうちの一つ。

          William Adams は William Shakespeare と同じ1564年生まれ。日本に漂着した1600年から数えて今年はちょうど400年目です。『文明の表象 英国』 pp.31-32. 
          詩人ブランデンについては、草光俊雄『明け方のホルン』(小沢書店、1997)の第5章。 残念ながら、ぼくも草光氏も アダムズ/ブランデンと伊東の結びつきには言及していません。


杢太郎会(編)『目でみる木下杢太郎の生涯』
  (緑星社、1981年10月)
  ISBN 4 89750 009 5         150 pp.      2600円

   学科旅行で伊豆の伊東に行きました。何も期待せずに行ったので、三浦按針(Will Adams)の造船記念の碑にならぶブランデンの詩、そして松川ぞいの遊歩道に杢太郎関係の碑が多いことに驚きました。

   木下杢太郎=太田正雄(1885〜1945)については、加藤周一経由で、鴎外の伝統をひく 「東大医学部出身でヨーロッパ経験の長い文人」 という受けとめかたでいましたが、伊東の人だったのです。つまり、よく理解していなかった。お詫びもこめて「木下杢太郎記念館」をたづね、天保・明治以来の商家にて、この悩み多き知識人をしのびました。標題の本は、ここで求めたもの。
『木下杢太郎全集』全25巻が岩波書店(1981〜83)から出ていることは、よく知られていると思います。
   「東に海、西に山・・・」
   「ふるき仲間も遠く去れば、また日ごろ顔あはせねば・・・」
といった公刊された詩も悪くないが、東北帝大から東京帝大の教授に転任してからの「悲しみおよび後悔の感情」をめぐる日記などは、泣かせる。

   兄、太田円三が帝大工学部を卒業し、関東大震災のあと、隅田川にかかる永代橋の設計・施工の激務のなかで 1926年に45歳でみずから命を絶ったというのも、初めて知る事実。この美しく力強い永代橋は、江戸時代から今にいたるまで日本橋から深川へ渡る要衝で、また勝鬨橋ができるまでは隅田川=大川の最後の橋でした。現在では、この永代橋と、90年代に架橋された相生橋中央大橋とにはさまれた水面のデルタが、知る人ぞ知る、印象的な空間を成しています。
ぼくの娘が先日オブライエン夫妻を案内して、越中島公園から、この「20世紀東京の歴史の表象」を見てもらいました。 Such a nice place に住んでいるの! と言っていただきました。



   
P・K・オブライエン著 秋田茂・玉木俊明訳
  『帝国主義と工業化 1415〜1974』
  (ミネルヴァ書房、2000年5月) 230+39 pp.  3600円

  Patrick O'Brien さんの講演や専門論文を計4本、編んで訳出したもの。

  5度目の来日にあわせたこの出版は、日本の読者に益するところは少なくない。だが、1415年から1974年という大きなスパン、あるいは日本語の標題 *、そして両訳者による長い解説、それぞれ十分に注意して読まないと誤解の余地をのこす。 * of Britain and Europe という原題の意味するところは、十分に伝わるだろうか?

  賢明なる読者よ、オブライエンさんが、一方の生産力主義はもとより、他方の「大英帝国史」主義の立場をとるのでもないことは、正確に受けとめてほしい。それにウォーラステインおよびその亜流の世界システム論では、政治・文化の問題は解けない、とあらためてここでいうも愚かです

  1932年生まれ。ロンドンの歴史学研究所長というイギリス史学界における最高のポストの一つを勤めあげた礼儀正しきジェントルマンであるが、いまなお研究心旺盛な日々、そしてウィットと教養豊かな話しぶり。 かのブルーワに決定的影響をあたえた  (with Mathias) Taxation in England and France 1715−1810, Jnl. Eur. Econ. His., 5(1976); The political economy of the British taxation 1688−1815, Econ. His. Rev., 2nd., 41(1988)  の著者でもあり、・・・・学者の鏡かもしれない。


The Oxford Companion to British History, by John CANNON
     (Oxford U.P., 1997) xii + 1044 pp.    30 Pounds
   
個人的には、じつは想い出深い贈り物。あらゆる疑問が生じたときに活用しています。

    The Longman Companion to the Tudor Age, by Rosemary O'DAY
     (Longman, 1995/1996)  x + 336 pp.
   まじめに使ったのは、今年の講義「テューダ朝国制史」の準備のため、というのが初めて。
     The Longman Handbook of ... History のシリーズと基本的には似ていて、便利な便覧。

   両書とも、新刊ではなく、院生・研究者に無条件で薦める参考図書、ぼくの愛用書です(じつはスペースの関係で、文字通りの座右でなく、座左にある!)。
ただ、付録の系図だけは問題がのこる。『岩波講座 世界歴史』16巻、p.77のRでもふれたように、Koenigsberger/Mosse/Bowler, Europe in the Sixteenth Century (Longman, 1968/1989) もそうだったが、どうしてイギリスの(最近の?)歴史書は本体はおもしろく しっかりしていながら、こうしたところに、つまらない誤植が目立つんだろう。
 『文明の表象 英国』 p.20 にも記した、わが高校の木村斌先生の言を想いおこす。もう36/7年経つわけですが、お元気ですか?



    木村尚三郎(編)『学問への旅  ヨーロッパ中世』
  (山川出版社、2000年5月)  ix + 284 pp.     2700円

  済みません、あまり期待せずに手に取ったのだが、じつはたいへんおもしろい、知的な歴史エッセイ集でした。最年長は赤沢計真さんから、若いほうでは今年40歳になる有光秀行さん、新井由紀夫さんまで、計14名による、中世ヨーロッパへの旅・・・・

  近ごろの山川出版社の四六判・上製・2500〜3000円の本、佳作が多いです。カバー(英語でいう jacket)を脱がせてみても、本体がきれいで品があるし、栞もついている。



 
 佐藤彰一『ポスト・ローマ期フランク史の研究』
  
 (岩波書店、2000年4月) xiii+332+12 pp.  8000円

  3年前の大著『修道院と農民』(名古屋大学出版会)につづく近著。あいだに『岩波講座 世界歴史』第7巻などもあったわけで、佐藤氏の旺盛なご活躍に驚かされる。
  今回はポスト・ローマ期について、そしてフランク王国について、とりわけ序章でポジティヴに議論が展開されていて、たいへん益するところがある。(一部の章の原型はずいぶん前に拝読したものだが、そのころは議論の大きな枠を把握できないままでいた。)

 「歴史は後ずさりしながら前進する」という印象的な文もあった。これはヴァレリから? それともそれ以前に出典があったのだろうか? ポスト・ローマ期の人々がローマ的なものに執着し、「ほとんどローマのうちに生きていた」とするなら、20世紀の人々はまさしく <近代的なもの> に執着し、<古典近代> を準拠枠として、あらがいつつも、生きてきたわけです



  
 歴史学研究会(編)『紛争と訴訟の文化史』
  
 (青木書店、2000年1月) xiv+458 pp.   4500円

  加藤博氏の『アブー・スィネータ村の醜聞』(創文社、1997)から派生した共同研究なのだろうか。14名がそれぞれのフィールドで実証的に紛争・訴訟・秩序を考察している。その方法的有効性については、わが『民のモラル』 p.11 でも使った文化人類学者スリニヴァスの言を思い起こす。

  「争いごとにおいてこそ、ふだんは隠れていた事実が浮上してくる。・・・争いごとの熱が昂じて当事者たちはもろもろの動機や関係をあばくようなことを言ってしまったり、やってしまったりする。それはちょうど稲妻が一瞬であれ闇夜の周囲のありさまを照らし出すときの明白さと同じである。・・・争いごとによって人々の記憶は呼び覚まされ、人々は先例を引用したり点検したりしはじめる。・・・かくして争いごとは、人類学者の見逃すことのできないデータの宝の山なのだ。」

  とりわけ安村直己「植民地期メキシコにおける民族隔離法制と地域社会秩序」については、『岩波講座 世界歴史』16巻の〈主権国家と啓蒙〉における「クリオーリョ・啓蒙・ナショナリズム」とともに読みたい。



  Natalie Zemon Davis,
   Slaves on Screen: Film and Historical Vision
    (Vintage Canada, 2000) 164 p.

     映画 Spartacus、  Burn! 、 The Last Supper、  Amistad、  Beloved
  における奴隷、抵抗、トラウマを論じています。
  実父および義父への謝辞が、また NZD らしい。 cf. Gift in C16 France



   H.G. Koenigsberger,
    Politicians and Virtuosi: Essays in Early Modern History
     (Hambledon Press, 1986) xiii + 277 pp.

    新本ではない。かのヨーロッパ近世史の大家ケーニヒスバーガの論文集というので、当然、どこにでも所蔵しているかと思いきや、東大になく、昨年、例の『岩波講座 世界歴史』16巻のために、かの Amazon.com で捜してもらったら、迅速に届いた。比較国制史でいまや言及しないことが不可能な、'Dominium regale or Dominium politicum et regale' を巻頭に、イタリア、ネーデルラント、スペインの国制、宗教改革、音楽、科学、宮廷文化などを論じる。
    Studies presented to the International Commission for the History of Representative and Parliamentary Institutions の第 LXIX 巻でもある。



 
 John Brewer & Eckhart Hellmuth (eds),
   Rethinking Leviathan: The Eighteenth-Century State in Britain and Germany
   (Oxford U.P., 1999) x + 402 pp.

   先の Hellmuth (ed.), The Transformation of Political Culture (Oxford U.P., 1990) に続く ロンドンの German Historical Institute における政治社会・国家の共同研究。

  ご存じジョン・ブルーワは、ケインブリッジ大学のころから文化人類学を応用しつつネイミア的18世紀政治史を書きなおしていた超秀才。【ぼくが最初の留学先をケインブリッジにしようと思ったのは、彼の所を希望したからです。】 ところが、その後、友人スタイルズやイニスと一緒に『統治しがたき民』を共同研究していたかと思えば、プラム先生・マケンドリック先生とともに Consumer Society を論じ、イェール大学、ハーヴァード大学ではしばらく静かにしてると思えば、かの The Sinews of Power, 1989 を著して「財政軍事国家」論で何人か日本の福祉国家論者をいかれさせ、また返す刀 The Pleasures of the Imagination, 1997 では消費/奢侈のシンボリズムで社会文化史をやっている若い者を夢中にさせる。ロンドンの歴史学研究所の「長い18世紀」セミナーで報告するアメリカ人の若手は、ほとんど全員ブルーワ先生をグルとしているかと思わせるほど。

  今回のレヴィアタンにたとえられた18世紀国家の比較研究は、もちろんブルーワ先生の一面にすぎないが、しかし、堅くしっかりした一面です。ブルーワおよび1980年前後のケインブリッジの歴史学については、いずれきちんと位置づけ語っておかないといけませんね(口頭では報告したことはありますが)。

  ジョン・ブルーワの仕事における、また家庭生活におけるパートナは Stella Tillyard. 彼女が 18世紀の貴族生活を描いた Aristocrats が BBC テレビの番組として人気を博し、その Illustrated Companion なるものも Weidenfeld & Nicholson から刊行されています。



  
『社会経済史学』 vol.65, no.6 (2000年3月)

  この1931年創立の学会誌は、版型が(高さ 21cmから 25.5cmに)大きくなって、これまでと同じ書棚におさまらなくなってしまった。変わったのは、それだけではなく、横書き、という点と、従来にもまして書評に力を入れていること。書評は、欧米の専門誌の多くが 『・・・リヴュー』 という名をもっていることにも現れているように、専門誌のほとんど生命線。斎藤修 編集長のもと、積極的な編集が紙面からも伝わってくる。
  最新の巻号では、松塚俊三氏による、関口尚志・梅津順一・道重一郎(編著)『中産層文化と近代 − ダニエル・デフォーの世界から』(日本経済評論社、1999)への率直な書評に、快哉。

    ・・・・なんて書いていて、Vol.65, no.5 (2000年1月)にわが『文明の表象 英国』への書評を小野塚知二氏が書いてくださっていたのを見過ごしていた! これについては、また別のページで。



 
小関隆(編)『世紀転換期イギリスの人びと
         − アソシエイションとシティズンシップ』
            
(人文書院、2000年4月) 327 p.   2500円

  19世紀末〜20世紀初め、イギリスの労働者、市民、臣民、国民、男、女の公共性・誇り・生きがいをめぐる共同研究。40±?歳の研究者5名+αによる協力の成果。



  宮腰英一 『19世紀英国の基金立文法学校
                 − チャリティの伝統と変容』
                     (創文社、2000年2月) 308 + 42 pp.   8000円

    著者がどういう方か残念ながら存じあげない。本書では教育学部伝来の学校史として展開されているが、むしろ近世・近代のイギリス(そしてヨーロッパ)を理解するのに枢要な意味をもつ endowed charity の一局面の研究として重要。


  田北廣道(編)『中・近世西欧における社会統合の諸相』
  
(九州大学出版会、2000年2月) xxv + 472 pp.   8200円

  例の森本芳樹グループの手堅い共同研究。


  細谷千博/Ian Nish 監修 『日英交流史 1600〜2000』全5巻
                                      (東京大学出版会、2000年3月〜 )
 The History of Anglo-Japanese Relations 1600 - 2000,
    5 volumes (Macmillan, March 2000 -  )

  1994年8月、村山富市首相の談に端を発した「歴史研究支援事業」の一環。
 東京で日本語版、ロンドンで英語版がそれぞれ5巻刊行される予定。
  わたしは第5巻の最後、文字どおりの掉尾を飾ります。


 服部春彦・谷川稔(編)『フランス史からの問い』
 (山川出版社、2000年3月) vii + 340 pp.   4000円

  編者の一人が言うとおり 「服部先生と京都の学風にふさわしい」 論文集。
  中世から近世・近現代の14名が寄稿。


 土肥恒之 『岐路に立つ歴史家たち − 20世紀ロシアの歴史学とその周辺
 (山川出版社、2000年3月) 223 + 10 pp.  2700円

  前に 一橋大学の Study Series 34 に載った土肥さんの
 「「ブルジョワ史学」と「マルクス主義史学」の狭間で」を読んだときにも思ったが、
 「両大戦間の歴史学」は、おもしろい共同研究のテーマになりうる。


 Masao NISHIKAWA, Der Erste Weltkrieg und die Sozialisten
  (Edition Temmen, 1999)

  西川正雄氏の先の力作 『第一次世界大戦と社会主義者たち』
                 〈世界歴史叢書〉(岩波書店、1989)
 をドイツのご友人たちが翻訳出版してくれたもの、とのこと。
 やはり脚註形式のほうが見やすくていいな、と思う。


岩波書店編集部『これからどうなる 21 − 予測・主張・夢』

(岩波書店、2000年1月)
書籍 1900円、 CD-rom 2500

 独立ページ


 岸本美緒 『明清交替と江南社会 − 17世紀中国の秩序問題』
       (東京大学出版会、1999年12月)
         xxiv+282+vii pp.  5600円

 「序」で、この本のテーマは「・・・戦後日本の明清史研究の一貫した焦点
の一つであり、・・・相当の研究蓄積がある」と再確認なさったうえで、
ご自分の問題意識の由来を「できるかぎり素朴率直に」述べておられる。
いわば腰のすわった告白。
  前著『清代中国の物価と経済変動』(研文出版、1997)のとりわけ「モラル・
エコノミー論と中国社会研究」では、この「秩序のかたち」への探求を予示
なさっていた。「社会の・・・不可思議な精妙さに対する私の昔からの関心」
なるものを正直に公言することのできる現在の岸本さんは、おそらくは
前著のときよりも達成感というか、「身軽になった気」=自信をより強く感じて
おられるのでしょう。

  いくつも印象的な表現があるが、なかんずく「まず自前の感受性を全開
にして対象に直接することが先決であり、・・・」(xvii) と言ってくださって、
読者としては courage を与えられるという意味で、また尻に鞭あてられる
という意味でも encouraging な本。

 装幀も上品で美しい。
 199912月                           (近藤 和彦)


 『広辞苑』第五版 各界からのメッセージ 8ページの宣伝パンフレット
 

  海外で生活すると、さて福沢諭吉の生没年は、などというときに頼りになるのが広辞苑。
でも、その欠点は重さ。帰りの荷物は1キロでも減らしたい。留学の最後に思いついたのは、
お世話になった図書館にわたしの辞書を寄贈することだった。
次に在外研究するときには、そのつもりで新しい広辞苑を用意していった。
館長の丁重なお礼状までいただいて、あとで行ってみると記念の寄贈票も貼ってある。
  今度の第5版は、どこの図書館に落ち着くことになるだろうか。
                                       (近藤 和彦)
     ・     ・     ・     ・     ・

  上の小文は宣伝パンフレットに載っているもの。以下は 岩波書店 編集部あての私信です。
 

 親のもっていた『広辞苑』初版から始まって、それ以来、版が改まるごとに利用しております。このたびの『広辞苑』第5版を拝見して、新語はたしかに増えていますが、旧来の見出し語にあまり改訂、工夫のあとはみられず、ややがっかりしています。すこし細かいことを例に挙げますと、

 1) 東京大学の項は「文京区」で止まり、その教養学部については「目黒区駒場」まで記すというのは、どうでしょう。本郷という字まで記すことはできませんか。それは慶應義塾について「港区三田」まで書くのと同じ原則でしょう。

 2) またオックスフォード大学、ケンブリッジ大学の説明は簡明でよろしいと思いますが、関連してカレッジを引いてみて落胆しました。オクスブリッジ両大学ははたして多数の単科大学、高等専門学校から成るのでしょうか? ぜひ「学寮」という語を加えて下さい。『UP』 289号(1996年11月)の拙稿 pp.6-7 も参照して下さい。

 3) マンチェスターはたしかにかつては「大工業都市・・・綿工業の中心地」でしたが、今ではむしろ商業・情報・行政の中心でしょう。「ロイド=ジョージの生地」という叙述にはどんな意味があるのでしょうか。彼はむしろウェールズ人としての誇りをもっていました。マンチェスターについては、むしろ歴史的にピューリタニズムや急進自由主義の拠点でもあったことを匂わせる記述ができればと思います。その点、ガーディアン紙のことを付記しておくのは今のまま不可欠です。(ある意味で朝日新聞と大阪の関係に似ています。)
  
  1998年11月20日


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